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遠くが見えるようになって初めて、遠くがあることを知る

遠くが見えるようになって初めて、遠くがあることを知る



卒業試験


2015年9月8日、私は「整体コース」の卒業試験を受けた。
校長相手に40分コースの施術を、手順を抜かすことなく、40分から43分の間に終わらせれば合格というシンプルなものだ。入学からちょうど1年。すでに流れは完璧に入っていて技術にも自信があった。集中して、丁寧に、相手の呼吸を感じること、それだけを思いながら「よろしくお願いします」と実技試験はスタートした。
教室にはこの時間、練習している人が6人と講師が2人いたが、みな口数も少なく、試験の様子を伺っているのが伝わってくる。短くても180時間以上の実技練習を共有しているから、他人事とは思えないのだ。つぎは自分が、と思う人なら、なおさらに。

背中全体を、ゆるいグーの手根でリズミカルにたたき、次に、やや丸めたてのひらで、空気を閉じ込めるようにポンポンたたいてから、てのひらで丁寧になでおろして、肩にかけたタオルを外しつつ「ありがとうございました」というのが、私たちの学院で教わる整体の終わりの合図だ。
その流れに入ったとき、30代のIさんと目が合った。長いまつげを見開いた真剣なまなざしに、私は思わず満面の笑みを返していた。
りきみがなくて、まわりもよく見えていて、なにより、校長の凝りもリアルに感じられて手応えを覚えたから、すごく楽しかったのだと思う。その瞬間、大きな拍手に包まれた!!

 「試験が終わるまえから拍手をもらえるなんて、こんなことは初めてですよ」と校長も驚いていた。
その場面が今も鮮烈に記憶に残っている。
生真面目に1年間通学して目標達成できたこと。いよいよプロへの扉が開かれたこと。校長をはじめ講師や同期に心から感謝できるということ。そういうことがひとつひとつ際立ってものすごく嬉しかった。あの拍手はずっと私を支えてくれるだろう。Iさんも先月、卒業試験を受けて合格した。私が誰よりも盛大な拍手を贈ったことは言うまでもない。

 「整体コース」の卒業試験の申し込みと同時に、「矯正コース」の入学を申し込んだので、これからは整体と足つぼを直営サロンで研修しながら、学院では矯正を学んでスキルアップすることを、次なる目標と定めた。

先生によれば、足つぼ反射区療法は内臓に、整体は筋肉とつぼに、そして矯正は骨と神経に働きかけるのだそうだ。実際に施術していると整体だけではものたりないと感じることがある。また、指圧は親指への負担が思いのほか大きいので、ストレッチや手根の技が多い矯正におおいに期待できる。
でも、本音を言ってしまえば、通学があまりにもたのしいので、もうすこし学びの時間を引き伸ばしていたかった、というのが一番大きな理由だったかもしれない。

卒業試験に合格した夜、調子に乗った私は自宅開業用の『ノユーク・チャイ』ポイントカードづくりに夢中になった。料金やメニューも書き込み、自分の名前に「整体師」と明記した。
ひさしぶりの徹夜は浮遊感覚と万能感あふれるハッピータイムだった。
「卒業=ゴール」ではなかったことに気づき、自分の技量の底の浅さを思い知るのは、ほんのすこし先のことだった。

不思議な光景


卒業試験の翌日、たまたま出会った80歳くらいのおばあさんから「ちょっとお願い」って頼まれた。「では、40分の整体をさせていただきますね、普段だと2000円ですけれど、ここは整体ベッドもないところなので1000円でいかがですか」と施術を始めた。高齢なので、ほとんど圧は入れずになでたりさすったり。サービスで洗濯物までたたんだ。おばあさんは「ふンとにらくンなった。うんとあったまったよぉ」と、とても喜んでくださり、ぽち袋に1000円を、それとは別に銀行の封筒に入れたこころづけを私にくださった。開けてみたら4000円も入っていた。「これはもらいすぎだ」あわてて校長に相談して・・
・・・・というところで目が覚めた。

やけにリアルな夢だった。
おばあさんのたるんだ薄い皮膚の触覚をてのひらが覚えている。場所は、なぜか実家の屋敷森のさきあたりだった。そこには諏訪湖の龍伝説のある椀箱淵と、先祖の墓地がある。なじみのある場所と初めて訪れる旅先が交じり合うような不思議な風景だった。私は孫を預かっていて、おっぱいを含ませているのだ。乳房は豊かにみなぎって、勢いよく乳が弾けて、赤ん坊がうっくん・うっくんと飲んでくれる。おばあさんから声をかけられたのはそういう時だった。母を思い起こさせる田舎ことばがせつなく耳に残響した。

