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ハンバーガー(食材)とハンバーガー(氏)の話。

東京には「Burger Mania」というハンバーガーのお店がある。都内に三店舗展開されているこのお店はハンバーガーがとても美味しい。所謂ファーストフード店ではないので値段に関しては一度確認しておく必要こそあるものの、それに見合うだけの味を確実に提供してくれるとてもいいお店だ。
私が大好きなのはウルティメットブルーチーズバーガーで、名前の通りブルーチーズが使われている。ブルーチーズと聞くと癖の強い味や匂いから敬遠する人もいるだろうが、構成する食材全てをこだわり尽くした「Burger Mania」のハンバーガーは、そのような癖さえも暴力的な旨味としてパンズの奥に封じ込んでしまえる。私の知る限りこれを食べた人は皆美味しい美味しいと騒ぎ出すか無言で瞬く間に完食するかの二者しかいなかった。ちなみに私は前者である。私は自家製マニアックコーラも密かにおすすめしているが、正直どれも滅茶苦茶美味しい。是非一度足を運んでみて欲しい。

ところでハンバーガー氏についてである。「氏」とつけたことから分かるように、こちらは食べ物ではなく人名、ペンネーム(アカウントネーム)だ。Twitterでほぼ毎日『ハンバーガーちゃん絵日記』を投稿し、コミック電撃だいおうじや青騎士でも連載を持っているかの人気漫画家ハンバーガー氏(@HundredBurger)と私は、何故かTwitter上で相互フォローの関係なのである。

なんでだよ。

マジで全く記憶が無い。気がついたらフォローされていたし悲しいことに私もいつフォローしたのかさっぱり思い出せない。私と言えば『ひとりぼっちの地球侵略』及び小川麻衣子先生の熱烈なファンなので、それ関連なのかと思ったけれどもその形跡もない。謎である。
そもそも小川麻衣子先生以外の漫画家さんのことをあまり注目することもない人生だったので、ハンバーガー氏の漫画に関しても別段意識はしていなかった。ある日を境にTLに流れてくるようになった『ハンバーガーちゃん絵日記』も「なんやこれ?」という顔をしてスルーするほか無かったし、その絵日記の内容も「よくあるTwitterエッセイ漫画やろうて」みたいな認識以上のものは何も持っていなかった。

しかし気づけばどうしてなのか相互フォローだったのだ。9万以上のフォロワーと月刊連載を持つ漫画家が1500人前後フォローしているアカウントの一人なのである。なんかこう……これで作品を無視するのは申し訳ない……そう思って漫画を読み始めて現在に至る。
『ハンバーガーちゃん絵日記』は今でもさして面白いとも思わない(ひどい)が、コミック電撃だいおうじで連載中の『忍者と殺し屋のふたりぐらし』は正直かなりいいと思っている。作者本人の人間不信が作品にデカデカと恥ずかしげも無く表出しているので、読んでいて楽しい。作者の考え方や思想みたいなものについては、絵日記として実際の動向と共に強調されるよりも架空の物語として出力される方が私は相性が良いらしい。明日発売なので電子書籍で手元に置いておきたい。

ここまで美味い飯屋の話と自慢話に終始しているが、以上は全て前振りだ。話は昨年10月にまで遡る。そう、私が所属している同人サークル〈アレ★Club〉の雑誌『アレ』Vol.10の入校日が近づいていた頃である。
私はVol.9~10は裏方に徹していたので基本的に各記事の校正が主な仕事なのだが、それでも二つほど記事を書かねばならない部分がある。作品レビューである。『アレ』では各号のテーマに沿ってサークルメンバーがその都度紹介したい作品のレビューを書くことになっている。作品の媒体に関しては自由となっているが、私の場合は何となく流れでアニメとか漫画とかその辺りが主となっている。
これが今回はかなり難航した。
元々編集長から「書くのは最後で良いし最悪一つくらい没ってもいい」とお達しは受けていたので気負いはなかったものの、ある作品についてどうしても面白いレビューが書けなかったのだ。
その作品とは、小川麻衣子先生の百合漫画『魚の見る夢』である。

自慢ではないが私は小川麻衣子先生の作品に関しては「少々」詳しい。『魚の見る夢』に関しても3万文字前後の感想文を書いたりしているので、とどのつまりはそれを今回のボーダーである1300文字前後に収めるだけでいい。いいのだが……サークルメンバーからのOKがでないのだ。
実際どんなレビューを書いていたのか、没原稿のデータが残っているので以下に掲載することにする。引用形式にしておくので、読み飛ばしたい方はスクロールして欲しい。

