まっ白なきもちで
まっ白なきもちで
33歳夫が脱サラ
建築設備設計の代行業務で夫が独立したのは33歳の3月。私が3人目の子どもを出産してわずか3ヶ月の頃だった。
簡単なところから製図の仕事を教わっているのだけれども、覚えの悪さに我ながらあきれてウンザリしている。質問すれば、「ポイントがズレている」と批判されるし、メモしようとすれば、「そういう姿勢では絶対覚えられない。集中して今、覚えてしまうんだ」と強いられる。
「まっ白なきもちになって聞いてくれよ」とくりかえし夫は言う。
それは理解できるけど、悲しいかな、心を漂白する薬を持ってないのです。
連帯感もあった
けれど落ちこみっ放しというわけでもなくて、充実感があるのも事実だ。5月中旬から半月程、小学校のガス設計の仕事が入って、めんどうな直しもあったけれども、完成した時は喜びを共有できた。
ほとんど夜中の2時頃まで、日中も、圭が登園してからの9時~2時頃、1日、8時間~10時間くらい仕事のために使えるなんて、全く、想像もしなかった。
“喜び”というより“苦しみ”の共有ということだったかもしれない。
厳しいことばかり投げかける夫だが、時に優しいこともある。
「助かったよ、やっと見通しがついた」
「アイゾメ図はオレよりずっと上手いよ。そういうことがおかあさんにできるなんて知らなかったよ」
「おかあさんは仕事だけじゃないからたいへんだよな」
いたわりの言葉をもらうと、リゲイン1本分ぐらいエネルギー補給できるというものだ。
夫「中学の頃、このくらい頑張っていたらなぁ」
私「だけど、これ、あと10年してからじゃあ、体力がついていかないよね。今、独立して良かったよね」
夫「一緒に仕事するのも、想像してたよりは苦痛じゃないだろ? 仕事の時はオレはずっとやさしくなれると思うよ」
私「やれやれ。あれでやさしいつもりなんかい?!」
オーナーズマインド
ともかく、最初の3ヶ月がめまぐるしく過ぎていった。3月、4月は、営業先に詰める形で、サラリーマン生活と同じようだった。不景気で仕事が減って、営業してもいい返答はなかった。
5月に入って始めて、自力で仕事をもらえて急に忙しくなり、外注に出すようになった。出向で拘束されるのは良くないからと、基本的には家で仕事をし、午後から出向先へ打合せや営業まわりに出勤するという勤務形態になったのが5月の末。そして6月、新たに、取引先も増えて少しずつだが夫の表情が明るくなってきた。
「1年たっても、オレがシコシコ実務をしてるようだったら、あきらめてサラリーマンに戻るよ」
「夏頃には会社にしてみせるぞ」
夫は夫なりに、自分に“喝”を入れている。
そんなわけで、私も、モタモタ、オタオタではあるけれど、通勤時間0秒の生活を生き始めたをいう次第。
子どもたちの変化
「しょついんしつのべっと、きもちよかったよ」圭
幼稚園のアンパンマンメロンバスの帰りのお迎えは2時30分。圭は、必ずといっていい程、眠りこんでしまっている。無理もない、朝は6時に目覚めて父を見送り、姉を見送り、8時半の自分の登園までにかなりのエネルギーをつかっているのだから。
ところがある日のこと、ニコニコ元気にバスからジャンプして「タダイマ!!」。へんだな~と思って連絡ノートを開くと、「朝のバスの中で眠ってしまって、園に着いてからも、しばらく職員室のベッドで眠っていました。」と書かれていた。
朝6時半に夫を駅まで車で送っていた。仕事のやり方が変わって、送迎がなくなったので私はとっても楽になった。圭にとっても、朝のゆとりは大事と思う。
後追いが激しく、寄ると触ると姉と大ケンカしてギャ―ギャ―うるさい。自分のしたいことだけして、したくないことはしない。手が焼ける長男ではあるが、笑顔に励まされることも多い。
それは薫もきづなもおんなじ。
疲れたなぁと言うと、圭がすかさず「けいのパワーおかあさんにあげるよ、ポン、(と私の肩をたたいて)ほら、もうダイジョーブ」
薫は、後ろにまわって肩をもんでくれる。なんだかありがたい。本気でありがたい。
きづな(生後5ヶ月)ひとみしりをする
5月21日、いつも顔を合わせているなおちゃんのおばちゃんに抱っこされて、「イヤーン」(と聞こえたのだ)と泣きべそ。
成長したんだ。でも困ったな、もう少ししたら、日中、きづなを預かってもらおうと頼りにしてた人だけに。
午前中は、机の横に布団を敷いて、きづなを横目に仕事する。起きている時は、自分の手を見たり指をなめたり、声を出して機嫌よく遊んでいる。私と目があうと手足をバタバタさせて喜びを表わす。もうすぐ寝がえりをしそうだ。
6月6日初めての熱。姉の風疹が移ったのかな。ぐずぐず泣く。圭も体調を崩しかけて何度も泣いて目覚めてしまう。明日から、薫は登校できるかな。圭はどうかな。きづなはどうかな。
ヒコーキに感激する薫
学校から呼び出しがあって迎えに行ったのが火曜日。翌日、風疹とわかった。学校で流行しているらしい。ずっとお休みしていた。熱が39.3℃まであがっても元気があって、ちょっと目を離すと、絵をかいていたり、きづなをあやしていたり。
久しぶりにゆったりした時間だった。
のんびりした、薫らしい笑顔を見ることができた。
学校という所は、やはり楽じゃないんだろう。
でも「休みたい」とは一度も言わなかった。「早く行きたい」と毎日言っていた。ド根性カオル!!
昨夜は、薫と圭の間に横になったら、ふたりが嬉しそうに腕をからませて来た。足でヒコーキをしてあげた。重くなったな。小さい時からヒコーキはずいぶんしたけれど、重くなってて驚いた。薫が喜んだのなんのって。
“病気の時だけやさしいお母さん”になっちゃってる。
1992年5月 「どんぐり山 No.20収録
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