親父とカニ
父親との関係は相変わらず悪くない。
今日もカニを茹でて持ってきてくれた。
母親との関係があんなに悪いのに、父親との関係がなぜよいのかというと、父親が家族に関係ない生活をずっと送ってきたからだ。
幼い頃から父は浮気を繰り返し、帰りたいときだけ家に帰った。
子育てはもちろん、しない。
子どもと遊ぶだけだ。
遊び方はうまい。
孫のあしらいを見ていてもわかるが、遊ぶコツを父は知っている。
そして怒らない。
怒らないというと優しいのかとも思うかもしれないが、ある意味子どもに無関心なのだ。
都合の良いときだけ家に帰り、都合の良いように子どもと遊ぶ。
子どもの心の深淵には向き合わない。
子育ての、育て、の部分はすべて母親に放り投げている。
昭和のよくある父親像でもある。
父は厳しくなかった。
万引きで捕まったときも怒らなかったし、補導されたと知ったときも何も言わなかった。
ただ
「人生生きてればそういうこともあるよ」
とだけ、母親に言った。
父の手に傷があることを知ったのは大人になってからだった。
意識して見たことはなかった。
父は長男だ。
地頭がよく、スポーツができ、バスケットで高校は校区外の推薦で入った。
しかし、彼は皮肉なことによくモテた。
高校に入り、彼女ができ、推薦で入ったはずのバスケットをしなくなる。
祖母はまた厳しい人だった。
私の母親とは違い、教育に力をいれるような傾向があった。
それは孫である私達に対してもそうだった。
祖母は戦時中、女学校卒の従軍看護師として活躍した人だ。
勉強もスポーツもできる父に目をかけていた。
だが、父は彼女ができてしまったことでそれを裏切ることになる。
父の傷はどうやらその頃から増えていったものらしい。
父は大学に行けなかった。
高校のときのその彼女と結婚し、彼女の兄のマンションを借りて上京する。
しかし、そんな間借り生活のようなものは長く続かなかった。
そんな折に母と出会って、成り行き離婚、成り行き結婚をする羽目になったらしい。
父は子どもが好きだ。
自分が子どものような人だからかもしれない。
子どもの面倒を見る、というより、子どもと一緒に遊んでしまうような人だ。
私は幼い頃から母と折り合いが悪かったので、父のことは全面的に信用していた。
だが。
私が高校に進学する際、薬学部を目指したいので進学校に行くと言ったとき、いい顔をしなかった。
奨学金で行くならいいよ、そんな話で、私は高校から奨学金で進むことになった。
でも私はどこかで期待していた。
姉は工業高校卒だが、頭が良く、大学進学の話があった。
だがそのとき、私の進学の話があったため、姉は母に説得され進学を諦めることになる。
こんな状況だったので、私は姉と父の助けを借りながら大学に進学できると勘違いしていた。
高校1年生の頃からバイトをして、奨学金と姉の給料、そして自分の給料で学費を払っていた。
でも、大学はもう少し援助してもらえると思っていたのだが。
進学の話が出たとき、父はこう言った。
「女が大学なんて行かなくてもよい。女に学歴は必要ない。お前の学歴のために俺がタバコまで我慢させられるのは嫌だから進学させられない」
父はタバコまで、と言ったが、父は何一つ我慢しているものなどなかった。
酒も飲んでいたし、飲み歩きも泊まり歩きもしていた。
相変わらず女性関係にはだらしなかった。
我慢していたとすれば
「毎日仕事に行く」
という我慢くらいだろうか。
それでわかったのだ。
父は心の底から子どもに興味があったわけではない、自分のことだけなのだ、と。
ただ、父は自分の中にそうしたラインがあるように、子どもに一定距離を保って、相談事には乗るけれど、返事はのらりくらりとしないで責任を逃れた立ち位置にずっといる。
常に一定距離だ。
だから、父との関係は一定のところでうまくいくのだ。
今日も父の持ってきたカニを食べる。
それが父の自己満足なのか、私を思って茹でてきたのかはわからないが、今日のカニもうまかった。