 周防家の姉妹である巴と御影は、今は亡き妻の面影を御影に見いだそうとする父を避け、自宅に二人で暮らしている。父の情動に恐怖しつつも、自分の身を省みることなく他者とその情欲ごと溶けようとする御影と、家庭の崩壊によって失われた「普通」に固執する余り、他者との関係性の変化を受け入れられない巴。互いのクラスメイトを巻き込みつつ、二人は自身の歪みと向かい合いながら少しずつ新しい関係を模索し、惹かれ合っていく。
  本作では繰り返し描かれる二つの問題提起がある。まず一つは、恋愛を「相手に自分と同調することを強要する」行為であると一貫して描いた点である。自分と完全に同一の存在などあり得ない以上、自分に同調することを他者に求める行為は、必然的に暴力性を帯びてしまう。それがたと例え自壊する己を他者へ投げ出したいという願いだとしても、ただ安心できる形の中で共にいたいというささやかな願いだとしても、それが他者を求める限り、そこには暴力性が必ず介在せざるを得ないことを、本作はラディカルに告発している。
 もう一つの問題提起は、上述した暴力性があくまでも相対的なものであることだ。他者を愛するという行為に暴力性が伴うのであれば、それに対する反応が受容にせよ拒否にせよ、同様の暴力性がやはりそこには伴っていることになる。こうして本作では、求め合うということが互いを傷つけ合うことに繋がる、という構図を様々な形で描いている。いわゆるヤマアラシのジレンマに近いが、それがたと例え単なる友達であろうとも求める以上は暴力であり相手を傷付けているのだと明示してみせた時点において、よりシビアな世界観だとも言える。
 こうした問題提起を内包することで、本作は女性同士の、姉妹同士の恋愛に関しても批判的な視点が導入されている。それはすなわち「百合漫画」であることそのものへの批判でもある。同性であり、ましてや血の繋がった相手との恋愛は「普通ではない」と強調することで、二つの問題を強調しているのだ。勿論上述した通り、ただの友達という関係であっても暴力性が伴う以上、他の関係を望んだとしてもそこに逃げ場はない。ならば彼女達は如何にして自分たちの想いを肯定するのか。
 周防姉妹が最後に辿り着いた結論は、望みを叶えるために相手を求めるのではなく、自立した一人の人間として相手の望みを受け入れることだった。本来望んでいた枠組みを失うとしても、互いが負わせる傷を了解できる二人だからこそ構築できる新たな“家族”という枠組みを作り上げたのだ。その枠組みに他者が入り込む余地などある筈もなく、エピローグでは外界から隔絶された彼女らの未来と、その中でも幸せに生きていきたい、幸せに生きていけるのだという二人の確かな意志が描かれている。冷たく暗い水底で、それでもきっと夢を見ることができる魚のように。
 信じるという行為は一方的な行為だが、それを敢えて相互に行うためには、寧ろ相手の信頼とそれによって生まれる負担や責務に応える必要がある。百合漫画というジャンルそのものに敢えて疑問を投げかけることで、最終的に作品のテーマの帰着として百合を選択し得た本作は、その物語においてもジャンルに対する作品としての姿勢においても、信じるという行為と正対してみせたと言えよう。

こんな感じである。頑張った。頑張ったのだが、どうしてもOKがでなかった。内容を確認したサークルメンバー曰く、
「作品の内容を丁寧に分析して端的にまとめきっているんだけど、それ以上のものになっていない」
「さいむはこういうのよりも”面白い”記事を書いた方が火力が出るんだよなぁ」

とのことであった。

面白い……面白いってなんだぁ……? 咄嗟に考えてもここまで真面目くさった脳みそをいきなりギャグに寄せるのは難しい。私は悩んだ。どうすれば「面白い」レビューが書けるのか更に問い詰めると、

「面白くないんだけど面白いとか、面白そうだけど面白くないとか、そういうのだよなぁ、この場合」

という、完全に禅問答でしかないアドバイスが返ってくる始末。そんな絶妙な塩梅を提供してくれる題材なんか……咄嗟に手元にあるわけが……。

あったのである。『ハンバーガーちゃん絵日記』だ。

帯にご注目。

そう、あれほど前振りでなんだかんだと言っておきながら、私は『ハンバーガーちゃん絵日記』の単行本を購入していたのである。しかもアニメイトで、特典付きで。
……だって……小川麻衣子先生の『てのひら創世記』の店舗特典を秋葉原へコンプリートしに行ったらなんか売ってたんだもん……。

