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【おでかけ記録】鹿児島・知覧で浮かんだ1つの問い
鹿児島県南九州市知覧町。お茶の名産地で、のどかな場所だ。今回の旅で、私はどうしてもここに行きたかった。知覧を選んだ理由は大きく2つある。
①鹿児島に親戚がたくさん住んでいて、過去20回以上帰省しているにも関わらず、今まで大隅半島側しか行ったことがない。有名な観光地等が集まる薩摩半島側に自力で行ってみたいと思ったから。
②約4年前から俳優・中村倫也さんのファンになったのをきっかけに、過去に出演されていた映画『俺は、君のためにこそ死ににいく』(2007年)を観る。ハマりすぎて4年間で少なくとも10回は繰り返し観る。その映画の舞台が、特攻基地があった知覧だったから。
本当はレンタカーを借りたいところだったが、ペーパードライバーで見知らぬ土地で運転するのは危険すぎるため、鹿児島中央駅からJRと路線バスを駆使して知覧へ向かった。
知覧特攻平和会館
偶然の出会い
知覧特攻平和会館は昭和62年に開設された。第二次世界大戦末期、本土最南端の地として陸軍基地が置かれた知覧。
ここから特別攻撃作戦(=特攻)で沖縄へ出撃し、多くの隊員が戦死した。隊員たちの遺品や記録を残し、後世の平和を願っている。
早朝8時。開館に間に合うように行くと、バスの本数の関係で1時間ほど早く着いた。それまでの間は会館の周辺を散策する。
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ぶらぶらと時間を潰していたら、土産物屋のスタッフさんが話しかけてくださった。「どこから来たの?」という話から、あれよあれよと会話が進み、なんと映画ロケ当時の話を聞くことができた。
平和会館前の並木道は実際に映画のラストシーンで撮影に使われたらしい。なんか似てるなあと思ってたけど、そうだったんだ……!
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いろいろ話をするなか、私は思い切って質問してみた。
私「正直、俳優さんのファンがロケ地巡り目的で、こういう悲しい記憶や歴史があるところに来るのは、不謹慎でしょうか?どのように思われますか?」
スタッフの方「こちらとしては映画きっかけで興味関心を持って、来てくれるだけで嬉しいよ」「実際に隊員の方が残した手紙や写真を見て、そこで何か感じるものがあるんだよね。その感じたもので人生振り返ってみたり、考えたりする、きっかけになれば」
その言葉を聞いて、ほっとした。世の中、いわゆる「推し活」をしている人ばかりではないからだ。どんなに自分が作品や俳優さんにリスペクトを持っていても、他者に同じように受け取られないこともある。
私はスタッフの方にお礼を伝え、平和会館に向かった。
いざ館内へ
8時55分。徐々に入口に人が並び始める。通常の開館時間より少し早めにチケット購入し、館内に入ることができた。せっかくなので、音声ガイドもレンタルして展示を見て回る。
今の自分の年齢よりも若い、10~20代の隊員たちの遺影。彼らが親や兄弟姉妹、恋人、妻に残した手紙の数々。それらを見て思ったのが「本当に一人一人、尊い命を持った若い青年だった」ということ。
ある10代の隊員は筆で太く大きな字で、母に手紙を書いていた。写真の表情から「この人は面白いことや、人を笑わせることが好きだったのかな」と想像した。
またある20代前半の隊員は、陸軍の中でも優秀なベテランパイロットだった。「こんな若くしてベテランって……」と動揺した私。妻子に宛てた手紙には、鉛筆で丁寧な文字がつづられている。その筆跡から家族との別れに対する、悲痛な叫びが込められていた。
本当に隊員それぞれに胸中に思いや考えがあった。しかし、それを簡単に表に出せない時代。言葉を選び、家族に心配をかけまいと書き残した手紙を見るうちに、何とも言えない気持ちになった。
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※ロビーは撮影可。撮影許可済み。
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半地下式で敵に見つからないよう屋根に杉の幼木を被せた。
ホタル館 富屋食堂
もうひとつ訪れたかった場所が「ホタル館 富屋食堂」だ。ここは戦時中に軍指定の食堂として、鳥濱トメさんという女将さんが数多くの特攻隊員を支えてきた場所である。
現在は建物を復元し、トメさんの生涯と特攻隊員とのふれあいの遺品・写真を展示する資料館になっている。
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一番心に残っているエピソードがある。
「俺、ホタルになって帰ってくる」とトメさんに言い残し、出撃していった隊員。その夜、入口から一匹のホタルが飛んできて、食堂の梁に止まった。
「さぶちゃんが帰ってきた!」
「ホタル館」の由来となった話。私は映画で知ったが、百聞は一見に如かず。実際の場所に訪れると感慨深い。
2階では5分おきにビデオが流れていた。生前のトメさんが当時の話をする映像が見られる。最前列のベンチに腰掛け、しっかり見てきた。
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知覧茶屋
現在、富屋食堂の味は鳥濱トメさんの曾孫の方に引き継がれ、特攻平和会館のすぐ目の前にある「知覧茶屋」で味わうことができる。
席に着くと、冷たい知覧茶が出された。この日は雨が降っていて、湿度が高く蒸し暑かったので、このお茶の味と香りが身体に染みわたった。
私は富屋食堂でも提供されていたという、とん骨(なんこつなどがついた豚肉を甘く煮込んだ鹿児島の郷土料理)と釜めしのセットを注文した。
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とん骨はトロトロしていて、あっという間に口の中で溶けた。
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ごぼうは戦時中の荒れた大地でも育てることができた食材で、鶏肉は当時ご馳走だったそう。注文を受けてから炊き上げるので20分ほど待つが、その分炊きたてのフワフワ美味しい釜めしが食べられる。
実際の戦時下では、物資や食料が不足していく中で満足に作れなかったかもしれない。それでも明日、飛び立つ若者のために食べたいものを聞いて私財をなげうって、食料を買い料理を作っていたトメさん。
映画でも「玉子丼が食べたい」という隊員に、着物を質屋に出して作ろうとするシーンがあった。そんなことに思いをはせながら、食べた。
おわりに
帰りのバスで、ずっと考えていた。
「私は今、何ができる?特攻隊員たちが自らの命を懸けて守った、今の世の中に対して、さらに次の世代へ何を残す?」
知覧特攻平和会館や富屋食堂でたくさん見てきた遺影、最初に出会った土産物屋のスタッフさんの言葉が頭から離れなかった。この問いは私の中でしばらく渦巻くことになるだろう。
少なくとも今、私の周りにいる人たちに感謝する。一瞬、一瞬を大事に過ごす。人生や世の中を、より良くするにはどうするか考え続ける。行動する。
精一杯生きようと思った。
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