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そして彼女たちはアイドルになった~Dye the sky.編~


君はTHE IDOLM@STER SHINY COLORS GR@DATE WING 01「シャイノグラフィ」「Dye the sky.」を聞いただろうか?聞いたよな?


そしてもちろんCDも買った事だろう。

え?配信で十分?CDが高い?

2019年10月27日 開催「283プロダクション プロデューサー感謝祭 ~1.5 Anniversary Festival~」のライブパートを収録したBD付きで3000円しかしないCDが高い?

あのファン感謝祭をモチーフにした朗読劇から始まりそこからシームレスに歌が流れ歌い出すという最高の漢の演出をしたプロデューサー感謝祭の楽曲が自宅で何度でも気が向いたときに見れるBDが付いているのに高い?

そうだな、今すぐ買おう。そしてBDを見よう。

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割と高画質な鈴木雅之

……初っ端から話が逸れた。

これはDye the sky.に関する話で、君もDye the sky.が好きでこれを読んでいるのだろう。

なのでその話をしよう。

そこまで長くない話にするつもりだ。

そして前回と同じく、個人的な感情だけで話をしているので、君はこの話を信じてもいいし、信じなくてもいい。

それじゃ、行こうか。


失望し、そして拳を上げた


俺はシャイノグラフィに特別な感情を抱いている。もし前回の記事を読んでいないのであれば、先に読んでもらえると助かる。

その上であえて言うのだけれども、初めてDye the sky.を聞いた時、俺はあまりピンと来ていなかった。

デレステ楽曲であれだけの異彩を放っていた烏屋茶房氏とヒゲドライバー氏の歌がこれか?と。

というのも、シャニマスのアイドル達に合わない曲調であり、歌詞だな、とゲーム内視聴をして思っていたのだ。



だがどうだ。

Fullを聞いた後、俺は思わず拳を天に突き上げていた。

やはりアイドルマスターシャイニーカラーズの楽曲に間違いはなかったと、そう思った。



要点を整理しよう。

・なぜシャニマスらしくないなと思ったのか

・そしてなぜFullを聞いた後掌を返したのか

という2点が今回のテーマだ。

それを説明するために、まずは「シャニマスらしさ」というものを説明する必要があるだろう。

とてもざっくりとしたテーマなのだが、できるだけ分かりやすく丁寧に説明したいと思うので、辛抱して読んでもらえると幸いだ。


シャニマスらしさ、というもの


まず君に問おう。君にとって「シャニマスらしさ」とは何だ?





恐らく一言では説明できないだろう。

それもまたシャニマスらしさとも言えるかもしれない。

だがあえて一言で表わせと言えば、「青春」という言葉が浮かんで来ないだろうか。

ほとんどが10代、しかも後半の年齢でアイドルを目指し、成長し、悩み、プロデューサーと共に歩み、WINGという壁を乗り越えて、また成長し――そういう物語がプロデュースコミュとアイドルコミュで語られ、ユニット内での交流、葛藤、対立、友情、努力、その他色々なものがサポートコミュとイベントシナリオコミュで語られ、それらが繋がって一人の少女の物語を俺たちに向かって語りかけてくる。それがアイドルマスターシャイニーカラーズではないだろうか。

アイドルマスターシャイニーカラーズのシナリオを疑う人がいないのは恐らくそういうことだろう。

アイドルマスターシャイニーカラーズは少女のありのままの姿を、時には有能さで、時には鈍感さで、時には盲信して、時にはあえて何もしないことで彼女たちを支える新人プロデューサーと共に、俺たちに見せてくれるのだ。

それは立派な「青春」だと、俺は思う。



では、「青春」と聞いて君は何を思う?