などと言い訳をしている場合ではない。ここまできたら猫の手も借りたい。私は今一度『ハンバーガーちゃん絵日記』を読み始めた。
しかし、今までと印象が変わらない……これをどう面白がれって言うんだ……?
巻末にうつ病の話とか載ってるし……免許合宿の話とかなんかめっちゃ辛いし……。

第一、ハンバーガー氏ご本人が結局男性なのか女性なのか、漫画だけを読んでもいまいちよく分からない。占い師のお話なんかは思いっきり「女難の相」って書いてあるけど、これだけで断言するのもよくない。というか「お話を多少は盛ってる」と書いてある以上、何かしらの誤魔化しが入っている可能性も十分にありうる。大体、”中の人”が男性であろうと女性であろうと正直一切関係ない、と本当は言いたくてたまらない。そこをあれこれ勘繰ってしまうのは目の前の絵日記そのものと逆に向き合っていないんじゃないかというか、そこは察して深く突っ込まないのがマナーのいい楽しみ方なんじゃないかというか。……とか思ってたら単行本の帯には「※この作品におじさんはいません。」とか書いてあるし、そう謎のフォローを入れられるもんだからじゃあ結局この人の性別はどっちなんだ? というノイズが更ににひどくなる始末。絵日記なのにここまで不確かな内容で戦ってきたのかと逆に感心したくなるくらいである(あんまり具体的なのもそれはそれで困り者だが)。

そう言えば、そういう不確かさの中で頑張っていた頃が自分にもあったなぁと、一年ぶりに思い出した。

『ひとりぼっちの地球侵略』の連載中は、何もかもが分からないことだらけだった。正確に言えば、『ひとりぼっちの地球侵略』については読めば読むほど、最新話を読む度にその解像度がどこまでも上がっていくのに、「なぜ自分はその作品を楽しんでいるのか」という答えがどうしてか見えてこなかったのだ。その場その場の言葉で必死に取り繕っても上手く伝わらないし、かといって作品について読み込んだ成果を感想だの考察だのと言って披露して見せても「私がその作品を面白がっている」という事実の傍証にしかならない。昔は「この作品について私より詳しい人に会いたい」と常々思っていたものだったが、実際は「私がこの作品を面白いと思っていることに共感してくれる人と出会いたい」と思っていたのだろうと今は確信できる。残念ながらそれを心底共有できる誰かとはついぞ出会えなかったが(無論これは私の視界の狭さに依るところ絶大である)。

そうした狂人同様のムーブを繰り返してもTLにおいてギリギリのところで完全に愛想を尽かされていなかったのは、恐らく『ひとりぼっちの地球侵略』に執心している私の言動それ自体が面白かったからなのだろう。確かにあの頃は一つの作品に夢中になっている自分という存在についても自問し続けることが本当に多かったが、そういう姿勢自体がコンテンツになっていのだろうと今ならばよく分かる。

『ハンバーガーちゃん絵日記』からは作者ご本人の人間不信が垣間見えるシーンが多くみられるが、その中でもこの作品を外へと発信し続けた、という点にはなんというか、おかしな共感を抱かざるを得ない。何を信じられなくとも、自分が面白いと思えることは自分にとっては真実だからだ。それを外へと発信する行為には常に自身と世界との祖語という綱渡りが発生こそするものの、それがかえって新たな面白さを生み出すこともありうる。
自分が面白いと思った作品をどこまでも信じ、またそうした在り方自体を面白がってもらえたからこそ私がインターネットで生き延びられたように、この作品にはハンバーガー氏が面白いだろうと思えたことが詰まっている。自分がそうであったように、ハンバーガー氏にとってはそれこそが一度失われた世界への架け橋だったのではないだろうか。

