強い気持ち・強い愛

・斜線堂有紀『楽園とは探偵の不在なり』読了。面白かった。探偵と殺人事件とトリックに興味がないのでミステリ(特に本格・新本格)はふだんあまり読まないのだけど、こういう特殊設定ミステリはたまに読みたくなる。
 2人殺したらその場で天使に地獄へ引きずりこまれる世界、という設定が絶妙です。この法則がいきなり持ち込まれた世界は、「1人なら殺していい」「どうせ地獄行きならまとめてたくさん殺す」という方向へ人心が向かってしまうのはそうだよね……。
 で、今作は「1人なら殺していい」の方が「では今起きてる連続殺人事件はなんなのか」という謎のコアに、「どうせならまとめてたくさん殺す」の部分は主人公である探偵の過去とキャラクターの土台に、そしてなぜ「そもそも神はなぜそんな設定にしやがったのか」という前提部分は、作劇都合である以上に、神という存在がいてもなおこの世界は不条理であること、その世界でどう生きるかというテーマも射程に入れているところが巧みで心を打つ(明言されている元ネタのテッド・チャン『地獄とは神の不在なり』にも通じる部分ですね)。
 特殊設定ミステリは、その設定がミステリの論理部分の土台となった上で必ず謎に奉仕しなければならないという仕組み上、なぜその設定を導入したのかをきちんと世界と人物に照らして筋立てねばならない分、かえって非ジャンル的に読みやすいという逆説が成り立つように思う。

・ワクチンの副反応で倒れているあいだにアンデッドアンラックの14巻とその続きの本誌掲載分を再読して泣いてた。よくぞここまでたどり着いた……そして風子ちゃんがこんなにゴリゴリの主人公として心身共にバルクアップするとは感無量ですよ……。おれがジュイスでも「この子になら託せる」って思ったもの……。そして実際その後のRTAぶりが、このスピード感こそアンデラよというのと同時にこれまでの集大成すぎて完全に納得感とカタルシスしかない。アニメ化されるしみんな読もうな?
 作劇の方法論として、「人物の感情に矛盾がないようにする」というのがかなり重要なポイントだけども、最初からメインキャラの感情を固定した上で状況をエスカレートさせていくパターンもあれば、その変化(もしくは根底での揺るがなさ)自体をメインプロットにしていくパターンもあるわけですが、アンデラは完全に後者で、各キャラの情動に常に一本筋を通したままクライマックスに繋げるのがうますぎる……。この作品は完全に愛についての物語で、そこが全方面全キャラ一切ブレないのが本当に強い。みんながみんな愛の戦士ですよ。強い気持ち・強い愛ですよ。いや掲載誌的に愛をとりもどせの方がいいのか?

・最近、自分が何を「好き」なのかの解像度を上げていこうとしているんですけど、その中でわかってきたのは「好き」が何かというより、「好き」にブレーキをかける仕組みが存在している、ということ。
 自分の「好き」という感覚に、必ず疑いを挟むアルゴリズムが搭載されている。それは例えば石橋を渡る前に叩くというのに似ている。
 好きだけど、その程度の愛と知識で好きと言っていいのか?
 それが好きな割にはそんなに身を捧げていないのでは?
 その好きなことを飯の種にするにしても、すでにそうしている人たちにはかなわないのでは?
 などなど。
 これのおかげで助けられてきたところもたぶんいろいろあるんだけど、どう考えてもリミッターになってただろとも思うので、適切な切除手術のやり方を模索していこうと思っている。
 最近正真正銘の中年になり、体のいろんなところにガタが出てきたせいもあって、このまんま自分が本当は何をどうしたいのかの解像度がぼやっとしたままいきなり死んだりしてもやだな、という気持ちが強まっています。完全にアンパンマンマーチのAメロです。

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