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リノリウム甲板って何?


 日本海軍の巡洋艦や駆逐艦あるいは戦艦の艦橋や艦載機の甲板にはオレンジっぽい茶色あるいは焦げ茶色に塗装された部分があります。この部分はリノリウムと呼ばれる素材でできているのでこのような色で塗るようキットの説明書には書かれています。
 では、このリノリウムとはいったい何なのでしょうか?
 モデルアート『艦船模型スペシャル』No.19に掲載された衣島尚一氏の「資料編・リノリウムの話」(「モデルアート艦船模型スペシャルNo.82 2021 WINTER 雑学と表現方法」に再掲されています)に詳しい解説がありますが、ネット上で検索しても艦船での使用について記載された記事はほとんど見当たりません。
 そこで、今回かつて日本海軍で使用されていたリノリウムを製造していた東リ株式会社の「東リ インテリア歴史館」を訪れたのを機に、この謎の多いリノリウムについて衣島氏の記事を踏まえつつ解説していきます。

1.リノリウムとは?

Pic.1-1 リノリウムの素材特性

 1863年にイギリスのフレデリック・エドワード・ウォルトン (Frederick Edward Walton)は、酸化した亜麻仁油(亜麻という植物種子から採れる油)がゴム状になることに着目し、これにコルクなどと混ぜてジュート(黄麻という植物繊維を編んだもの)に塗ることで床材に有用な材料が生成されることを発見し、リノリウム (linoleum) と名付けました。

Pic.1-2 由多加織

 日本で製造されるようになったのは、「由多加織(ゆたかおり)」という横糸(緯)に稲藁を用いて織った厚地の敷物を兵庫県の伊丹で製造していた寺西豊太郎が、業態転換して1919年に東洋リノリユーム株式会社(現在の東リ)を設立してからです。寺西は、それまでの由多加織の技術を生かしつつ日本で入手しやすい、亜麻仁油、松脂、顔料、木粉、コルクとジュートを原料として国産のリノリウムを開発しました。
 一般的には「リノリウム」と表記されていますが、「リノリューム」という表記も見られます。また、寺西の会社名は「リノリユーム」で「ユ」が小文字ではありません。いったいどれが正しいのでしょうか? 実は、「リノリウム」は商標登録されていて(現在はスイスの会社が所有しいるそうです)、日本での販売に使用できないため「リノリューム」あるいは「リノリユーム」と表記したのだそうです。

2.なぜ軍艦で用いられていたのか?

 イギリスでは早くからウォルトンの発明したリノリウムが、駆逐艦などの甲板材として用いられていましたが、それはなぜでしょうか?軍艦は、近代化に伴い木製から鉄製に代わりましたが、鉄の甲板は熱くなるので、防熱のために鉄の上に木が貼られていました。衣島氏によると、戦闘で砲弾を受けた際に、木はささくれだって乗組員に傷を負わせやすいのが欠点でしたが、リノリウムは砲撃を受けても細かく破損するので傷を受けにくいため、使用が広がったのだそうです。
 「インテリア歴史館」では、もう一つの理由を挙げていました。リノリウムには抗菌作用があるというのです。このため、傷を受けたとしても化膿しにくいので軍艦で採用されたとのことです。

Pic.2 海上火災保険会社の耐火証明

 一方で、可燃性の材料ばかり混ぜ合わせたリノリウムは燃えやすいのではないかという疑問が沸きます。実際、日本海軍では大戦末期にリノリウムを剥がした艦があると伝えられています。しかし、耐火性は他の材料よりも高かったという事例が当時の海上火災保険会社の資料から伺えます。

3.リノリウムは丸めることができる!?

 昭和40年代頃までは戦前からあった建物にはリノリウムが使用されていたので、その印象からリノリウムというものは30㎝四方くらいの板状のパネルだと思っていました。森恒英氏によると、日本海軍のリノリウム甲板の規格は、厚さ3㎜、幅1.83m、長さ27.3mで淡褐色を使用したとあります。幅1.83m、長さ27.3mのパネルってどうなっているのだろう?と思っていたのですが、現物を見て氷解しました。

Pic.3 リノリウム第1号製品

 製造方法にあるように、ジュートという織物の上に樹脂(ペースト)を塗ったものがリノリウムだったのです。「インテリア歴史館」には、100年前に製造された第1号が保存展示されていますが、一部樹脂が剥げ落ちて下のジュートが露出している部分があります。つまり、リノリウム甲板は、一般の絨毯のような敷物だったのです。このため、輸送時には丸めることができたそうです。
 敷物状なので、巡洋艦の艦幅や戦艦の艦載機甲板のような長さに対応できたわけです。こうして、日本海軍の駆逐艦や巡洋艦などにリノリウムが使用されてきました。

4.どの艦に使用されていたのか?

