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60歳の誕生日に万年筆を

60歳の誕生日に万年筆を


ペリカン社のスーベレーンM400


「カッコイイオトナ」の象徴のような特別な文具といえば、私にとってそれは万年筆でした。
あこがれの原点は、大学時代の恩師である森 直弘先生。
万年筆を胸ポケットからすっと出してさらさらと書く姿が素敵で、その筆致も大好きでした。書くことの魅力を体現してくれました。


「諸君も気づいたであろう。ことばを文章にすること、それは自らの思想の表出であるがひどく精神の緊張をともなう作業であるということを。
ことばをえらび、それをくみたてていく、ことばがいのちをおびてくる瞬間の感動をくりかえし味わったことであろう」
(「文集によせて」より)

これは、私が作った第1号の「モラトリアム」-ゼミ卒業生の自主文集-に先生からいただいたお祝辞のなかの一文です。
書き続ける共苦の先にある精神的喜びを教えてくれたのも、森先生でした。先生からいただいた直筆のお便りや生原稿とともに、私にとって有形無形の一生の宝物だと思っています。

それにしても、あぁ、なんと40年以上も、万年筆への憧憬を温めてきたのか、私は!
いくらなんでもまだるっこしくてあきれてしまいますが、自分にはまだふさわしくない気がして手がだせなかったのです。
還暦祝いを口実に思いきって飛んでみたけれど、いつかはこれが似合うような「カッコイイオトナ」になれるでしょうか。

直感で選んだのは、ペリカン社のスーベレーンM400 ・特別復刻版の茶縞。ペン先はM(中字)。伝統的なピストン吸入式は万年筆の醍醐味なのだとか。
1本目のインクは、同社・エーデルシュタインのオニキス。墨汁のようなニュアンスのあるブラックです。
2本目のインクは、Kobe INK物語の神戸ヒメアジサイ。愛らしい明るい紫色で、娘からのおみやげです。

SNS依存というほどではないにしろ、長文を読む力、書く力が以前より衰えてきたとすこしあせりを感じています。「自らの思想の表出」といえるようなことばから遠ざかり、受けの良い当たり障りのないことばを選び、「いいね!」のような安易な肯定の時代の空気にうっかり近づきすぎてしまったのかもしれません。
万年筆を持つだけでなにかが劇的に変わることはありませんが、ゆったりした時間や自筆の温もりがじわじわと嬉しくて、ここからはじまる60代を愉しみにしています。

終活 事始め


還暦を機に夫とふたりで始めたこともあります。終活です。具体的にはお墓選びです。
順序からするとお墓は終活の最終地点。埋葬の前には、葬儀があり、死の瞬間があり、医療や福祉や家族に身を委ねざるを得ない期間があります。遅かれ早かれ、必ず訪れること。その都度、本人と家族は、まったなしで、やり直しが効かない選択を迫られることになります。
だから、元気なうちに、笑顔で話せる段階で、心づもりを持ち、方向性を定めて、それを家族に周知しておいたほうがいいだろうと・・・。身近な人の死がきっかけでした。

まずは見学から始めよう、ということで、樹木葬・永代供養墓・合同供養墓・墓石を立てる一般的な公園墓地・檀家のある寺院境内墓地など、何か所か巡って説明を受けました。(海洋散骨もいずれは・・) 

いろいろ勉強になりましたが、やはり簡単に決められるものではなかった。家の事情と考え方によって、選択肢は幾重にも広がり迷宮のようでした。お墓の問題は、夫婦関係、家族関係、親子関係のありようが色濃く投影されるのだとわかったからです。
「じぶんがそうしたいから、そうする」ではすまないわけで。
でも、どこかで踏ん切りをつけていかないと進まないわけで。
折り合える地点はまだ見つけられません。

我が家の場合でいえば「お墓のカタチはなんでもあり」なのだということはわかりました。自分の代で決めない、というやや無責任な選択肢も含めて。あたまをやわらかくして選んでいけばいいのです。お墓のありかたは移り変わってきたし、おそらくこれからますます変容していくのでしょうから。

山本ふみこ著『わたしの葬儀 「旅立ち」をめぐる21のヒント』は、終活全体を見渡すうえでの参考になりました。松本市の飯島惠道さんのグリーフケアの話にも触れられていました。
飯島惠道さんは、2013年4月の「里枝子の窓フィールド・らじおin信州国際音楽村~みどりの風の中で出会う」で里枝子さんとトークをされた尼僧さんです。
あの旅行は、みんなでコンサート&トークを聴いたり、信州国際音楽村のコテージに泊まって別所温泉の日帰り温泉にも行きましたね。たのしかったなぁ!

「待て、そして希望せよ」


ところで、12月23日は私の生まれた日でもあり、母の命日でもあります。母が亡くなってから21年、もうそんなに時が過ぎたのかと不思議な気がします。

ひさしぶりの墓参りでは、なんとなく穏やかな、晴れ晴れとした気持ちで夫の隣に立っている自分がいました。
「朝子なよ。がんばっていればいいことあるから」という母の口癖・・・。
12年前、小林はるよさんから贈っていただいた、モンテクリスト伯爵の最後の言葉
「待て、そして希望せよ」・・・。
家族や友と積み重ねてきた時間の断片・・・。
それらを愛おしく思い出しながら。

「もらとりあむ45号2019冬草」収録

追記(2023.1/29)

3年前の令和2年2月1日に母が老衰で亡くなりました。
同居を始めて3年、市内の特養にお世話になって7年の後のことです。
そのことをきっかけに思い切ってお墓を決めました。
吹上・勝龍寺様の永代供養墓です。
母と弟のお骨を納骨し、合わせて夫と私の分も申し込みました。永代供養墓というのは、檀家ではありませんが、毎朝ご住職が名前を唱えて手厚く供養してくださるのだそうです。33回忌を過ぎると合葬となり土に還るのだとか…。
春には元荒川の桜堤が美しいところで、吹上駅から歩ける距離です。子どもたちが小さかった頃はよく、お寺の近くのせせらぎ公園に遊びに行ったものです。
いずれは懐かしい風景の中に還っていけるのだと思うとなんとなく嬉しいです。私たちが健康なうちに、我が家らしい身じまいの形を整えることができて良かったなと思っています。

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