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母を想う日

言い訳だが忙しかった。

仕事のことを考えていて、
母の日はまだ先だと思いながら
花屋の前を通り過ぎていた。
そうか…今日は母の日だった。

母は子どもの頃に亡くなった。
亡くなった母が生きたかった今を、
私は今日も生きている。

そう思うだけで今を大切に生きられる…

母の姿は病床の記憶が大き過ぎて
元気な頃の姿が薄い。
手作りのサンドウィッチを持って
どこかへ連れて行ってもらったり、
記憶はたくさんあるはずなのに、
白い壁の病室でベッドに横たわる
母の姿で全てが上書きされてしまいそうだ。

輸血の濃い血の色。
ピンク色、薄紫色、透明な点滴の数々…
一生目に焼きついている。

母のことが大好きだった。
とにかく母の近くにいたい子どもだった。

私の膝には小さな切り傷がある。
元気だった頃の母は自転車の後ろに
私を乗せて狭い道で転倒した。

私を庇うような転け方をしたと
一緒にいた母の友人から後に聞いた。
場所を覚えている限り、4歳の記憶である。

母は私を守ってくれた。
それだけで人生を生きていける。
それだけで充分だ…

人は誰かに何かを求めたくなる。
しかし求め過ぎてはいけない。

もし今、このnoteを読んでいる人のお母さんが
あなたにとって「嫌いじゃない」人ならば
最大級のありがとうを
伝えられる今日であれば嬉しい。

あなたにとって所謂、過度な毒親ならば、
周囲に助けを求めて自立を促したい。
親を大切に…?
いや、傷を想像できない周囲の言葉は気にせず、
助けを求めて下さい。

全ての母親が子を愛せる訳ではないので
自立して自分の「大切」を見つけて欲しい。
苦難は多いけど、大丈夫。
今いる環境より光が見えるから…

話が飛んだ…職業病か。母の日の話だった。
母親と子どもを語ると
つい重い話に偏りがちだ。

今日は母の日。
車窓から見える窓の灯りの中で、
愛ある1日が過ぎたことを願い止まない。

「ありがとう」と伝えたい時に
大切な人は、もういないかもしれない。
感謝の言葉は出し惜しみなく伝えたい。

「お母さん、ありがとう。
あなたがいたから今を生きてる。」

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