腐敗した公職者たちとその結末

政治指導者の腐敗は国の根幹まで揺さぶる

私たちはよく腐敗というと公務員を思い浮かべる。ところで大概、公職者の腐敗は、違法と脱法によって金を儲けようとする業者と、彼らから金品や接待を提供される公務員の共生意識に根を置いている。しかし問題は、このような公職者の腐敗が悲惨な結果につながるというところにある。1994年10月、聖水大橋崩壊、1995年6月、三豊デパート崩壊、1999年6月、京畿道華城郡シーランド青少年修練院火災などの大事故の裏にはみな公務員の賄賂の輪が絡んでいた。

特にこのような腐敗が大統領のような政治指導者に表れる時は、その国の根幹が揺らぐ可能性もある。一例としてフィリピンが挙げられるが、1960年代初め、フィリピンはアジアで日本に次いで2番目に豊かな国であった。1962年の韓国の1人当たりGNPが$ 76に過ぎなかった時、フィリピンは$ 170だった。当時フィリピン企業が韓国に来て、奨忠体育館も建て、文化観光部と駐韓米国大使館の建物を監理するほど、フィリピンは栄えていた国であった。1964年、朴正煕大統領がフィリピンを訪問した時、フィリピンの大統領マカパガルに語った言葉が、「私たちもフィリピンくらい良い暮らしができれば」だったほどだ。

ところが、このように栄えていたフィリピンの2013年の基準名目GDPは2,790ドルとなり、世界124位の貧困国に転落した。フィリピンがこうなった決定的な理由は、21年間執権し、数多くの腐敗を犯したマルコス大統領のせいだった。彼の一家は執権期間に90以上の企業を所有し、様々な利権に介入しながら$ 100億に達する不当利得を得て、スイスの銀行に$ 4億5千万ものお金を密かに移しておいた。

フィリピンの状況がどれほど凄惨だったのかは、2006年5月、アロヨフィリピン大統領がサウジアラビアを訪問した際、アブドラサウジアラビア王との首脳会談の議題がサウジアラビア刑務所に閉じ込められているフィリピン家政婦と建設労働者を釈放することであったという事実がよく代弁している。監獄に閉じ込められたフィリピン人は大部分が、家の主人の虐待を避けて逃げたり、お酒を飲んでいてつかまったり、他の国では罪にもならない罪で閉じ込められた人々であった。

現在、フィリピン人は8,800万人の人口の10%を超える900万人がお金を稼ぐために海外に出ていっている。それで「ユビキタスフィリピノス(Ubiquitous Philippinos)」という言葉も生まれた。

誘惑に陥らないために

一方、フィリピンとは対照的に、台湾の蒋介石(1887〜1975)総統は、不正に関しては厳しい人だった。ある日、彼の上の嫁が密輸に関係したという報告を受けて、蒋介石は嫁を家の外に呼び出し、その間に家の中を捜索して膨大な量の宝石を発見した。これに対し蒋介石は嫁にご飯をおごってあげながら、「これが最後の食事になりそうだ」と話し、誕生日プレゼントとして宝石箱をプレゼントした。ところが、宝石箱には宝石の代わりに拳銃が入っており、嫁はその拳銃で自殺してしまう。このような指導者によって建てられた台湾には、腐敗した公職者がほとんどいない。

1986 年2月、マルコスフィリピン大統領一家が権力の座から追放された日、彼らはまだ朝食も終えないままヘリコプターに乗ってハワイに亡命するしかなかった。彼らの食べかけの食卓の上には一般庶民が食べるカレーライスの丼が散乱していたが、一生涯に渡って大統領という地位を利用して膨大な腐敗を犯したマルコスは、人生というものが結局、散乱した丼のカレーライスのように虚しいということを悟れなかったのだろうか?

いくら多くの富を蓄積して高い地位を得るとしても、彼らが他の人よりも胃が大きいわけでもない。欲と贅沢のために始まる腐敗は結局、腐って悪臭を放つしかない。茶山丁若鏞は彼の著書『牧民心書』で自分の価値を高く付ける人は小さな誘惑に陥らないと述べた。むしろ富を持ちながら心配するよりも、貧しい生活をしながら平安で自由な方がはるかに良いかもしれない。それは正直さがこもっていない富は意味がなく、心の平和も得られないからである。富に対する欲よりも、天の御言葉で人格を整え、霊魂の格を高めたい。

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