いろとりどりの真歌論(まかろん)  #10 和泉式部

黒髪のみだれもしらずうち臥せばまづかきやりし人ぞ恋しき

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 わたしはこれを「黒髪のみだれもしらずうち臥せばまづかきやりし」がまとめて「人」にかかると解釈したい。「黒髪のみだれもしらずうち臥せばまづかきやりし人ぞ」「恋しき」だ。

 そう解釈するとなにが楽しいかって、暗闇でエッチにいちゃついているカップルのシーンを頭に思い描きながら読み進めていたら、最後の4音「恋しき」でそのシーンからいきなり黒髪をかきやってくれていた人が消えるのだ。好きだった人を唐突に失った瞬間の、悲しいのかなんなのかすらよくわからない茫然とした気分が、歌の流れを追いかけるだけで追体験できてしまう。

 じゃあ、この黒髪の持ち主(作中主体)は、どんなふうにかきやりし人を恋しく思う目にあったのか。一番シンプルなのが死別だ。だけれど、私は、作中主体が「〜人」に対する恋愛感情を失った、つまりは冷めたと解釈したい。あんなに好きだと思っていた相手に対して、唐突にまるで好きという感情が持てなくなってしまった戸惑いの歌。いつもと同じことをしているはずなのに、もはやいつもの思いが自分の中にはないことに気づいてしまった歌。


☆作中主体……サクチュウシュタイ。短歌は「歌=詠んだ人の体験談」ととらえがちだけれど、必ずしもそうではない。一緒くたにしないように解釈・説明するため、小説などでいう主人公のポジションをこう呼ぶ。近現代の短歌用語。

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