わたしの生活改善運動

・安達茉莉子『わたしの生活改善運動』を読んだ。文フリで久々に会った佐藤柿杵さんの口からその名前が出たのでどれか読もうと思ったら、最近ばりばりに魂が悲鳴を上げているわたくしにうってつけのタイトルの著作があった。
 日々の暮らしにすり切れた著者が、自分がどういうものが好きなのかを見つめ直しながら、住まいから食事から服から何から、生活や環境を少しずつ整えていく記録。いかにして自分の心と時間を取り戻すか、という取り組みを追ってふむふむとうなずきながら、心の中に湧き上がるこの感情はなんだろう、と思って読み終えて、それが嫉妬であることに気づく。
 いいなあ、ひとり暮らし。自分の気持ちだけではどうにもならない問題が、突き詰めるとおおよそお金と孤独に集約されるシンプルさが、今となってはとても懐かしくまぶしい。自分はおそらく人類の中でもけっこう孤独に強いほうだと思うのでなおさら(ほんとうの孤独を知らないだけとも言える)。
 なにしろ今は、リビングで好きなときに音楽をかけることもままならない。妻から「情報量が多いから止めて」と言われるか娘から「こんなへんなおんがくききたくない」と言われること必定である。
 ちなみに妻も娘も方向性は違えどそれぞれに音楽自体は好きであって、つまりはそのとき自分が聴く気分でないものを聴かされるのはいやだ、ということなんである。立場を逆にすれば気持ちはわかる。人それぞれに好みとリズムがあり、一緒に暮らす人数が増えれば増えるほど誰にも不快にならないようにするチューニングが難しくなっていく。
 今は仕事の方もろくでもない状態になっていて、その状況は当分マシになる様子もなく、自分もへろへろだわ家庭にもしわ寄せがいくわでなおさら大変。どんどん増していく負担を自分らで分け合うのも限界が近くなってきてはいる。かといって仕事を放り出すにしても、金銭面はもちろんだがそれはそれで酷い目に遭う人の顔がたくさん思い浮かぶので簡単に踏み切れるものでもない。どうしたものか。
 でもそういう時こそ生活改善運動が必要になるんですよね。いまこの本を手に取ったのは間違いなく自分の魂がそれを求めていたからであって。
 うだうだ書いたけども、自分の行きたい方へ向かっていくための精神を、すり切れ切ったところからいくらか回復させてもらった一冊でした。

・本書の中では服についても大テーマとして書かれてあるが、ここは自分ももう少し手を入れていきたいエリアではある。
 なにしろ短足肥満体型につきサイジングがなかなかうまくいかない。(noteに前書きましたね、毎日書くやつで)。
 でもしばらく前から、cup and coneの服がことごとく自分の体型にピッタリくることがわかり、四十路を前にしてヘタすると全身同店のウェアに身を包んだストリートおじさんになってしまった。裾上げせずに履けるテーパードシルエットのパンツをどれだけ望んでいたことか……!
 しかしストリートカルチャーとは縁遠い人間がこういう服を着ることはアティテュードとして良くないのでは、などとよく考えてしまう。
 大半のパンクとヒップホップが音楽的に苦手で、スケボーにもBMXにも乗ったこともなく(チャリは好きだがメカニック趣味がゼロのため深入りできない)、そもそも不良(っぽいと自分が認識しているイケてる人全般)が怖いので若い頃から遠ざけてきたそういうエリアに、表層的な上澄みを求めて近づいていく欺瞞というか……消費者としてお金を落とすという、資本主義社会では万能に近い免罪符を手に、折々で通販する日々です(日和って実店舗には未だに行けずにいる)。

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