がんばったり努力したりしなくちゃいけない理由。
オーラリーディングをしていると「変化・変容」中を表す“グリーン”が視えることがある。なんなら、毎回「そこにその色、前も出てきました!」とおっしゃる方も多い。
そう、人間は考える葦なのだ。
か弱い植物であり、考える生き物だ。
日々ぐんぐん成長する。
毎回その成長のサインでもある“グリーン”がオーラで発光しているというのは、健やかな成長の証。そして、その成長は毎回同じ内容ではないはず。だ。
そんなセッションがある一方で。
「これ以上成長しないといけないのですか?」
「今のままずーっと変わりたくない」
…というお話を伺うことがある。
そんな時、私はその方々のハイヤーセルフにお任せして、ワクワクしつつも中立に情報を受け取ります。
なぜならば。私だってうすらぼんやりと
「目標を常に掲げないといけないのか?」
「崇高な使命がなければ生きる価値はないのか?」
…そう考えたり思ったりすることはあったから。
そこに対する正解があるなら教えてほしい。
だから毎回、真摯に情報を読んでお伝えする。
でも。
リーディングでお伝えした情報はその後しっかりクリアリングしてしまうので覚えてない。
それはその方のためだけのスペシャルで聖なる言葉だから。覚えていられないんだろうな。
その代わり、そんな共感しかないセッションの後には私用のメッセージがこんな形で私宛に届く。
いじめっ子で問題を起こした中学生の女の子が先生に『全員ががんばったり努力したりしなくちゃいけない理由』について問う。そして、先生はこう答える。
『見つからんかった』
やっぱりそうかー‼︎ そうくるかー‼︎ …と思いつつ、ページをめくると先生なりの『理由』や生徒に対する言葉が続く。それはこれまでもたくさんの作品や経験を通して私にも入ってきた言葉だったので、そこに新しい発見はなかったけれど。
でも。たくさんの人が同じ結論にたどり着いたということの意味は重い。その結論とは
「努力は自分のためにする」
…。ですよね。
なんなら、自分のためだとわかってても努力できないことがあるのに。誰かのためにしんどい努力を続けるなんて出来ない。心から自分のためだと思えるからこそ、努力できる。
以前はそこまでで私は一旦納得。
最近はそこに続きができて。
自分のためだとわかってても努力できないのは、頭で「自分のため」だとジャッジしていても、心は反応していないから。努力の先に手に入れるものを描けていないから。
自分のために努力できるのは、努力の先に手に入れるものがきちんと描けて「(それを手に入れることができたら)嬉しい・楽しい」としっかり思えるから。
そして、自分の周りを見回してみると「努力して手に入れたものがある人は面白い」ということを知っているから。
ならば私は「面白い」方がいい。
だから努力すること・成長変化する方を選びたい。
…という結論に至っています。
で。
その上で、さらに思うのは。
何か目標を持つこともなく。
目標がないので努力をすることもなく。
崇高な使命とやらもどうでもよくて、
面倒なことやしんどいことは全て排除し
目の前の人生を進むのも、
それはそれで全然いい
…ということ。
その人が満足ならば。
その人の人生なので。
他人が口を出すことではない。
穏やかな毎日、結構なことだ。
ただ、そういう選択をした人が
努力をしている人を見て文句をつけたり
自分自身が不安になるなら、話は違う。
その人は本当はもっと面白いことを望んでいるから不安になっているのかもしれないし。他に理由があるからこそ、穏やかでいられないのならば。自分の中で何か問題が発生しているからこそのリアクションを看過してはならない、と思います。
そしてもちろん。
努力を楽しむ選択をした人だって、努力はけしてキャッキャうふふばかりではないけれど、それはそれで穏やかな人生なのだ。
要するに。
自分のための情報は自分の中にある。
何が自分にとっての正解かは自分の中にしかない。
…というスピリチュアルあるあるな振り出しに戻る。
このぐるぐるするループ、面白いですよね。
そして、こんなしょうもないことをふとした時にいつも考えてしまう私、変態。か。…めんぼくない笑。
でも楽しく努力して、失敗して、そこからまた何か掴んで立ち上がって、ケラケラ笑って、また何か努力し始めて。それを繰り返しながら、色んな面白いネタをたくさん収穫している人は確実に面白い(そしてそういう人は、たいてい強くて優しい)し、男女問わず私は憧れてしまいます。そして、そんな人に私もなりたいから、何か目標を掲げては努力しちゃうんだろうなぁと思います。
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