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【小学生②】努力の具合を合わせちゃうわたし【HSPエピ?】

念願!ピアノを習わせてもらえた

小学3年生のとき、わたしはピアノを習い始めた。
 
音楽の授業が大好きで、
特に合奏の時間にキーボードを弾くのが楽しかったのだ。

勇気を出して「ピアノを習いたい」と母親に申し出たら、快く受け入れてもらい嬉しかったのを覚えている。

ルンルン♪

器用ちゃんと才能ちゃんとの出会い

通い始めたのは、近所のピアノ教室だった。
 
同級生の女の子(通称:器用ちゃん)がもともとそのピアノ教室に通っていて、仲間入りさせてもらうことになったのだ。
 
器用ちゃんはその名の通り器用で、とても綺麗に正確にピアノを弾く子だった。
 
しばらく2人でその教室に通っていると、もう1人同級生の女の子(通称:才能ちゃん)も仲間入りした。
 
才能ちゃんはもともと別のピアノ教室に通っていて、器用ちゃんと同じくらいピアノ歴が長かった気がする。
表現力がある子で、ダイナミックな弾き方がとても輝いていた。

わたしは完全にピアノ初心者だったが、一緒の教室に通う”仲良し3人組”として放課後なども仲良くさせてもらった。
とても、楽しかった。

・・・ちなみに学校での器用ちゃんと才能ちゃんは、スポーツも勉強もこなしていて成績優秀だった。

器用ちゃんは着る服などもセンスがあって、なんだか自然と憧れてしまうような子。
才能ちゃんは絵もうまくて、とにかく芸術的なセンスが光る子だった。
 
このエピソードに限らず小・中学生時代は、この2人から大きな影響を受けたなと思う。
今後のエピソードにも出てくるのでおたのしみに・・・!である。

”合わせちゃう”わたしの始まり

さて、タイトルの話をしよう。

わたしは結構根が真面目で(真面目すぎることもアリ)、ピアノのレッスンの前にはしっかり個人練習をやるようにしていた。
 
器用ちゃんと才能ちゃんは幼稚園の頃からピアノをやっていたから、早く追いついて上手くなりたかったというのもあったかもしれない。
しかし何よりも、純粋にピアノが楽しかったというのが大きかったと思う。
 
教室の生徒はみんな、練習曲がたくさん入った教本を習っていた。
1曲ずつ順番に練習していき、先生から「合格」をもらえると次の曲に進めるという具合だ。
 
わたしは事前に個人練習をやっていたおかげで、なかなか良いペースで合格をもらえているなと思いながら教室に通えていた。
 
自分のやれることは家でやってきて、レッスン日に先生に見てもらう。
その着実性に、安心感と自然なやる気が生まれてくるのを感じていた。

衝撃の一言

いつも通り3人で下校していたある日、わたしは器用ちゃんのある発言に雷に打たれたような衝撃を受けることになる。
 
前後の会話は全く覚えていない。
が、器用ちゃんはたしかに、
「ピアノの練習なんて、家でやらなくてもいける」と言ったのだ。
 
わたしにとっては、カルチャーショック級の発言だった。
 
(えっ器用ちゃん、一番レッスンすすんでるけど、家で練習とかしてきてないの⁈)
 
予想すらしていなかった価値観が、ふわっと舞い降りてきたようだった。
 
そしてその価値観はわたしの気持ちも知らず、目の前で愉快にダンスを踊っているようだった。

※新たな価値観 イメージ図

わたしはなんだか、個人練習をすることがかっこ悪く思えてしまった。
 
あんなに上手に弾ける器用ちゃんがそんな感じなのに、わたしだけが熱すぎる想いで頑張っている感じがしてしまったから。
 
それにうまく言い表せないが、「なんか、これ以上個人練習を頑張っちゃいけない感」を察したのだった。
 
分かってもらえないかもしれないけれど引き続き個人練習を頑張っていたら、なんだか器用ちゃんとの仲に亀裂が入る未来が見えた気がしてしまったのだ。
 
無意識のうちにわたしは、個人練習をやめることを選んでいた。

葛藤が生まれたピアノ人生

それから、わたしのピアノレッスンの時間は、
「個人練習 兼 先生に見てもらう時間」になった。
家ではほとんど個人練習をやらず、ピアノの先生の前で個人練習をやるような感じになっていたのだ。
 
「合格」のスピードはもちろん鈍化したし、あれだけ純粋に光り輝いていたピアノライフがどうしても色褪せてしまったのは否めない。
 ピアノを弾くわたしの輝きも、半減してしまったと思う。
 
個人練習をしない自分に納得できない気持ちと、
周りに合わせたいという気持ちが葛藤し続けていた。
 
わたしはピアノで、純粋に輝くことを忘れてしまったのだ。

”努力”や”がんばり”を周りに合わせるわたし

これが初めて、“努力の具合”を周りに合わせた経験だった。
 
自分の思うままに自分のやりたい分だけ頑張ればいいのに。
わたしはいつも周りに合わせて、余力を残したまま終わってしまうところがある。
 
「もうちょっと極めたい」「もうちょっと努力したい」
そういう気持ちがあるにもかかわらず、周りに合わせて秀ですぎないようにしてしまうことがあるのだ。
 
努力やがんばりを抑えたところでのちのち自分に嫌気がさすし、楽しい気持ちは減るのに。
 
「全力で輝いているわたしは、みんなに仲良くしてもらえない。」
いまでも、そういう考えがよぎってしまうことがある。
 
 
・・・こんなわたしが、この後どうやって生きていったのか。
 
引き続きいろんな記事を読んでもらえるとうれしいです。
最後まで読んでくれてありがとうございました♪

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