クーラーの効かない教室の窓から入ってきた春の南風が教科書をめくる音。

放課後に寄り道をしていつの間にか夕焼けに染まった空。

一生懸命取り組んで、けれども夢叶わず引退した部活動。

夏祭り、密かに好意を抱いていたあの子の浴衣姿。

バカなことで喧嘩して、仲直りした後に見た夕日。

いずれもキラキラとして、ワクワクして、でも少しさみしくて、でも楽しくて――そんな光景を思い出したかもしれない。

そしてそれはシャニマスらしさと、重なる。

実際に彼女たちは、青春を生きていると、俺はそう思う。




しかし、忘れないで欲しいのは、シャニマスはそれだけではないということだ。

俺はDye the sky.を聞いて、その事を思い出した。思い出させられた。


キラキラだけじゃ、ない


さてようやくDye the sky.の歌詞の話だ。

簡単に言えばこの歌は過去なんていらない、未来なんてない、大切なのは今だよ、という歌だと俺は受け取った。

たとえばここの部分。

"色あせた写真、メモリー
幸せな時間、軌跡
思い出の中の私
けど既に他人みたい
あの時の自分じゃない
色合い、願い、アイデンティティ"

シャイノグラフィを死ぬほど聴き込んでいた俺はびっくりした。

出会った頃を思い出せといった君が、そんなものはもう他人みたいだと歌うのだ。

また2番ではこう言う。

"未来なんて実はどこにもない
描き出せ、自分の手で
現在だけが存在の証明
刻み込め昨日より強く"

またまた俺はひっくり返った。

あの日、あの時、俺と(プロデューサーと)誓ったトップアイドルになる夢を忘れたのか?と。あのTrue Endのやりとりはなかったことにしたのか?と。

さらに言えばここだ。

"変わって(しまったと)
誰かが(言うだろう)
前へ進む度
(だけど)もう、遠慮なんていらない
誰の定義でもない
私であれ"

誰かに定義されて、誰かの憧れになるために、アイドルになるんじゃなかったのか?三峰……どうした……?となってしまった(俺は三峰の担当Pなのだすまない。君は君の担当の名前を入れてくれ)


ともかく、歌詞のどこを見てもプロデューサーや仲間と歩んできた物語の欠片すら見えないのである。


どういうことだ?お前達はどうしてしまったんだ?


俺は頭をかかえた。



そこで俺は思い出したのだ。

「青春」はキラキラだけではないと。


先の歌詞に出てきた「アイデンティティ」というのがヒントだった。

ちゃんと理解するヒントを残している烏屋茶房氏、流石だ、と勝手に俺は謎の立場で称賛した。

つまりこういうことだ。

「青春」=10代後半の少年少女と置き換えて考えて欲しい。

高校生になった君は中学生に拗らせた全能感も落ち着いてきて、自分の世界が広がりつつあることを感じただろう。

いわゆる大人の一歩手前というものだ。

しかし、もちろん大人になりきれない俺たちは、そこで汚くて嘘ばかりでつまらない「社会」に出るために自分らしさ、つまり「アイデンティティ」を確立していかなければいけない。

「社会」に出れば誰もお前を守ってくれない、自分の道は自分で決めろと、大人から言われるのだ。

そしてそれが中学生に拗らせた気持ちと混ざり合って、しかし大人になりきれない夢見がちな自己を捨てきれず、その狭間で悩み、考え、成長していくのだ。

それもまた、「青春」だ。

そしてそれは、己との戦いだ。

Dye the sky.は恐らく、そういう歌詞だ。



覆せ、塗り替えろ


「青春」にそういう一面があるというのは、理解してもらえただろうか。

しかし、恐らく君たちの中には「でも結局それってアイドルマスターシャイニーカラーズらしくないんじゃないか?」という聡明なPもいることだろう。

確かに、アイドルマスターシャイニーカラーズはそんな話をこれまでそんなにしてこなかった。

しかし、実はここまで強烈ではないにしても、アイドルたちの「アイデンティティ」の悩みというのは、シャニマスは扱ってきているのだ。

わかりやすい最近の話で言えば、そうだ、「薄桃色にこんがらがって」だ。あとは「Star n dew by me」もそうだな。(読んでいない君は今すぐに読むといい。今なら期間限定で誰でも読める。そうだ、誰でもだ。)


