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オンライン化で対面の「本人確認」はなくなるか―eKYCの基本と本質―

行政・企業に広がる「本人確認オンライン化」の波

 コロナウイルス感染症拡大の収束の見通しが立たない中、ビジネスの在り方も、オフライン/リアルからオンラインへの移行が着実に進んでいる。
・会議
・講演・セミナー
・契約・発注
・決裁(脱ハンコ)
等々、いずれも従来、日本では真剣に取り組まれることがなかった課題である。これに対し、今回のコロナ危機以前から既に、企業や行政で取り組みが進んでいた領域がある。その一つが「本人確認」のオンライン化、いわゆるe-KYC(Know Your Customer)である。
 例えば、銀行口座を開設したり、携帯電話の契約をしたり、古本屋で本を売ったりするとき、利用者は身分証の提示を求められる。これはもちろん、店が客を不審人物と疑っているからではなくて、法律でそう義務付けられているから、そうしている。銀行口座の開設は犯罪収益移転防止法(犯収法。架空口座などがマネーロンダリングやテロに利用されないようにする法律)、携帯電話は携帯電話不正利用防止法(略称)、古本売却は古物営業法といったように、事業ごとに法律で本人確認が定められている。
 これらの法令が最近、相次いで改正され、本人確認の方法としてオンライン方式が認められるようになってきている。これは必ずしも規制緩和ではなく、犯収法では、従来郵送で認められたいた本人確認の方法が厳格化されていたりする。また、後述するように、オンラインでの本人確認の技術は長足の進歩を遂げており、対面と比べても、そん色のない精度が得られるようになっている。こうした状況の変化を背景に、効率化と厳格化の両面が追求されているわけである。行政側と利用者の利害が一致するので、制度改正がどんどん進む。
 そしてもう一つ促進要因となっているのが、マイナンバーカードを普及したい政府の思惑である。マイナンバーカードは本人確認の手段としては間違いなく最強である。遅々として進まないマイナンバーカードの普及に焦りを募らせている政府にとって、こうしたオンライン本人確認の機運は大きなチャンスであり、また、仕掛けてきた政策でもある。昨年12月から年明けにかけては、内閣官房と各省庁が連名で、本人確認を義務付けている事業を営む様々な業界団体などに対し、「本人確認のデジタル化・厳格化の推進について(依頼)」なる文書を発出している。内容としては、要するに、マイナンバーカードを使った本人確認のオンライン化を進めてください、というものだ。特に法令に根拠のない、昔懐かしい行政指導の公式版である。ただ、この手の文書はけっこう効果がある。業界団体としても、こうした“ 錦の御旗”があるとないとでは、内部での意見調整の進めやすさが大きく変わってくる。基本的に、どの業界にとっても本人確認のオンライン化はビジネスの効率化に繋がるので歓迎しており、あちこちの業界で、この文書が拡散されている。

例)全日本不動産協会:国土交通省・内閣官房「本人確認のデジタル化・厳格化の推進に係る要請」について
https://www.zennichi.or.jp/2019/12/26/191226/

 行政による本人確認オンライン化の制度整備も既に相当進んでいる。例えば、犯収法は昨年、法改正が行われ、顔の容貌の画像、ICチップの情報、写真付き画像の情報などの組み合わせによる、様々な方式でのオンラインでの本人確認が可能となっている。他の分野の法令でも制度改正は進展している。本人確認の方法は分野によって様々であり、割賦販売法(クレジットカード決済などを規制する法律)ではオンラインビデオ通話なども認められている。このように、我々があまり意識しないところで、政府・経済界をまたいだ大きな制度改正の波が広がっている。

本人確認にも色々ある

 「本人確認」は、銀行口座開設やクレジットカード作成といった例であれば、すんなり理解できる。しかし、一般論としての本人確認は、分かったようでいて、実はかなり分かりにくい。例えば、ソーシャルメディアにログインするときのメールアドレスとパスワードの入力は本人確認なのか?といったことを考えると、頭が混乱してくる。しかも専門家も人によって定義が異なっている。人によって、ウェブサービスへのログインも本人確認に含まれるとみなす人と、それは「当人確認」だという人や組織(経済産業省など)もいる。さりとて、「当人確認」という言葉も「本人確認」との違いは分かりにくい。なぜこんなことが起きているかといえば、元々、現在の経済法令群が成立した当時の本人確認には、ウェブサービスへのログインといった経済行為は想定されていなかったからである。法制度がアナログのまま、ウェブサービスの利用が浸透してしまった、という例である。ということで、本人確認の定義をはっきりさせておかない限り、もやもやがずっと残ることになる。
 そこで、まず現在のビジネスに沿った形、すなわちウェブサービスを前提に、本人確認の定義を整理しておく。

