会社案内(28日目)

友人と飲んでいる時にこんなことを聞かれた。

「本名の自分と伊藤螺子としての自分ってどう棲み分けてるの?」

たしかに「別名を持っている」というのは奇妙な状態ではある。
分裂した自分というテーマでいえば、先日発売された『トラベシア』第4号でも一人称のぼく、おれ、わたしがどう棲み分けられているのかを書いたが、本名とペンネームというのはまた少し違った棲み分けかたになる。

感覚としていちばんしっくりくる分け方は、同じ会社の違う部署、というものだ。
本名は営業部門、ペンネームは企画部門、という感じ。

株式会社伊藤螺子は社員数が片手で数えられるような小さな会社だ。
とある会社の新事業として立ち上げられてから数年が経つ。

本名は本体からの出向で、営業部門をまるっと担っている。
外に出て稼ぐ業務はほとんど本社から連なる本名の仕事だ。
何しろ文筆という仕事はこのホールディングスの主たる収益源ではない。
一時は花形部門として肝いりでスタートしたものの、諸々の事情で一回潰れかけたような有様だ。
将来的には子会社単体での収益化が目標ではあったが、近年は本社の方針として、事業の捉え方がメセナ的な方向へなんとなく変わりつつある気がしている。
本名と仕事で付き合いのある人の大半は、そもそも文筆のことを知らない。

その、後からできた株式会社伊藤螺子の核たる文筆系企画部門を担っているのがペンネームたる伊藤である。
創作に関わるものすべてはここで動いている。
収益のみで見ると何もしていないに等しいが、会社としてはこの人がやっていることが永続的にやるべき仕事である、という認識がある。
便宜上部署が分かれてはいるが、伊藤も自分の営業は自分でやるし、本名との意見交換ももちろんやる。
部署が分かれているのが面倒だな、と思うこともあるし、分かれているからこそ余計に表に出ずに済んでやりやすいところもある。

こう書くとそれなりにはっきり分業しながら共存しているように見えるかもしれない。
でも実際のところ、この会社はよりめんどくさいやり方で回っている。

伊藤は、文章を「書く」ことはできるが、それはフィクション以外の場合に限るのだ。
フィクションの場合、彼は文章を「受け取る」のが仕事なのである。

では実際は誰が「書いて」いるのか?

実はこの会社には、もうひとり社員がいるのである。

社の地下奥深くに、小さな開かずの扉がある。
その前には囚人の独房に皿を差し入れるのに似た、蓋つきの穴が開いている。
中には気まぐれで怠け者の小人がひとり棲みついていてタイプライターを前に毎日延々うなり続けているとか、中にいる何かを保護するためにそもそも会社が設立されたとかいった噂があるが、中にいる「社員」の姿を実際に見た者はいない。

伊藤はその穴へ、企画書や資料、関係なさそうな本や音源や映像、日記、その他のがらくたをぼんぼんと放りこむ。
そしてひたすら待つ。
ときどき扉をゴンゴンとノックするが返事はない。

伊藤は待ち疲れ、もどかしさにいらだつ。
何をいくら放りこんでも何の反応もないまま時間だけがいたずらに過ぎる。
お前は何もやっていない、何も生み出せていないじゃないか、という自分の内なる声にさいなまれ、叫び出しそうになる。

ある日伊藤は、延々と続く自己嫌悪に疲れ果て、今日という今日はもう我慢ならん、あの扉をぶち壊してやる、とハンマーを持って地下の部屋へ向かう。

部屋の前にたどり着き、えいやと重いハンマーを振りかぶったところで、伊藤はぴたりと手を止める。
足元に何かが落ちている。
白い紙束だ。伊藤はその重なりの一番上をぺらりとめくる。
目を細めてもう一枚めくる。
裏にはりついていたものを伊藤は一瞥すると、ハンマーを置き、代わりに紙束を拾い上げ、ため息をつきながら引き返していく。

「っていう感じの会社案内どうスかね?」
と提案したら、本名にかわいそうな動物を眺めるような目で見られた。
がんばれ伊藤、負けるな伊藤。もう少し痩せろ伊藤。

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