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8月に寄せて──2022年、終戦の日

15日、終戦の日。

毎年、この日は昼少し前から甲子園中継を観ることにしている。正午になると、試合は途中であっても中断され、選手たちが脱帽し、観客と共に、音を遠く響かせていくサイレンに合わせて1分間の黙祷をする。画面の前にいる自分はと言えば、その光景をぼんやり眺めている。

暑い盛りの甲子園の舞台で、プレー中の球児たちが足を止め、試合に見入っていた観客が立ち上がり、一時、誰もが静かに戦争に想いを馳せるという光景を眺めていると、当然のようなこの日常の静止が、過去でも未来でも現在でもない、終戦というただその1点に集約されるようで、なんとなく、また新しい通過点をまともな気持ちで踏み越えていくというような気がする。

それにしても、年を経るごとに確実に遠のいていく戦争を、毎年8月になると、無理にでも過去の大切な記憶として引き寄せて考えてみる。

現在の権力に対してメディアの責任を果たせているとは到底思われないNHKでも、貴重なフィルムを集めた戦争関連のドキュメンタリーや特集を豊富に放送している。ほとんどは深夜に。再放送も多く、既に観たものも少なくないが、それでも時間の許す限り観直すことにしている。大戦関連の本も、日記や手記を中心に再読したり、新たに求めたりする。

戦争記憶の継承の問題が言われるようになったのは、別に最近のことではない。その危機感から、技術的な進歩と共に多様な取り組みが今も進められているが、それと同時に、これまで口を閉ざしていた戦争体験者の中にも、今こそ自らの経験を伝えておかなければならないとして新たに当時を語り始める方々の存在が報じられもする。それでもそれは、当然のことではあるけれど、戦時を語る方々の高齢化や、戦争が刻々と遠ざかりゆくものであるという現実を止めることにはならず、記憶の未来への継承の地盤を固めることを意味しない。

新たに語り始められる個人の体験は、既に物故された語り部の方々の記憶に代るものではなく、大きな記憶の地平に、これまで知られていなかった新たな地歩を加えるものである。個人が語った記憶に同じものはなく、それぞれのかけらは相補的に結び付き、時に重なり合いながら、広く深い集合的記憶を紡いでゆく。

しかしそれは、確実に埋められた、あるいは埋められる可能性のある完璧な全体ではない。戦争体験者によって語られることは、実際に経験された出来事の一定の部分に過ぎず、永遠に失われた一片を膨大に抱える記憶の集合体にしかなり得ない。その、絶対的に不完全であるということ自体が、戦争の悲惨さを物語る。

戦禍の規模の大小を問わず、戦争では、その瞬間に命を落としたという人たちが数え切れないほど存在する。また、そうした危機を辛うじて乗り越え、命を繋げられた人の中にも、その後を、様々な理由で生き延びることのできなかった人たちがいる。あるいは、語る術を奪われた人たち、語る術どころか、まともに生きる術をすら奪われた人たちがいる。戦後の理不尽の中で命を落とした人たち、絶望の中で自ら命を諦めざるを得なかった人たち、寄る辺なく、生きることだけで精一杯だった人たち。この人たちに、体験を語る余地はない。

言葉にならない想いを抱え込んでいる人たちもいる。後世に伝えておきたい経験や思いを抱えながら、決して言葉にすることができない。自ら忘れたようにして過ごすことでしか、自分を守ることのできない記憶もある。それは、それほどの記憶があるということだ。

他方、これは、経験を共有しようと自らの体験を語る人たちが、語ることのできない人たちよりも辛い現実を体験していないことを意味しない。終戦から時間が経ち、曲がりなりにも実現された平和らしきものの中にあっても、体験を語ることを通じて当時に立ち返れば、語り手はありありとその頃の思いをなぞることになる。語るたびに傷付き、悲しみを蘇らせ、自分を責める可能性さえあるということ。戦後の歩みの中で日常に没頭し、いつしか頭の片隅に仕舞い込んでいた過酷な過去に対峙するという厳しさの中から、証言は伝えられている。

そしてそんなふうに紡ぎ出される言葉の裏には、やはり言葉にされない部分があるだろうと思う。語り手の過去や現在の事情が語りに少なからず影響する場合もあるかもしれない。このことは、何らその語りの意義を失わせるものでも、傷つけるものでもない。不安定さや揺らぎ、時間の経過と共に細部が薄れゆく可能性をさえ含む個人の記憶こそが、重さをもって、実際に起きたことの断片を証言する。

戦争記憶には、語られ得ない部分が多くあるということを考える。語られた記憶だけでなく、語られなかったこと、今も語ることのできない人がいて、そして永遠に語られることのない記憶があるということをずっと考えている。


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