忘れてしまう夜のこと(11日目)

酒を飲みながら波長の合う人と話していると、ICレコーダーを回しとけばよかったなんて思うことがしばしばある。
話しているうちに自分の感覚がどんどん拡張されていって、そのテリトリーが相手の感覚と接触して共鳴し、永遠に終わらない卓球のラリーみたいに会話が加速していって、心が知らないどこかへたどり着いたような気分になる時がある。

で、こういう夜のために生きているんだよな、と思いながらいつのまにか家に帰り着き、いつのまにか寝巻きに着替えていつのまにか眠って、起きたら昨晩話したことはほとんど忘れ去っている。
ただ、いい夜を過ごしたという痺れだけが肌に残っている。

そんな夜に話したことを逐一覚えていたいと思う。
その忘れてしまった言葉をすべて取りこんで、自分の心に備えることができたなら、世界の彩度を失わずに生きていけるような気がする。

でも一方で、それは忘れてしまわなければいけなかったのだ、という直観が棘のように引っかかっている。
その夜の輝きは、暗い客席で揺らめくサイリウムみたいな、翌朝の日の光に晒してしまうと失われる類いの光線なのだと、あらかじめわかってしまっている。

美しい場所と、「あの場所はあんなに美しかったのだ」という記憶の、どちらがほんとうに美しいものだろうか。

幸せなことなのかわからないが、たぶん人は後者の方を美しいと思うようにできている。

だからこそおれは、この夜にあったことを忘れてしまい、こんな夜があったことだけを記憶していくのだ。

いい夜でした。

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