トラベシア即売会兼パーティ(13日目)

日曜日、またしても子供を寝かしているはずが逆に寝かしつけられ、ついに連続更新が途絶える。
前回、何日めだったか忘れたが、「義務感について」を書いたときは夜中に目覚めたときにがんばって書いたのだが、昨晩は一度目覚めたものの寝る姿勢を直してなんの躊躇もなく二度寝した記憶がうっすら残っている。
初めて2週間近くもなるといい具合にダレてくるもので、たぶん1ヶ月経つ頃にはなんの躊躇もなく1回飛ばし、やがてはそのまんまやんわりと辞めるのではないだろうか。
まあそれはそれでいいのだけど、まだまだ辞めるには早いので、昨日のぶんを書きます。

土曜日の夜、寄稿した『トラベシア vol.4 日本語について』の即売会兼パーティが発行人の鈴木並木さん宅で行われたのでいそいそと伺った。
ホームパーティなるものに行くのもたぶんこれが人生初。
鈴木さんご夫妻しか会ったことのある方がいなかったので最初は緊張したけど、みなさんから話しかけていただけて、おかげさまで膨れた疎外感だけ持ち帰るようなことにはならず、珍しく人とコミュニケートする楽しさを実感しながら帰途につけたのだった。ありがとうございました。

ところで、今回7、8人の方と会話したけど、その数は多くても来ていた方の半分くらいだったと思う。
となるとあの場にいた自分以外の方々は以下の4種類に分類できる。

1.トラベシアに書いていて、話した人
2.トラベシアに書いていて、話してない人
3.トラベシアに書いてなくて、話した人
4.トラベシアに書いてなくて、話してない人

文章から伝わる人格と、直接対面することから伝わる人格がある。
それが思い込みである可能性が高いことは前提として、このふたつの人格はけっこう重ならない。初対面だと特にそのギャップに驚くことがある。
でもその人の文章を読み、会話を重ねると、やはりところどころ完全に重なるかたちに気付いたりする。
ものを書く知人は少ないのだけど、そんな人格のせめぎあいを感じるとなんだか少しニヤリとする。
(逆に文章と対面の人格が完全に一致する人はたいてい少し怖い。)

「書いた雑誌のパーティに行く」と何が起きるかというと、上記の1〜4の区分が生まれ、それがひっきりなしに揺れる。

「この人は何者でしょうクイズ」的なものの出題と答え合わせが延々続く感じ。
最初は名乗りあって話してたのに、夜がふけるにつれて自己紹介がめんどくさくなって、何者かわからないまま話し続けたりする。
1だと思ったら3だったり、逆だったりする。
1の人とわかったらわかったで、文章の人格と対面の人格が、岸壁にぶつかる波みたいに寄せては返して更新され続ける。
会話がすっかり温まってて入りづらいグループをぼんやり眺めながら、あの人は2だろうか4だろうか、2だったらこれを書いたあの人だろうか、とか考えたりする。
そこの人と後で話はしたけど結局何者かわからなかったりする。

やっぱりけっこう特殊な場だったかもしれない。
対面の人格の更新はパーティが終わればいったん止まるけど、1の人の文章の人格の更新はトラベシアを読めば再開される。また波が起こる。
読みながら、2の人はこの雑誌のうちの誰だったんだろう、と考える。あのTシャツ着てた人はこれ書いた人だろうか、とか。
3の人は結局何者だったんだろう。その人といつかまた会う可能性、永遠に会わない可能性を考える。
4の人と自分の関係性を考える。あの距離の近いところに何時間もいっしょにいたのに全く接触しなかった人と自分の「つながり」について。

なんというか、二度美味しく読めるようになった気がする。
行く前には事前にいただいてたPDFでさらっと読んだだけだったけど、改めて紙でゆっくり読むのが楽しみだ。

ところで自分はどうだったのかというと、デザインを担当された村松道代さんに「あんな原稿書くの絶対ガロ系の漫画みたいなヤバい人だと思ってた」と言われた。
文章の人格はともかく対面の人格はすごくまともなんですよ、わたし。
ほんとですって。
そんな原稿を超しっくりくるデザインで組んでいただいてありがとうございます、とこの場を借りて改めてお礼を。

そんなわけで拙稿はともかくトラベシアvol.4、すごく面白いのでよろしくお願いします。

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