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「童話を書く」という試み~『かわたれの灯り』をめぐって ~

「童話を書く」という試み
~『かわたれの灯り』をめぐって ~



「童話実作入門教室へのお誘い」


童話を書いてみたいと思っている方のための、やさしい入門教室。原稿用紙の使い方からはじまり、4回の講座で1篇の童話を仕上げることを目指します。作品は童話雑誌「くろひめ」として1冊の本にまとめられます。
募集定員:12名(18歳以上)※先着順、4回参加できる方
会場:黒姫童話館 児童文学資料室
¥:2,400円(4回分の入館料、受講料、資料代を含む)
講師:山崎玲子さん(日本女子大学大学院 児童学研科 修了)

黒姫童話館からの公募を見つけたのは、今年(2019)の3月末。整体院のシフトを辞めて、今後は自宅整体ルームに集中していこう、と決心した直後のことでした。

そのころの記録には
「ひとつの扉を閉めたら、不思議なことに、絶妙なタイミングで、別の扉が開いた。ワクワクが舞い込んできた。
まるで心に開いた穴を埋めるように?
そうかもしれない。
でも、ただ埋めるだけじゃあなくて、なにかしらタネを蒔いているんだ」
と書いています。

そう、「別の扉」のあく音が聞こえ…。
閉まる前に…。「いまなら行ける! 」
迷うことなく速攻で申し込んだことは言うまでもありません。
 

黒姫通学


私にとって黒姫高原は、「ただいま!!」と言いたいような親しい場所です。だから月1回の信州通いは、毎回、本当に楽しみでした。季節の移り変わりを味わいながら、御鹿池を歩いたり、教室で知り合った人とお蕎麦を食べたり。最終日には「ペンションもぐ」に1泊して、初夏の黒姫を満喫することもできました。
ですが、今度ばかりは、毎回、試練の色濃く…。産みの苦しみを味わいました。書いても、書いても、童話の形式を借りた自己表現の域を出られず…。
もとより児童文学を読むことは大好きでしたが、読むと書くとでは大違い。童話の迷路をさまよい歩いた、結構ハードな3ヶ月間となりました。

教室では、1回目の講座で「書く方法」のざっくりとした説明があり、次回までに1作書いてくる宿題が出されました。
2回目は、それを人数分コピーして持ち寄り「合評」をします。自作文を朗読し、感想や疑問を聞くのです。それを参考に推敲して、次回また持ち寄り合評をする。これを3回繰り返します。

そこでは、山崎玲子先生の的確なアドバイスと、同期の皆さんの率直な感想に、たくさんの学びや、気づきをいただきました。
声に出して読んでもらった時に、生き生きとした情景が目に浮かぶこと。それが童話にとっての大切なポイントのようです。ですから単純ななかにもおかしみのある繰り返しや、わかりやすい展開、動物を擬人化した物語などに評価が高いようでした。
長いセンテンスはより短く、難しい言葉づかいは別の表現方法を、といった具合に、具体的に指導されました。
回を重ねるたびに、皆さんの文章がメキメキと変化し、シャープになっていくのは驚きでした。合評は、とてもスリリングな体験でした。

ツムギ誕生


童話ってなに?
どう書いたらいいの?
そもそも私のテーマは童話にふさわしいの?

その答えを求めて、上橋菜穂子さんの新刊を読んだり、童話編集者の本を読んだりしました。勇気をふるって友人に草稿を読んでもらったりもしました。
物語が動き始めたきっかけは、6月の初めに、きづなから贈られた「うさぎのランプ」です。
ふたりでランプの工房を訪ねたりする過程で、ある着想を得たのです。

「60歳になって、母の享年に近づいてきた私が、今、もしも母と再会できたら? 」

そうして7月の最終回の直前に、書きすすめていた構想を大胆に変更し、一から書き直しました。そしてヤットコサ、ひとつの物語を完成させることができました。
それが「かわたれの灯り」です。(#創作室にて公開中)
「ツムギ」というペンネームまで調子こいてつけてみました。

出来栄えは未熟ながら、書く作業を通して、自分自身に変化が生じた実感があります。それを講師の山崎先生は「カタルシス(浄化)」と呼んでくださいました。

黒姫童話館の前の石のベンチには
〈 忘れたものを思いだすまでどうぞ 〉
という文字が刻まれています。

私も、思い出すことができました。突然失われてしまった母との大切な絆を。 時を取り戻し、もう一度抱きしめなおすことで、やっと、哀しみを手放せそうです。

生家が人手に渡る


ところで、童話を書くことを通して両親と語り合っていたのと同じタイミングで、「生家がなくなる」という大きな変動がありました。これもなにかの「えにし」でしょうか。

父の死後、農地を整理し、無人になってしまった家と宅地の維持管理をしてくれていたのは、相続人である甥の健一さんです。遠方で家族と暮らしている彼から、
「朝子叔母さん。あの家をリフォームして住みたいという人がいるので、思い切って整理することにしました」という報告を受けたのが4月の半ば。
中の姉と一緒に、預かっていた鍵を健一さんに返しがてら、見納めに行ったのが4月30日、平成さいごの日のことでした。

ものよりこころ


両親が大切に作り上げてきた家が、日に日に荒れていく有様を目にするのはつらいものです。甥が「相続したものは負債としか思えない」とつぶやいたことも、理解できなくもありません。だから、甥の決断は間違っていない。この家を活かしてくれる人がいて良かった。区切りをつけることができて良かった…のだと思っています。「ものよりこころ」そう、何度もじぶんに言い聞かせています。

生家とのお別れの日。父に宛てて私が書いた手紙の束が寝室にあったので、形見に持ち帰りました。それから、健一さんの快諾を得て、父が献体したときの感謝状と、お盆用の家紋入りの提灯、仏様の掛け軸とぼんぼりを預かってきました。
父が「おらちのたからもの」と言っていた、お定さん(父の祖母)直筆の産婆日誌と、お仏壇のお位牌は、健一さんに託しました。
今年のお盆は、我が家のリビングにちいさな盆棚を作って、ご先祖様をお迎えしよう。お位牌はなくても、生家はなくても「ものよりこころ」です。

かつて、『たかばたけン家(ち)』と呼ばれた、家と土地に宿るすべてのいのち達よ。
いままでわたしたちを守り慈しみ育んでくれて、本当に、本当にありがとうございました。

さようなら。

                 「もらとりあむ46号2019夏草」収録


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