Pic.4 リノリウムの研究・開発

 これに目を付けた寺西豊太郎は、国内生産すれば多くの需要が見込めると判断し、国産リノリウム開発後すぐに海軍での品質試験を実施しました。早くも1922年には、海軍の指定工場として認められたので、その後に国内で建造された艦に東洋リノリユーム製品が用いられたと考えられます。「インテリア歴史館」ではどの艦が最初だったかは展示されていませんでしたが、衣島氏は1924年よりあとに建造された川内型以降の巡洋艦や新たに艦載機甲板を設置した戦艦には東洋リノリユーム製品が用いられたのではないかとしています。当然1924年以前に建造された重巡洋艦などは海外製のリノリウムが使用されていたということになります。
 一つ衣島氏の記事で気が付いたことを付け加えておきます。戦艦では、艦橋にもリノリウムが使われていますが、ここは金属製の抑えは使用されていなかったのだそうです。今まで制作してきた戦艦では、艦橋の露天部分にも真鍮線でリノリウム抑えを表現していましたが、これは不要だったようです。

5.リノリウム色とは?

 かつて、リノリウム甲板の色は茶色、明るい茶色、淡褐色と表現されていましたが(黄色という指定も見かけました)、最近では「リノリウム色」が販売されています。このリノリウム色は、やや暗い茶色となっていますが、実際のところはどうだったのでしょうか?また、海外製と国産では色は同じであったのでしょうか?このリノリウム色は、やや暗い茶色となっていますが、実際のところはどうだったのでしょうか?また、海外製と国産では色は同じであったのでしょうか?

Pic.5-1 当時のサンプル
Pic.5-2 リノリウムの色見本

 「インテリア歴史館」に展示されいる当時の現物サンプルと色見本の画像を載せていますが、色見本の「茶色」が海軍で用いていたものだそうです(衣島氏)。これを見る限りは少し暗い茶色となっていますが、現物サンプルや第1号の保存品はかなり焦げ茶色に近い色になっています。色サンプルも現物サンプルも経年変化でかなり変色してしまっているそうで、元の色がどのようなものであったかは、今となってはわからないのだそうです。また、海外製品との違いも不明ということでした。ただ、最初は明るいものが使用していくうちに暗い色に変化していくことは事実だそうです。また、太陽光の影響、海水の影響、清掃や油塗りなどのメンテナンス状況によっても色の変化は異なるそうです。
 つまり、一般的に言って艦が新しいうちは明るめ、年数が経つと暗くなっているとしか言えないことになります。モデラ―としてのこだわりあるいは楽しみとしては、艦の状況によって塗分けるしかないかな…ということで、この件に関しては締めたいと思います。

6.「東リ インテリア歴史館」について

Pic.6 東リ インテリア歴史館

 「東リ インテリア歴史館」は、兵庫県伊丹市の東リの伊丹工場敷地内にあるピンク色の2階建の洋館です。1920(大正9)年に建てられた事務所を解体修理し、2019年4月から東リの歴史を紹介する企業博物館として一般公開されています。
 見学は予約制で、Webサイトで申し込むことができますが、平日の午前と午後のそれぞれ一組限定となっています。というのも、ガイドの方がついて、東リの創業当時から現在に至るまでの数々の製品の紹介をしていただけるからです。インテリアの歴史を知りたい方は訪ねられてはいかがでしょうか。

7.参考文献

  1.  モデルアート社 艦船模型スペシャル No.82 2021 WINTER 『雑学と表現方法』

  2.  グランプリ出版 森 恒英 軍艦メカ図鑑 日本の巡洋艦 1993

  3.  グランプリ出版 森 恒英 軍艦メカ図鑑 日本の駆逐艦 1995

  4.  大日本絵画 アーマーモデリング3月号 別冊ネービーヤード vol.52 『戦艦、重巡の航空甲板っておもしろい!!! 』 2023

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