写真を撮れない(8日目)

写真を撮るのが苦手だ。

大学生のころ、親が昔使っていたフィルムカメラを譲り受けた。
ローライ35という、小ぶりで余計なものが削ぎ落とされた、でも愛嬌のあるカメラだった。検索したら今でもけっこう人気があるらしい。
当時はすでにデジカメ全盛期だったが、近所の写真屋でモノクロフィルムを買って、カメラを携えて街に出てみた。

カメラを持って歩くと、ただぼんやり視覚情報を摂取していた目が、「何を撮るか」というサーチとフィルタリングを始める。
その感覚が面白くて、数時間ふらふらと撮り歩き、一本のフィルムを使い切って現像に出した。
しばらくして引き取った写真を眺める。
民家の塀の隙間から覗くガスメーター、公園の池に垂れ下がる枝の隙間から漏れる光、毎日眺めているスーパーの看板。
気づいてはいた。
人が写った写真がひとつもなかった。

スナップ写真を撮るとき、わざわざ許可を得なければ、誰かを被写体として"勝手に"選び取ることになる。
本人が知らないうちにその人を作品化してしまうことに、なんだかその人をこっそり針で刺すような隠れた暴力の匂いをかすかに感じて、なんだか足がすくんだ。

とかそれっぽいことを言いつつも、根本的には、そもそも自分が写真を撮られるのが苦手だから人を撮れないのだと思う。
そもそも自分の見た目があまり好きじゃないので、今でも家族写真などに自分が写っていると、その顔がその画面に保存されるべきなんらかの「均整」を崩しているような気がして、もやもやしてしまう。

自分が一方的に保存されてしまうことへの抵抗感。
ひょっとしたらこの文章も、実はそういう記録と大して変わらないのかもしれない。
でもまあ、自分の顔よりは、自分の文章のほうがまだいくらか好きだ。

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