見出し画像

桃の缶詰


                

 あのころのことを思い出すと、どうしてこんなに悲しくなるのだろう?過ぎ去ってしまった幸福へのあこがれなのだろうか 
              ベルンハント・シェリンク「朗読者」より

水蜜桃


幼い人のほっぺのようにやわやわしたうぶ毛が光っている。そっと両手のひらに包んで重みと色と香りを味わう。刃物は要らない。ゆっくりするりと指で皮をむく。熱した裸の果実を、ひじまでその甘い果汁で滴らせながら一心不乱にかぶりつく。

 水蜜桃は なまめかしい。

おかゆに鯛味噌・白桃の缶詰


この前、桃を一人一個ずつ買ってきて旬の味をたのしんだ。すごく思いきって。気合を入れて。
高いから、と言う理由の他に、私には、桃は、白桃の缶詰につながり、病気の時しか食べられない場面限定のくだものとして特別なものだからだと思う。あっさりさり気なく買えないのだ。

例えばお祝い事なら赤飯とか、供養ならぼたもち、とか言うように、病気の時にも「定番」というものがあった。私の生まれ育った家では、食べ物なら、おかゆに鯛味噌。白桃の缶詰。

風邪なら「汗を出せば治る」とふとんをこんもりとかけられ、ぐっしょり汗だくになる。おなかが痛ければすぐ浣腸。「食い意地が張ってるから、おおかた食いすぎたんだんべ」と、母は手慣れた様子で、ガラスの太い注射器に薄めたグリセリンを入れるのだ。安くて、手っ取り早く確実な対処法だったのだろう。

それから、これを定番と呼んで良いものか迷う所だが、家族の誰かが具合を悪くすると、まるでお約束のように父が怒った。
不快感を抑えず、イライラと母や祖母に怒鳴り声をあげた。
「甘やかして育てるから子どもがヤワな体になった」
「おばあさんが煙草を吸うから孫が肺病になる」とか責めたてる。

母はオロオロする。
気の強いおみっつぁん(祖母)は
「おらぁ病気にしたくてしたんじゃありもしねえに。孫の世話を見させておいて、なんちゅう言い草かい!!」と負けずに言い返す。
病気そのものの苦しさよりも、家族の不穏な空気と、自分のせいで悪い事が起こっているという気持ちでふとんの中に縮こまっている方が、ずっと苦しかった。
だから、自分が親になったら、そういう時こそ穏やかに協力し合える関係になりたいと思っていた。

理想の親にはなれない


ところが、現実にはやっぱり同じような展開で夫婦喧嘩を始めてしまう。力不足やかかってくる負担に耐えきれなくて、子どもらの痛みが耐え難くて、不安や心配や疲労が相手への不満となって吹き出してしまうのだ。

私は、母親としては楽天的で悠長な態度を見せているけれど、根っこのところでは、とても怖い。命を守りたい、守らねばならないという思いが強ければ強いほど、不安でしかたなくなる。

くり返し見る夢がある。何度も。バリエーションは様々であるが基本的には、我が子の生命が危険にさらされているのを、私がその横で何もせず、何もできず呆然と立ちつくしている、という暗い夢だ。
その夢は怖かった。母としての不出来さ、不足、至らなさをつきつけられるようで、目覚めてもしばらく呆然となってしまう。

だから、今は父がなぜあれ程怒ったのか実感として納得できる。自分が病気になるのも、子供が病気になるのも、あってはならぬ事態。仁王立ちで両手を広げて、家族を守ろうとする父性の大噴火だったのだ。

大病も大ケガもなくここまで来られたが、病気の場面というのは、心に焼きついている。その一つは、中1の冬休みのことである。そしてもう一つは、10年後の大学4年の冬休みのことである。

中1の冬の思い出


中1の冬に私は肺炎になりかけて半月程病床にあった。当時私たちは、子ども3人別棟で寝起きしていたのだが、久しぶりに母屋の両親の部屋に移された。

 “定番”の父の怒りがあり、サウナのような汗だくがあり、桃の缶詰、鯛みそがあり、番外には粉ミルクがあった。私のお膳にだけ刺身がつくことも度々あった。栄養があるから、牛乳だと腐るから、だから粉ミルクだったのだろうか。森永か明治か、例の赤ちゃん用の大缶がまくら元にあった。
あつこ姉ちゃんが、粉ミルクが大好きで、時々様子を見に来てはパクリと口へ入れていた。粉のまま口に含むとキシキシして、歯のうらに固まってくっついてしまうが、私も嫌いではなかった。

いちごの季節で父はかなり忙しいはずだったけど、買物、通院、看病を実によくしてくれた。父の穏やかな笑顔が自分に向けられているのはくすぐったいような、いつもと別の空気を吸っているような奇妙な感じだった。
父はいつも厳しい人としてにらみを効かせていたし、小学生の頃など父の前に出ると私はどもってしまってうまく話せず、よく「ちゃんとしゃべれ」と怒られた。
ゼロゼロと鳴る胸にシップを貼ってくれた父の手の大きさ、ぬくもりは、もしかすると、私の理想の男性像の原型なのかも知れない。

病床で私は空想の翼を思い切り広げていたから、「愛と死を見つめて」の吉永小百合のように、はかない運命を背負って健気に生きる少女になりきっていた。幸か不幸か父の手厚い看病によって風邪は回復し、私の「お姫様タイム」も、はかなく過ぎ去ってしまった。