……みたいなことを考えてしまったら、なんと原稿が書けてしまった。自分でもびっくりである。が、人間1%でも書けると思ったものは頑張れば100%書けてしまうものだ。

かくして完成した原稿は無事サークルメンバーからの掲載許可が出た(その中身は勿論、好評発売中の『アレ』Vol.10にてご確認いただきたい)。「こういうものでいいんだよ、こういうもので」と笑いながら出されたOKを、しかし私は満足に受け取れることができなかった。だって本当に頑張りたかったのは『魚の見る夢』の方なのである。いつも味わっていた自身と他者との興味関心の齟齬であるが、こういう形で表れるとまた一段と凹む。
今では何故自分が『ひとりぼっちの地球侵略』にあれだけ執心していたのか分かるようにはなったものの、それを他者と共有できるか否かはまた別問題だ。以前サークルメンバーがTwitterにおいて
「人間は三年間ほど何かについてしっかり研究するると、誰も考えていない問題と他の誰も出していない答えに辿り着く。そして、その境地はしっかり説明したところで一朝一夕に他の人に理解されるものじゃない。」という趣旨のツイートをしていたのを思い出す。確かに私は、『ひとりぼっちの地球侵略』との日々を経て培った思想・思考で今を生きている。しかしその発端になった『ひとりぼっちの地球侵略』と、思考・思想は結局別のものなのだ。以前月姫を遊んだ際にも実感したことではあったが、今度はそれをマイナスの結果で味わうこととなった。こればっかりは原稿さえ上がればよしという気分にもなれない。きっと私はこの齟齬を、それでも「ここ」に存在する様々な「面白さ」をその指標として何とか乗り越え続けなければならないのだろう……そんなことを考えながら、私は大詰めを迎えつつある『アレ』Vol.10の編集作業へと戻っていったのであった……。


それからしばらくたった2021年11月18日のことだった。『アレ』Vol.10のお披露目となる第三十三回文学フリマ東京開催の5日前である。
にわかにハンバーガー氏の話題でTLが騒がしくなったのである。
なんのだろうと気になった私は、検索をかけた末に発生源と思しき記事にたどり着いた。
それがこちらである。冒頭の文章にご注目いただきたい。

Twitterで毎日、その日起こった出来事を絵日記漫画にしてアップしているハンバーガーさん。

本人は30代の男性ですが、オリジナルの女子高生キャラ「ハンバーガーちゃん」をアバターのように使って絵日記漫画を描いています。

https://note.com/creatorecolab/n/n71285e88c8ff

……………………。
自分の原稿を読み直す。

単行本の帯には「※この作品におじさんはいません」と注意書きがしてある。「え? じゃあ本当はおじさんなの?」と思ってみたりもするが、それを示す証拠は少なくとも単行本内には見当たらない。

『アレ』Vol.10

……………………。
本当に……男性だったのか……というか結婚されていたのか……。
いや、こう、本当に漫画の内容くらいしか本人に関する情報を追っていなかったから情報が漏れてしまったんだけど、じゃあ作者ご本人のTwitterをくまなく追ってまでしてそこを問い質すことがこの作品を楽しむ方法として正しかったのかどうか言われればコメントに窮するし、かと言って分からないと書いたのは一方的な忖度に過ぎないと言われればそれまでだし、相互フォローなのにそんなことも知らないのかと言われればぐうの音も出ないし、結局内容的にそこまで謝罪するほどのことも書いてない気もするけどもそれはそれとして申し訳なさはあるというか……その……えっと……。

なんか……知らなくて本当にすいませんでした……。


というわけで、『アレ』Vol.10の編集後記にみせかけた完全なる謝罪記事でした。こんなことばっかりnoteにしてる気がする。お詫びにもなりませんが、『ハンバーガーちゃん絵日記』はKADOKAWAより好評発売中です。「面白い」ので是非手に取ってみてください。コミック電撃だいおうじにて連載中の『忍者と殺し屋のふたりぐらし』も1巻が明日1月27日に発売予定です。買おうね。私は買う。

そして弊サークルの最新刊『アレ』Vol.10も発売中です。下記のリンクよりお買い求めください。

【追記】
実は、昨年12月12日までAKIHABARAゲーマーズ本店にて開催されていた「ハンバーガーちゃん」POP UP SHOPに滑り込みで行ってきました。


なんというか、こういうバニーガール的な衣装とかそういう感じの巨大なイラストとかコスプレとかそういうのを写真で撮るという経験が人生においてほぼなかったものですから、記念撮影なのにえもいわれぬ羞恥心を味わいました。グッズはほぼ売り切れていたのでバッヂだけを買いました。なぜか購入直後に地震に遭いました。エレベーターが止まってトボトボ階段を下りながら、なぜ私はここに来てしまったんだろう、という疑問は最後までぬぐえませんでした。

記念撮影。

楽しかったです。

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