3.11を振り返る◆2011.3.11からわたしのその後

今から10年前の3月11日
わたしは会社員だった。福岡の事務所で普通に仕事をしていた。
昼過ぎから東京本社と連絡がつかなくなった・・ような気がした。
当時働いていた会社での主な連絡手段はメール、よほどの急ぎではない限り内線電話は使わなかった。

メールの返信が遅いことはたまにあった。万が一考えられることはサーバーダウン。これは余程のことがない限りあり得ない。

何気なく開いたYahoo!を見ると地震が起きている。

しかし、まだ実感はない。ここ九州は全く揺れがないから。
情報が集まるほどどれだけ”やばい”かわかってくる。理解できるが理解できない。想像を超えている。

ゆりかもめ沿線にある会社の倉庫の近くが火事になっている。いつも文句を言ってくる倉庫長、大丈夫かな?

東京出張中の上司と後輩、どこにいるんだろう?
本社の友達、どうしてる?
東北支社に転勤になった同僚はどこにいる?
本州は?東京は?東北はどうなってるの?

帰宅すると原発が爆発した。”夢”ではない。映画みたいだが、現実なのだ。

わたしはエンパスではないが(多分)超共感症なところがあり、映像や話でも誰かが怪我するシーンなどあると本当に痛みを感じる体質。地震関連の報道で息ができなくなったり、体に痛みを感じ揺れすら感じていない九州にいてもこれだけのストレスを感じたということは現地や近隣の人はどんなに不安だっただろうと苦しくなった。

会ったことのない東北支社の同僚は行方不明になっている。本社の同僚は会社の主催のボランティアに有志として参加する。わたしはどうしよう。
少し経って、ペットたちをお世話するボランティアに行った。ただでさえ人付き合いが苦手なわたしが避難所へ行っても迷惑なだけだろう、と思い調べていると避難所へ連れて行けないペットたちをお世話しているところがあることを知りペットフードなどを購入して1日だけだけどお手伝いをした。
そこで知ったことは、飼い犬は自殺をするということ。
動物と人間ってさほど差がない。
動物だってストレスで自殺する。

わたしは仕事でミスが増えた。それまでのわたしは自分で言うのもなんだがスーパーウーマンでかなり仕事もできた。本社でもそれなりに名が知れていたし、取引先からもかなり信頼されていた。それなのに簡単なこともできなくなった。わけがわからない。どうしてこんな簡単なミスをするんだろう。あんなに見直したのに。自分が自分じゃないみたいだった。
素早く完璧に仕事をこなす、そんなわたしはもういない。

震災から約1ヶ月後に東北支社の行方不明になった女性社員から全社員向けにメールが届いた。彼女は生きていた。津波にさらわれたが生きていた。
会ったこともない、仕事も一緒にしたこともない、でも同じ会社の他人、だけどすごく嬉しかった。生きててよかったと心から思った。

その年、わたしは退職しようと思った。もうここがわたしの居場所ではない。仕事が手につかなくなったことの言い訳かもしれないし、新しいことへ挑戦するいい機会かもしれない、わたしのやりたいことってなんだっけ?そんな気持ちもあったと思う。その時はどっちなのかわからなかった。たぶん、前者だと思う。はっきり言って逃げの要素。

過去は変わる、変えられる。あの時は逃げだったが、新しいことへ挑戦できたことも事実、会社にい続けたら出会えない人たちと出会い、できない経験ができた。何より、同じ会社で働いていた人たちと今でも付き合いがあること、お取引先の人もまだ繋がりがある人がいること、それも最高の現実。この10年なんとか生き延びていること、これ以上のことがあるだろうか。

この時期になると流れる津波の映像、今でも体が強張り息ができなくなる。だけどわたしは今生きている。
死ぬまで生きようと思う。

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