そしてこれまでにしていなかったとしても、これからしないという保証はどこにもない。

"限界なんて本当はそこにない
覆せ、自分さえ"

と、Dye the sky.でも言ってるではないか。

むしろこれからそうった話が増えてくるのではないか、とも思っている。

決して楽しくてキラキラした話ではないが、それもまたアイドルマスターシャイニーカラーズである。

俺たちは、それを楽しみに待っていよう。


アイドルとしての、彼女たち


そしてここからはかなり個人的な見解なのだが、ついでだと思って聞いて欲しい。

ツイッターのTLを何となく見ていたらこんなつぶやきが目に飛び込んできた。


"何か欅坂っぽい曲だね"


そこで俺は新たな仮設が脳内を駆け巡った。


……そうか、これはアイドルソングなんだ、と。



今までの楽曲は、シャイニーカラーズ全員の自己紹介のような歌だったり、ユニットらしさを表したような歌だったり、そんな歌が多かったのがシャイニーカラーズの特徴だった。(例えばトライアングルなんてイルミネーションスターズ3人の歌で、3人がお互いに対して歌っているような、そんな素晴らしい歌詞で、思わず泣いてしまうし、よりみちサンセットは放課後クライマックスガールズの5人が帰り道で元気にそして寂しそうに歌っている様子が浮かんで、思わず泣いてしまう。泣いてばっかだって?うるさい)



しかし、世の中の楽曲を見てみると、果たしてそういう曲が多いかと言えば、そうではないのだ。


何せ、今でこそアイドルは身近になったとはいえ、アイドルマスターシャイニーカラーズのように、擬似的にプロデューサーになったり、擬似的に事務所の壁になったりして、アイドルたちの日常を垣間見ることは多くないし、アーティストなら尚更私生活などは見せない方がカッコいいだろう。

(余談だが昔テレ東でやっていたASAYANというオーディションバラエティ番組はとてもおもしろかった。鈴木亜美やモー娘。などそこで誕生し、しかもその彼女たちのオーディションや仕事の裏側まで見せてくれていたのだ。ある意味アイドルマスターシャイニーカラーズのような番組と言っても過言ではない(過言だ))


話を元に戻そう。本来曲というものはそれ自体で理解できる方が良いのだ。

そしてそういった商業曲のターゲットは10代である。

そうすれば自ずと歌のテーマというものは絞られてくるだろう。

たとえば、恋の歌。

たとえば、応援歌。

たとえば、青春の歌。

そう、Dye the sky.は青春の歌だ。青臭い10代がもがいてアイデンティティを確立する歌だ。

みんなそういう歌は好きだろう?俺も大好きだ。


つまりどういうことかというと、Dye the sky.については実はそういう商業的な、アイドルソングとして、例えば欅坂やAKBのような、本物のアイドルとして歌っているのではないか。俺はそう思った。


だとしたら、とても凄くないか?


今までは、アイドルマスターシャイニーカラーズをやってきたプロデューサーに向けて、私達はこう思ってるんです、等身大の私達の歌を聞いてくださいと歌っていた彼女たちが、アイドルとして、プロとして、Dye the sky.を歌っているんだ、と。


まるで本物のアイドルになったみたいじゃないか?


WINGで優勝した彼女達はゲーム内では立派なアイドルになった。でも今までの歌は俺たちへの歌だった。だからシャニマスを知らない人に対しては「いい曲だね」止まりだった。


しかしDye the sky.は違うのだ。


ゲーム内の彼女たちを知らなくても、10代の女の子が「青春」の歌を最高のロックのビートで歌い上げているという事実だけで、アイドルマスターシャイニーカラーズを好きになってくれる。

そんな可能性がある歌だと、俺は思った。


そう、彼女たちは今ここでアイドルになったんだ。


だから俺たちも、拳を上げて、この歌をうたおう。

声を張り上げて、アイドルマスターシャイニーカラーズを知らない人たちに届くように。


誰よりも、何よりも。

世界の全てを打ち破って。



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