ゆるふわ禁煙(51日目)

タバコをやめて数ヶ月経つ。案外続いている。

正確にはタバコを"新たに買うのを"やめた、だ。
たまにもらいタバコをしたり、家で見つかった湿気った古いタバコを吸うのは別にOK、というゆるめのルールに設定している。
たぶん続いているのはそのおかげだ。

禁煙中はなんだかんだでタバコを吸いたくはなる。自分は吸い始めたのが合法になった年頃からのせいか、吸わなくても強い禁断症状に襲われることはないのだが、ふとした時に「今一本吸いたいな」と思いはする。
一本も吸わない、というルール設定だと、そのフワッとした飢餓感が、「絶対に吸ってはいけない」という縛りの反動で余計に強まる。
そのうえ、吸った瞬間にルール違反になるので、破ってしまったという罪悪感と、自分で決めたルールを達成できなかったという無力感を自らに課すことになる。

その点、新たに買わない、というルールだと、別に吸うのはルール違反ではない。
もともとtaspoを持っていないのでコンビニやタバコ屋に行かなければいいだけ、行った時にうっかり買わなければいいだけの軽い制約だ。
前述の通りもらいタバコはOKなので、飲んでる時なんか喫煙者に断りを入れたうえでバカスカもらいタバコし、店を出たら一箱買って返す、なんてこともあったりする。何本吸おうがルール的にはセーフ。
買っとるやんけ、と内なるツッコミが聞こえるが、自分内法解釈では新規購入の結果生じる所有状態になっているとは言い難いのでセーフ。
言い訳が立つ、というのは精神衛生上とても重要なことではなかろうか。

それは禁煙ではないのではないか、と言われたらその通りなんだけど、そもそもいったんやめようと思ったのは健康のためでもなんでもない。
職場でタバコを吸いに行くことに対して、自分を嫌ってる人たちから「サボってる」と陰で言われてたらしいと聞いたからで、うっせーなボケと思う一方そいつはごもっともですとも思ったわけで、ついでに節約にも体のためにもなるし一石三鳥やんけと軽薄にスタートして軽薄に継続している。
軽薄で済むところはどんどん軽薄になっていきたい。

ものを書く時にはいつもタバコを吸っていたのでその点は困るだろう、と思ったが案外なんとかなっている。
しかも最近、喫茶店のルノアールでもタバコを吸えなくなる、というニュースを見た。
執筆の時の我がサンクチュアリはルノアールの喫煙席だったのだが、楽園追放される前に自分で出てきてまだ良かったというべきか。

吸ってる間は集中力が高まるなんてのは単に常習者だと吸ってる時しか集中できないだけであって、つまるところタバコなんてものは大人がくわえやすいおしゃぶりなんだよな、と思う。

でもひとつだけ困るのは、気づかれずにため息をつきづらくなったことだ。
煙を吐いてるだけですよ、という言い訳をできなくなって、ため息をきちんとため息としてつかなくてはいけなくなった。
煙に乗って空に昇ってた時と比べて少しだけ、その息が重くなった気はする。

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