アタック25の話(1)

序章〜クイズとの出会い〜

パネルクイズアタック25(以下)。初めてその番組を観たのは小学生の時だった。クイズ番組好きだった祖母と共に。4色のパネルが目まぐるしく変わる様は、クイズが全く分からなくても観ていて楽しいものだった。

しかし、それから社会人に至るまで、クイズに関してはアタッククイズ番組を観る程度(アメリカ横断ウルトラクイズ)で、自分の関心は音楽かゲームに強く向いていた。それでも、中学生の時には地元の祭りで行われたクイズ大会で準優勝して賞品をいただいたり、高校生の時には仲の良かった友人と高校生クイズに参加はしていて、ゲームにしてもクイズゲームはプレイしていたので、クイズに全く関わりのない人生ではなかった。

その中でも、2003年に稼働を開始した「クイズマジックアカデミー(以下QMA)」に自分がどっぷりとハマるのには、大して時間はかからなかった。元々ゲーム好きでゲームセンターには通っていたし、なんならゲームセンターでアルバイトを始めその後一時期社員にまでなっていたほどだった。毎日のようにプレイしていたある日のこと。同僚に、

「クイズ番組に出ようとは思わないの?」

と声をかけられた。考えたこともなかった。いや、考えたことはあったが、自分が解答者としてテレビに映ることが想像できなかった。それ以上に、番組に出られるほどの知識があるとは思っていなかったし、この世にクイズ研究会というものが存在し、クイズ猛者がいくらでもいることくらいは知っていた。自分が立てる場だとは思っていなかった。そう思い否定すると、

「予選に参加するだけしてみたら?」

との返答。確かに参加するのは自由だ。オリンピックだって「参加することに意義がある」と言われる。一気に、自分の中でアタック25に参加してみたい、出場してみたいという気持ちが溢れ出してきた。

そこから予選初参加までどうしたか。実はQMA以外は何もしていなかった。というのも、クイズサークルへの参加もこの時模索はしたが、某サークルには断られ、別のサークルに関しては日程が合わず(自分が休みが不定だったので)、まともにクイズに触れられる機会はQMAくらいだった。そんなある日、一枚のハガキが届く。アタックの予選参加の案内だった。

つづく

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