初仕事


9月15日、学院の1階にある直営サロン『リラックス整体院えびす』で、初めてお客様を受け持った。
13時から80分間と、16時から40分間のおふたり。
1人目の方は、2月まで一緒に通学していた同期のKさん。80分をどう組み立てるのかを考えながら、基本の40分コースをふくらませる形で途切れずあわてずにできたと思う。「うまくなったね。ちゃんとつぼを捉えてるよ。だいじょうぶ、後は数をこなしていけば」と応援感想を言っていただく。

2人目の方は、整体院での整体は初めてというお客様。近所からシルバーカーを押して予約なしでご来店された83歳の女性Wさん。腰と足がだるいとのこと。施術の間、ずっとお話されていたので、静かにあいづちを打ちながら、ごくごくソフトにもませていただく。40分間で生活歴、身体状況、家族構成をひととおり聞き終えた感。しっかりした骨格の働き者の印象。朗らかな笑顔を見せてゆっくり家路につくWさんの後ろ姿を、私はえびすの玄関からずっと目で追い続けた。

整体院での「初仕事」をなんとか無事に終えて、2階の整体学院へ戻ると、校長と同期たちが興味津々で首尾を尋ねてくれた。
照れくさいような誇らしいような気持ちで「とっても嬉しかったです!!」と答える。
ほんとうにいいスタートができた。次のオファーがありますように!! 

「正夢になっちゃった」


生きていれば、母もあんな感じに朗らかに歳を重ねたのだろうに。苺農家の過酷な労働でいつも冷えて体中が痛かった母を、私がもんでさすって温めて、安眠させてあげられたらよかったのに。その思いが夢になって現れたのかな・・・。おばあさんの姿を借りて、母が私の整体を受けに来てくれたのかな・・・。
そんな叶わない思いや、非現実な想像に浸ったのは、ひとりになってやっと緊張から解放されたとき。
熊谷バイパスの上り車線を走る車の中で、哀しくて一瞬号泣し、それはやがて泣き笑いになった。
「シンクロするなんて。おもしろすぎるよ、おかあさん。」

臨時のシフト


9月21日。今日は臨時のシフトに組み入れていただく。11時から60分、12時半から60分、そして14時から80分、3人のお客様に施術。
もうひとりくらいは大丈夫そうと余裕かまして帰宅したのに、横になったとたん、ぐったり、へとへと、ぼろぼろに。
「やりきった感」を覚えるが、同時に、「まだぜんぜんだめじゃんっ!!」を実感。お客様のきもちとからだにより添える技や想像力を磨くことはもちろん、耐久力、持続力、無理のない体の使い方をもっと工夫しなくては、もたない。56歳がんばれ自分。

初任給


9月分のお給料を校長(社長)から渡される。とてもとても嬉しい。
もちろん22年間夫と働いてきたときとは桁の違う給与だ。私たちはその収入で生活してきたわけだけれど、自分の力で稼いでいるという自信に欠けていたし、夫からの評価の低さも覆せないままリタイアの日を迎えた。いまは安定しているように見える。でも、始めの杭打ちでごまかしがあったマンションのように、深部が堅牢でなければ、ゆがみやひび割れは隠しようもなく出てくるものだ。建物も人間関係も、壊すにしろ再生するにしろパワーが要る。だからこそ、この初任給は感慨深い。
整体は、もしかしたらリターンマッチなのかも。
“私の杭”を地中の岩盤までゆるぎなく突き刺すための再挑戦なのかも知れない。
…なんて大袈裟かな。

施術記録


お客様への施術をしたあとで必ずそれを記録することにした。項目は、通し番号、名前、性別、年齢、施術内容、金額と歩合額、そして覚え書きだ。いずれは個人別のカルテ形式の簡潔な、技術力アップ重視の記録にするつもりだが、ここでは、接客や、お店のシステムを含めて、気づいたことをできるだけ細かく正確に正直に日記のように書こうと思う。施術したときはもちろん、別の整体院に行って整体を受けた時や、校長や講師から教わったことも。

校長から言われたことでとりわけ印象に強く残っているのは、
「じぶんはまだプロとして未熟であるというようなことをお客様に言う心理には、相手の期待値を下げることで未熟さに甘んじようとする逃げの姿勢がある。逃げずに、できるだけ頑張ります。精一杯やらせていただきますと、あえてお客様に宣言する態度でのぞみ、それにふさわしい実力をつける努力をするほうがはるかに上達できますよ」
ということばだ。
私は本当にいいわけばかりで修練が足りない。がんばる気持ちだけ空回りしているみたいな毎日。体調不良で1ヶ月近く離脱したこともあり、こんなに停滞しているのでは『ノユーク・チャイ』にお客様を迎えるのはいつのことになるのやら…。

