ロードレース「世界の車窓から」説(26日目)

家族会議の結果、7月13日をもって久しぶりにJSPORTS4を追加契約することにした。
これはつまり、ツール・ド・フランスを観ることにした、という意味である。
熱心なファンというわけではないが、ロードレースをぼんやり眺めるのはとても好きだ。

結果だけ知りたいならもちろんダイジェストを見る方がよほどいい。
4時間近くの放映時間中、わかりやすくはっきり盛り上がる山場はほとんどない。
ゴール付近やジャージ争いが熾烈な時の中間ポイント、強力な逃げが決まる時、良くも悪くも落車発生時くらいだ。
それ以外は風光明媚な海外の平原や山中、片田舎の小さな町を、淡々と自転車の隊列が走る風景がひたすら映されている。

でもロードレースは、むしろつまらない場面を観る方が楽しい、という不思議な逆説が成り立つと思う。
この競技の中継は、スポーツ中継というより、エキサイティングになった「世界の車窓から」みたいなものではないだろうか。

1日で200キロあまりを走り、それが3週間も続くグランツールはその名の通り、もはや競技というより旅のようなものだ。
それは実際に走る選手からすれば、水着同然の薄いジャージ姿でダウンヒルを70キロで攻め、落車してボロボロになっても体が動く限り漕ぎ続け、走りながら栄養補給してもゴールまでに数キロ痩せるような、完走するだけでも超人的と言える過酷なものだ。

でもその長い競技時間、3桁にのぼる選手の人数、究極的には自転車漕いでいるだけという動作のバリエーションの少なさによって、映像的な見せ場をどう作るかに中継側がおそらく苦心したんだろう。
結果、沿道の応援パフォーマンスや、中継を見越して畑に描かれた地上絵、ルート付近にある史跡、道の横で草を食む牛などの周辺環境が色々映され、観ている側からするとグランツールは、過酷さの中に奇妙な静けさとのどかさを感じる、スポーツと環境映像の中間みたいな映像として表れる。

それをとりあえず流したままにしておく夜更けの心地よさを知っているだろうか。

もちろんクライマックスで事態が一気に動き出すカタルシス、逃げをめぐる各チームの高度な駆け引き、ダレがちな中盤を退屈させない実況陣のトークと、楽しみは色々ある。

でもおれは、一生行くことはないだろう異国の道を、自転車という美しい乗り物の群体が分裂と合体を繰り返しながら進んでいく、その様子を冷房の効いた日本のマンションでちびちびビールをすすりながら横目で眺めるという、特権的な「遠さ」をこそ愛する。

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