一日一調 ~昔の"氷"事情~

毎日ネットサーフィンをする中で、ある事について「もっと詳しく知りたいな」と思うことがあります。

それらをただ調べるだけでなくメモをしていこうと思い、この記事を書きました。

ネットサーフィンがてら、好奇心の赴くままの調査のため、
より正確 または 詳細な情報を求める場合は
ご自身で調べてみてください。

なんでもいいから流し読みをしたい程度の方におすすめです。

本日のテーマ:
「冷蔵庫以前の氷の保存と使用について」


先日、バイト先の主婦の方と「家電」についての話になり、
奥様は「エアコンと冷蔵庫はなくては生きられませんね」
とおっしゃっていました。

現在8月、エアコンのない室内では
太陽が遠くから命を狙う気配がするような気温となります。
こんな日に飲み物がぬるくてはたまったもんじゃありません。

我々が今過ごしている「冷蔵庫の時代」以前は
どのように氷を扱っていたのでしょうか。
私の現在の知識は「熱くないところに保存するしかない」程度です。



大手家電メーカーHaierのサイトによると、
最古の電気式冷蔵庫は1918年にアメリカで発明されたようです。

出典:冷蔵庫の歴史はいつから?冷蔵庫の昔と今を解説

最古の冷蔵庫について調べている中で、
圧縮型の製氷機があったことを知りました。

出典:製氷機を発明した人を動かした、熱い意志(1850年)

引用元を見てみると、2~3畳ぐらいの台にその機械は乗っていました。
圧縮型とあったので、力いっぱい押し固めたら水もさすがに凍るのか?と思っていたところ、仕組みが全然違いました。

蒸発しやすい液体を用意し、ポンプを用いて圧力を減じることで揮発させ、
気化熱が奪われることによって周囲が冷えるもののようです。

出典:No.61 冷蔵庫のルーツと冷凍技術の進展

しかし、やはり当時は寒いところから氷を輸送してもらうのが一般的で、
すでに天然氷の輸送ビジネスが氷業界を占めていたため
圧縮式の製氷機は普及しなかったようです。
(これについて、さきほども述べた引用元の記事のストーリーが熱かった…氷の記事なのにね)

氷を氷のまま運ぶのも難しく、18世紀においても富裕層しか手の届かないような代物だったんでしょうかね。

19世紀はアイスとか食べていたんだろうかと気になり、脱線して調べていると、アイスクリームの歴史、という記事がいくつか目に入りました。

19世紀どころか紀元前11世紀にはもうすでに中国にアイスの原型がありました。
そもそも、一年を通して寒冷な地域では氷も身近な食材たり得るのかもしれない…
関東平野育ち、年に1-2度しか雪を見ないため、盲点でした。
でも氷の話ではなくてアイスの話へ逸れるので割愛。
くわしくは以下の記事をご覧ください。




さて、日本ではどうでしょうか。

日本語に「氷室」という言葉があるのを知っています。
どこかの山で、天然の氷を浮かべて切り出し、高級氷として売っているという内容もテレビで目にしたことがあります。

冷蔵庫がなかった平安時代から江戸時代までは、冬場にできた天然の氷を溶けないように保管する必要がありました。それは氷室と呼ばれていました。
(中略)
有名なのは富士山のふもとにある鳴沢氷穴で、そこから切り出された氷は江戸の殿様に運ばれていたといいます。

出典:冷蔵庫がない昔の江戸時代の人とかは氷をどうやって作っていた?

氷穴という単語をここで初めて知りました。
鳴沢氷穴。その公式サイト曰く、「好奇心に満ちたアドベンチャーワールド」。

曰く特徴として、
「鳴沢村の樹型溶岩群はスパイラクルの数では世界有数」とのことですが、
スパイラクルって何だよ。説明を放棄するんじゃあないよ、
と思って調べたところ、こちらのサイトがヒットし
"溶岩樹型型溶岩水蒸気噴気孔ともいいます"と更にややこしい解説が出てきたので説明されると余計わからなくなるやつでした。
放棄などと思ってしまったこと、すみませんでした。

保存した氷はどのように使われたのかというと

夏に氷を切り出して都に運ばせ、宮中で暑気払いを行っていたと言われています。

出典:かつて氷は超贅沢品!清少納言も食べた、日本のかき氷の歴史を詳しく紹介

「暑気払い」というのは、冷たい物を食べたり、海水浴やプールに行ったりして夏の暑さを払うことだそうです。

夏の飲み会のこともそう呼ぶみたいですね。知らなかった。
人はなにかにつけてお酒を飲もうとする…

東京大学 大気海洋研究所(西日本における歴史時代(過去1,300年間)の気候変化と人間社会に与えた影響)によると、
平安時代(初期)に記録された最高気温は25.9度らしいので、
現代人にとっては少し北風でも吹いたら人によっては肌寒い気温。
十二単なんか着てるから熱いんだぞ。
現代8月に紫式部を連れてきたらタンクトップを着ざるを得ないでしょう。

なんて考えつつ間違っていたら嫌だなと思って調べたら、案の定夏用の装いがあるようでした。
(そもそも十二単は特別な日に着るもの)

夏には透けている紗(しゃ)の織物で、装束を仕立て、風通しの良い装いで生活をしていました。驚きなのは、当時は白衣や襦袢がなく、女性は上半身が透けて見える装いで日常生活を暮らしていたということです。

出典:平安時代の夏の装い

だそうです。ふーん、エッチじゃん。
扇子も夏用のものに変えるとのことで、何が違うのかと調べていたら
扇子の種類一覧のようなサイトを見つけたものの、ツッコミ用のハリセンは載っていませんでした。300年後ぐらいには載っているでしょうか。

このまま歴史を下っていこうと思っていたのですが、
氷のすべての歴史が載っていそうな記事を見つけ、
「すべてなんだから引用もできないじゃないか…
そもそも氷博士になるつもりはないのだ…」となり、
初記事にしてライティング力の限界を感じたため、
この記事で調べるのはここまで。

ではまた、次のインターネットの海上でお会いしましょう。さようなら。


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