「もっと強く!」と希望するお客様に応えられずに先輩にバトンタッチを余儀なくされた「苦い洗礼」も受けた。技術力の底の浅さを思い知った。
会話力や想像力といった面も、自分で思っていたよりも苦手でスムーズにいかないことを痛感した。耳の聴こえも悪くなっていて接客には補聴器が必要かも知れない。

家ではぐったりしてスポーツジムにも行きたがらなくなった私を見て、夫は、無駄な悪あがきしているとしか思えなくなったらしい。
「なんでわざわざ、自分の老いを思い知らされるようなところにあえて突っ込んでいくかな」
「いまさら仕事する気持ちが全然わからないよ」
「食事も手抜きじゃないか」
「まるでこころにぽっかりと穴が開いているみたいだ」と不快感もあらわに痛烈に批判してくる。

私は内側の壁(自信のなさ)と外側の壁(夫からの批判)に囲い込まれてしまい、つぎのドアを探せないまま、浮いたり沈んだりしていた。
この4ヶ月間はそういう期間だった。

状況は今もそう変わらない。でも、すこしだけ進めたこともある。
学院卒業生で今は個人で開業している整体師さん達を訪ねて、お金を払って受ける、同期と一緒に行って施術の様子を見学する、技を教わる、試して自分のものにする、そういう校外活動的な研究を意識して増やしたのだ。
響きのこまやかな感覚や有効な手技を教えてもらいながら、時には、整体にかかわる生のエピソードや開業への道のりも伺えて、愉しく充実した時間だ。
スタイルが完成された整体師さんの動きはみな、流れるように美しく静かだ。こういう練習を積み重ねて磨いて極めていきたいと、畏れ多くも、欲深くも願っている。

プロとして充実している整体師さんをリスペクトしたうえでの武者修行と、学院での基本の練習の地道なくりかえし。ツボや経絡などについての知識を高める自主勉。そしてなによりも、機会があればおそれずにお客様を受けること。そうやって具体的にひとつひとつ自分の引き出しを増やすことが、つぎのドアにきっとつながるはず。
悪あがきでも、年甲斐ないにもほどがあると思われても、それでいい。楽天的にゆっくり、じっくりあがいていこう。

「ふりかえりのために。視線はもっと高くもっと広く」と記した施術記録は、2015年9月15日から、2016年1月14日の今日まで、28人分、A4で約20ページになった。

ある日、講師から「3月いっぱいで独立して自宅開業するスタッフの代わりに、4月から週1日くらい、スタッフとしてシフトに入ってほしいがどうか?」と打診され、願ってもないことですと快諾する。
直営サロンならサポート体制はしっかりしているし、スタッフも講師レベルの技術の高い人ばかりなので、技を磨く場としては申し分のない環境だと思う。とてもありがたい。『ノユーク・チャイ』に堂々とお客様を迎える日のためのまわり道だ。課題も増えるが、なんといっても体調管理がかなめである。

もっと遠くがある


「最初のうちは、今日の目標に向かって毎日作業した。その目標がだんだんさきへ遠ざかり、三日後の目標になり、一週間後の目標になった。最近では、一ヵ月後か半年先の目標が霞んで見える。少しずつ遠くの景色が見えてくる、見通しが良くなってくる、というのは気持ちの良いものだ。霧が晴れるというよりは、自分が高い位置に登って、辺りを見回せる、という感覚に似ている。
それでも、本当の目標というものは、もっともっと遠いところにあるのだろう。きっと自分には全然見えていないのだろうな、ということが感覚的にわかる。つまり、遠くが見えるようになって初めて、遠くがあることを知る。そして、もっと遠くがあることが予想できるのだ。」
(森博嗣『喜嶋先生の静かな世界』より抜粋。

私の整体への気持ちは、重ねることはおこがましいがこれに似ている。
「きっと自分には全然見えていないのだろうな、ということが感覚的にわかる」というところが特に似ていると思う。

目指したい方向が少し見えた気がする日もあれば、真っ白に靄がかかる日もまだまだ多い。
でも、毎日毎日が「そのための今日」にできるかどうか。それが試されている。そこが大事。この引用のいちばん大切なところだ。
ちなみに主人公は、一日5000字の論文原稿を書くことを「今日の目標」にした。

私にとっての本当の目標はなんだろうか? 
そして、そのための今日の目標とはなんだろうか?
今日、私はそれに向かって黙々と作業できただろうか?

                「もらとりあむ39号 2016冬草」収録

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