母の胸騒ぎが的中

そして10年後、私は長野県の上田市にいた。大学卒業を目の前にした冬の寒い未明、突然の腹痛でパニックになり救急車を呼んだ。救急車に乗るのは初体験だったが、乗ったらすぐに安心して痛みがやわらいだ。ところが病院ではこのまま入院だという。あせった。余分な持ち合わせもないが、離れて暮らす親に心配をかけたくなかった。実家はその頃、家を新築中でいろいろと大変だとわかっていたのでなおさらだった。

その古アパートには電話はなくて、緊急の時は隣の大家さんが取り次いでくれた。だから時々私から家へ電話する事はあっても、家から私へかけてくることはほとんどなかった。

母は文字を書くのが苦手。電話のダイヤルを回すのも苦手だったらしく、そういうわけで、長野と埼玉は今よりはるかに遠かったのだ。私の方も、親の目の届かぬ所で羽を伸ばしていた頃だったし、それまでの自分とは違う、“新しい自分”を求める強い願望と、挫折を抱いていた頃でもあったから、親との疎遠や孤独を、むしろ望んでいた時期であったと思う。

今は、生まれた土地、産み育ててくれた人、その時代といったものが自分のアイデンティティを培っている。切っても切り離せない、自分自身の根っこなのだと折にふれて感じているけれど。
学生の頃は、自分の背景となっているものから離れて、先入観なくものごとを見たいと思った。だからこそずいぶん思いきった挑戦もほとんど無防備で飛び込んだし、その結果傷つくこともたくさんあったし、友にも師にもめぐりあえた。

「大丈夫。この入院のこともこちらから言わなければ親にはわからないはず」という予想に反して、その日のうちに父が駆けつけて来たときは、だから、本当に驚いた。

母の胸騒ぎが的中したのだった。

母はその朝、どうしても私のことが気になって、いつもはかけない電話をしたのだという。母にはそういう所が確かにあった。直感に優れ、表には出さないけれどいつもいつも人を案じて、思いを深めていく人。
私のSOSをキャッチしてくれたのも、母にはごく自然な心の流れだったのだろう。幻のへその緒でつながっているみたいに。
オソルベシ母の直感である。

そういうことが何度もあった。「あの時は全く命が縮まったよ」で始まる母の思い出語りがいくつもあって、私たち家族は盛り上がったものだった。
芳江姉さんが幼い頃、荒川に落ちてあやうくおぼれそうになったこと。私がひきつけを起こして息をしなくなり、逆さに吊るして水をかけたらやっと呼吸をしたこと。

母が風邪で寝込んだ時、私がこづかいで買った桃の缶詰をのどごしが良いとよろこんで食べたら、その後のどがはれあがって大変だったこと。桃のえぐみは人によってはアレルギー反応をおこすらしい。私は今のきづな(小5)くらいだったろうか。「桃が原因」と母がいうたび傷ついた。私は子供の頃から、一生懸命の割にはやる事が的外れなのだ。今もおんなじだ。

母が生きていたら、きっとそういう話をくり返し聞かせてくれた事だろう。私からもいろいろ質問したはずだ。
「勝手口に吊るしてあったまむし酒は何のためだったの?」
「あかぎれの指に貼っていたまっくろの膏薬は火にあぶったんだよね」
「富山の薬売りのおじさんがくれたおまけのコマや紙風船が嬉しかった」
「梅酒と梅ジュースをまちがえて、酔っぱらったこともあるよね」・・・
そして、母の高精度のアンテナの秘密を伝授してもらえたかも知れない。

肉親を亡くす悲しみについて、
夫(妻)を亡くすと今を失う。
子供を亡くすと未来を失う。
父、母を亡くすと過去を失う
と、ある本に書いてあった。
その喪失感を埋めるために、私はこんな風に過去へ過去へと思いを馳せては、幻のへその緒をたぐって書いたり消したりしているのだろうか…。

それとも、今も弱くなったり強くなったりしつつ消えることのない、母の自死をめぐる割り切れない思い、とりわけ、自分が母を裏切ったという気もちと、自分は母に捨てられたという気もちとの折りあいをつけたいのか…。

小説『朗読者』の中で、主人公は自問する。

――でもたしかに幸せだったのだ!苦しい結末を迎えてしまうと、思い出もその幸福を忠実には伝えないのか? 幸せというのは、それが永久に続く場合のみ本物だというのか?辛い結末に終わった人間関係はすべて辛い体験に分類されてしまうのか? たとえその辛さを当初意識せず、何も気づいていなかったとしても? でも意識せず、認識もできない痛みというのはいったい何だろう?
・・・・あの頃ぼくを満たしていた熱意や、約束された人生への信頼が、ぼくの悲しみの原因なのだろうか?  ――

時代背景も経験の内容も『朗読者』の彼と私とは全く違うのだけれども、幸福を書きながらもうっすらした悲しみをにじませ、絶望を書きながらも深い愛情を感じさせてくれる文章に、共感を覚える。

「悲哀はなくならないものだよ。苦痛が消えることがあっても」
と教えてくれた恩師・森先生の声を思い出している。

 白桃の缶詰、もう長いこと買っていないけど、お店で目にするたびに、なんだかほっとなごむ。半球体の美しい形と、冷たくて甘くて奥にちょっとだけえぐみのある色っぽい果物を、つるんと食べてみたくなる。

桃は桃であるだけで充分おいしい。
子供時代も、今この時も 生きているだけで充分楽しく、書くことも、ただ書きたいから書いている。

存在感がくっきりと立ち上がる、そのつかの間の昂揚が好き。 
   
                「もらとりあむ11号 2002夏草」収録



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?