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本と旅とつれあいのこと


『歌に私は泣くだらう 妻・河野裕子 闘病の十年』

#保健室

『歌に私は泣くだらう 妻・河野裕子 闘病の十年』
(新潮文庫) 永田和宏  (著)
 
親しい方がSNSで紹介していたというだけの理由で、予備知識なく、短歌の心得もないのに迷わず購入した。「早速ポチッとしました」とコメントしたら彼女から「ツムギさん、きっと泣き出してしまう‥‥心配。」とのお返事。「新しい本との出会いはいつでもとても楽しみなんです。世界が広がります。本で泣かされるのは本望」と正直に伝えて、その数日後。
 
がんで逝った妻への恋文のようなほのぼのとした追悼記なのだろうとの予測は見事に外れた。
 
歌人というものは(あるいは短歌というものは)、ここまで内面を曝け出すものだったか! 
剥き出しの感受性をぶつけ合い、激しく求め合い、傷つけあわずにはいられないふたりのありように唖然としてしまったというのが、正直な感想。
乳がん手術後に心の均衡を崩していく妻の姿、そばにいて困惑し疲弊していく夫や子どもの姿を、短歌を交えながら描写している。
 
白木槿(しろむくげ)あなたにだけは言ひ残す私は妻だつたのよ触れられもせず 裕子『葦船』
 
あの時の壊れたわたしを抱きしめてあなたは泣いた泣くより無くて  裕子『葦船』
 
お互いの愛があまりにも深かったゆえに、という流れで書かれているのだけれど、当事者なのに冷静に観察・分析しているような永田氏の筆致に、サイエンスの研究者として観察・分析は身についたものなのかもしれないが、筆者の酷薄さや被害者意識をうっすらと感じてしまい、感情移入が難しかった。
どちらかと言えば妻の不安や苦しみの爆発のほうにシンクロしそうになった。それは私が同じ病気だからかもしれないが、別の理由からだったかも。
 
河野裕子さんと私は同じ病気ではあるが、でも、夫婦のありようはずいぶん違う。
私は夫に対して気持ちの全部は見せられなくなったし、むしろ見せないようにしている。
一緒に机を並べて家業に向かっていた時代は、お互いの距離が近すぎたために価値観の違いを許し合えずにつまらない喧嘩が絶えなかった。今は物理的にも心理的にも離れているからこそ、穏やかな関係性を保っていられるような気がする。彼に心の全部を開いて自分を明け渡すような危険は、怖くてもうできない。私が望むのはゆるい絆であって、感性や価値観のすり合わせではない。過去の掘り起こしや反省でもない。そんな体力はないし、そこに時間を使いたくないと自覚している。
確かめてはいないが、たぶん夫も同じなのではないだろうか。
どうにも分かりあえないことをわかりあった、それが私たちの現在地。
 
永田夫妻は違う。
どこまでもわかりあいたいと願って全身全霊で向き合い、もがき、愛した。
ふたりの最期の共同作業として、本文の中にも触れられている『京都うた紀行 歌人夫婦、最後の旅 』(文春文庫) 河野裕子 ・永田和宏 (著)も続けて読むことにした。
そしてもう一度『歌に私は泣くだらう』を読み直すと、少し印象が変わった。自分と引き比べて読むのではなく、純粋に小説のように本を楽しむことができた。やはりこの本は、どこもかしこも、ふたりの強い絆を謳った相聞歌集なのだった。
 
歌は遺(のこ)り歌に私は泣くだらういつか来る日のいつかを怖る  和宏『夏・ 二〇一〇』
 
私が、この本の中で一番心が惹かれた短歌は、表題にもなったこの歌と、がんが再発してから河野さんによって詠まれた次の歌。
 
わたししかあなたを包めぬかなしさがわたしを守りてくれぬ四十年かけて 裕子『葦船』
 
私・ツムギにとって夫は、この世で一番分かりあえない人だけれど、それでも、誰よりも長く、誰よりも近く、共に暮らした人生の相棒だと思っている。だから私は、この短歌に惹かれた、そんな気がする。
 
ところで、私が乳がんの告知を受けた翌日、2020年11月9日から4泊5日の四国一周ツアーにふたりで出かけた。
キャンセルできなかったのもあるが、そのあとは県立がんセンターに移ってハードな精密検査を受ける予定になっていたから、旅行できるとすれば「今がチャンス!」だった。そして、連日天候に恵まれて、たくさん笑って、仲良く腕を組んで歩き、写真もいっぱい撮って、とても思い出深い旅ができたのだった。

穏やかな瀬戸内の海を渡ったその夜、標準治療をするかしないかで少し口論になった時「俺だって、お前に死んでほしくないんだよッ」と夫は言った。切羽詰まった口調だった。

「ああ、そうなんだ。不安なのは私だけじゃなかったんだ。こんな私だけど生きててほしいと思ってくれてるんだ。じゃあちゃんと生きなきゃね」
と素直に信じたことを覚えている。
 
そんな映画のようなワンシーンを短歌に詠めたらいいのにね。
 

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