・本人確認には「狭義の本人確認」と「広義の本人確認」の2つがある。
・本人確認には、(a)改ざん防止と(b)なりすまし防止の2つの目的がある。

そして、
・「狭義の本人確認」では、(a)と(b)の両方をチェックし身元確認を行う。
・「広義の本人確認」では、(b)のみを防ぐための利用者認証を行う。

このうち、一般に本人確認と認知されているのは前者である。そこで、以下のように整理しておくのが妥当であろう。

①(狭義の)本人確認=身元確認
②(広義の)本人確認=利用者認証 ※一般的には本人確認とは言わない

②もなりすましをチェックする以上、結局、間接的には本人確認を行っているのだが、直接、本人確認の手続きを行っているわけではないので、本人確認とは呼ばない方がよい。なお、非匿名型のソーシャルメディア(facebookやlinkedin)は、本人確認の手続きをしなくても、自然に本人確認されてしまう性質を持つ。ただし、それは、主に「友達」や「Connections」の積み重ねによって特定されるものであり、手続きとして本人確認が行われるわけではない。したがって、やはりこれも②のチェックのみが行われるサービスなのだと理解すればよい。(図1)

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図1 本人確認の定義(出典:拙著,月刊J-LIS 2020年7月号)

 以上のように整理すれば、本人確認についての理解の混乱は、ある程度、整理がつくのではないだろうか。

長足の進歩を遂げるオンライン本人確認の技術や手段

 非対面の本人確認といえば、まず思い浮かぶのは生体認証である。結局、人間が本人であることを確実に特徴づけるものは身体でしかないからである。生体認証には、顔の容貌、指紋、虹彩、声紋など様々あるが、王道は顔認証である。というのも、顔の容貌であれば、目視でも確認できるので安心であり、身分証に貼り付ければ対面確認にも利用できるので便利であり、認識精度も高いからである。顔認識用のAIに判定をさせた上で、人間もダブル・チェックをかけるといったことも一般的に行われている。筆者のスマートフォンもパソコンも顔認証方式で、一日に何度となくログインするが、まれにソフトウェアが不具合で動作しない場合を除けば、精度そのものについてストレスを感じたことはない。マスクをしていても認識する。顔の構造の特徴をとらえて識別するためである。
 最近増えているのが、専用のアプリで、顔の容貌を異なる角度で撮影・送信させ、身分証に貼付された顔の容貌の画像、あるいはデータとして格納された顔の容貌の画像を、顔認識用のAIに照合させる、というものである。このあたりは日本は割と得意とする領域なので、世界の中でもそん色のないレベルで開発が進んでいる。また、ビデオで撮影させながら、ランダムに「右を向いて」「左の目を閉じて」といった指示を出すことで、なりすましがないこと確認する方法もよく使われている(図2)。

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図2 AIによる画像の照合(出典:同上)

 このようにAI技術を活用した画像照合と、ICカードなどに格納された本人情報の確認を組み合わせることで、本人確認の精度を高めている。
前述の制度整備とこうした技術の進展が相俟って、多くの業界で本人確認のオンライン化が進んでいるのである。そして、いったん身元確認のための本人確認ができれば、以後は元となる身分証カードが有効である限り、再度の(狭義の)本人確認自体は不要となり、ログインIDとパスワードによる利用者認証(記憶認証)によってサービスを受けられるようになる。

マイナンバーカード交付時の対面確認は残る

 しかし、上記の(狭義の)本人確認のオンライン化は、“大本”の本人確認が前提になっている。身分証の画像と本人の画像を照合できたとしても、その大本となる身分証が真正でなければ意味がない。当然ながらその確認には厳重な正確さが要求される。マイナンバーカードでは、こうした“大本”の本人確認は、現状では対面を基本としている。いちいち役所に、指定された日時に行かなければならないなどと不評のマイナンバーカードだが、それは本人確認の“大本”であるからに他ならない。ただし、本当に対面での本人確認が、非対面での本人確認とは決定的に違うのかと言えば、そうとも言い切れないように思う。窓口でマスクをしたままやりとりをして、最後にちょっとマスクを取ってもらい目視で確認するのと、ビデオ映像ながらいろいろな角度からチェックするのとでは、本質的な違いはないだろう。それでも対面確認を必要とする理由は、むしろ国民の側にあるのではないか。これだけ重要なカードを、対面確認もせずに交付することを、おそらく多くの国民は許容しないだろう、ということである。マイナンバーカードについては、多くの国民がいまだに、かつて刷り込まれた不信感・警戒心を持ったままである。そうした人々の安心感や納得感を充足するには、当面、対面によらざるを得ないのだろう。
 そのうえで、初回作成時にのみ役所に出向く手間をどう感じるかは人によって異なる。最近は、パスワードを忘れた高齢者が役所に押し寄せているので、一度きりとはいかない人も少なくないが、このプロセスが妥当かどうかも、結局は同じ課題に行き着く。つまり、国民がどれだけマイナンバーカードに安心感や納得感を求めるかにかかってくる。昔から言い古されている言葉であるが、国民はそのレベル以上の政府を持つことはできない。これは民度と政治の成熟度というよりも、ある政策についての国民と政府の信頼関係を言い表していると言える。世界では、政府のデジタル化が進んだ国であるほど、国民の政府に対する信頼度が高い傾向が見られる。特に北欧諸国などでは、国民の政府への信頼度も、電子政府の進展も高く、両者は深く関係している。
 日本の社会にはまだまだ非効率な慣習や制度が山のように残っているが、その解決が進むかどうかは、より根本的な国民と政府の信頼関係によるところが大きい。これは一朝一夕に解決するものではない。まさに政治家と国民の力量が問われる課題と言えるだろう。

(E.K.)

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