2020年と2021年の境界に立って

今から1年前の2019年12月31日、中国は世界保健機関(WHO)に初めてコロナウイルスを報告しました。そしてすぐに2020年が始まりました。しかしそのように初めて世間に伝えられたコロナウイルスが、2020年一年を一気に飲み込んでしまい、世界中をボロボロにしてしまいました。コロナで始まり、コロナで終わったといっても過言ではないほど、2020年はそのように流れてしまいました。

2020年は庚子年。庚は金属や斧を意味して、子は霧雨を意味するそうです。斧に小雨が降るとサビが生えて捨てるように、伝染病のような湿った事件が生じるうると懸念される年。しかしコロナがこのように大きく広がるとは誰も知りませんでした。

結局2020年は日常の多くの活動が中断されてしまい、そのためまるで時間が止まってしまったような錯覚にも陥りました。現在と未来の区別が無くなってしまった時間の圧縮現象が起きたとも言えるでしょうか。

現在と未来といえば、ふと思い浮かぶ論文があります。2013年に米カリフォルニア大学のキス・チェン(Kieth Chen)教授が発表した論文ですが、彼は多くの国の言語が経済的行為に及ぼす影響を分析しました。

彼が明らかにしたのはこのようなことです。未来と関連した経済的行為の中で、最も代表的なものが「貯蓄」です。それで彼は言語によって貯蓄率がどう違うかを分析しました。その結果、未来時制を使用する言語圏の人たちはそうでない言語圏の人たちより貯蓄率が半分に過ぎないということを明らかにしました。

つまり「雨が降る」と「雨が降りそうだ」のように、現在と未来を明確に区分する言語を使用する国の貯蓄率が低いのは、言語習慣が現在と未来を明確に区分するために、未来が現在と遠く離れていると考えるようになり、それによって未来に対する対応能力が弱くなるということです。

反面「雨が降る、明日」というように、現在と未来を区分することが不明確な言語を使用する国の貯蓄率は、はるかに高く現れました。これは彼らが未来時制を使わない言語を使用することによって、人々が未来を現在のように思って、そのため未来をよりよく備えるようになるということです。

ところが2020年韓国の家計貯蓄率を見ると、例年に比べて大きく高まりました。もしキス・チェン教授の分析が正しければ、韓国人たちが今年だけは現在と未来を区分しなかったということになります。すなわちコロナによって時間が止まったという言葉が正しいことを反証してくれています。まるで千年が一日のよう、1日が千年のような年になったのです。

経済学的に見ても、貯蓄は未来のためであり現在の消費を放棄する行為なので、それだけ未来に備えようとする心が大きくなったことを意味します。おそらく最も大きな理由はコロナによって将来の不確実性が高まったためでしょう。

そして景気刺激のため、金利が史上最低に低くなってお金は出回るようになりましたが、そのお金が実体経済へと流れず、不動産と株式に集中し、資産価格だけが急騰する異常な事態が起こりました。消費の機会費用である金利が下がれば、その分だけ消費が増えるのではと考えたけれど、実際には消費は増えず、貯蓄だけが増え、資産価格だけあがってしまったのです。

そのような2020年は去り、牛の年である2021年、辛丑年がやってきました。辛丑年は「飢饉」を警戒します。ひどい飢饉で家族がばらばらになって生死も分からなかった1661年、辛丑年の悲劇から始まり、人や物をひどく探すことを意味することわざまで生まれたほどです。

近代の辛丑年に何があったのかを見てみると、1973年に石油ショックがあり、1997年にIMF通貨危機があり、2009年にはグローバル金融危機の余波を受けた年でもありました。それほど歴史的に見ても辛丑年は経済的に難しかった年でした。

だから2021年は私たちの期待とは裏腹に、経済的に難しくなるかも知れないという気もします。しかしコロナに対するワクチンが開発され、長くて長いトンネルの終わりが見えもします。だから心配よりも希望を抱きたいです。

辛丑年に夫を探し求めるということわざのように、霊的な新郎である神様を切実に求めることが、今のこの時の解決策なのかもしれません。

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