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正直、喰らった。私が日々見ていたものの「側」の位置が…違ってたんだって。<ピーキーモンスターズ世界観小説レビュー>


普段ならこんなことはしないのに、なぜかそうしようと思った。

人生でそういう感覚になったことはそう多くはないが、何度かある。今回でいうところの「こんなこと」とは、今まさに書いているこの文章のことだ。

何をするにも昨今、レビューというのは大変参考になる。

買い物などではもちろんだけれど、ネトフリやアマプラなどで映画やドラマを観るのが好きな私は、観るかどうか判断するのに事前情報は言わずもがな、見終わった後の解説や考察、感想なども積極的に読みに行く。

そこに書いてあることを判断基準にさせてもらったり、作品で難解だった部分の理解を助けてもらったり…人様のレビューには大層お世話になってきた。良くぞ自身の貴重なリソースを割いて文章にしてくれたものよ…などと思いながら、感謝もしていた。

しかし、自分もたまにはそうしてみようか、などと思ったことは全くなかった。

SNSや掲示板などを見てもコメントはしないし、レビューを書いたら送料無料とか割引があるとか、特典がつく商品があるが、どれだけ得をすることが書いてあっても面倒くさく、「書かない」を選ぶ。

別に主義とかいうわけではなく、面倒くさいことはやりたくない、というだけだ。

そんな自分を知っていたので、こんなふうに「作品を読んで感じたことを書くこと」が面倒を飛び越えて、やりたいこととして湧いてきた時は、不思議な気持ちにもなった。

作者のハム氏が数年前からTwitterで作品を出していたのは知っていた。私は彼が表現の軸足を置いていた界隈に詳しくなかったので、その面白さは正直よく分からなかったのだけど…私の友人が推していたので、ただ何となく、流し見していたのだ。

そんな氏がある時、これまでの作風とはガラッと違う新作「ピーキーモンスターズ」という漫画を出した。小説はこの漫画の裏側としての立ち位置で描かれていて、漫画は通称ピキモンと呼ばれている。

出た時はシンプルに嬉しかった。ようやく私にも分かるやつが来たぞ、と。友人ともその話題が話せるし、キャラもなかなかキュートだ。ハム氏&絵師さん良いぞ、と心の中で賛辞を送った。それからハム氏のTwitterをチェックする頻度は爆上がりした。以前分からなかった界隈のネタも、チェックする頻度のおかげで理解度が増し、何となく分かるようになったほどだ。

そうして日々少しずつ推し度は増していき、お気に入りのキャラや愛着も生まれてきたが、ピキモンにちょくちょく挟まれていた“ヒトが滅んでいる"という描写については、特に気に留めていなかった。単なる設定の一部としてしか捉えていなかったと思う。だからこの小説が公開された時の、衝撃と言ったらなかった。

滅んでいた「側」が、
私が日々見ていたものの「側」の位置が。

違っていたことを知った。

“単なる設定“として幾度となく目にしては流してきた描写が、一瞬でリアルになってしまったのだ。


…正直、喰らった。

第一話を読んで辛くて、悲しくて、
第二話で少し救われた気持ちになった。

最終話は途中から涙が止まらなくて、スマホの画面が何度も歪んだ。


この小説は当時「三夜連続」という形で三日間かけて公開されたのだけど、最終日の余韻は特にすごく、公開されてすぐ読み終わってからもしばし泣き、落ち着いて風呂に入ったらまた思い出して湯船で泣いた。この文章を書くためにまた読み返した時も、やっぱり泣いた。


彼らは居なくなってしまってたんだ、という事実が胸に突き刺さる。


元々、物語なんて存在していない、架空のものだ。町長だって動物達だって同じ、創り出されたフィクションだ。…そんなの、頭では分かっているのに。


どうしてだろう。いつの間に、だったんだろう。

ピキモン達が私の中に「存在」するようになっていたのは。


そしてその事実より、
自分にとって実感した“初めてのこと"がある。

それは、悲しい事実を知った時よりも、

彼らが幸せそうに笑っていることを想ったり、

彼らがどんなに想われて
大切にされていたかを知った時、

長く辛い思いをして罪の意識を抱えてきた人が
解放され、安堵する姿を知れた時の方が、

ずっとずっと、泣けたこと。


現在生きている人でも、大切な人達のことを想った時、笑顔で幸せそうにしている姿を想像するだけで涙ぐんでしまうことが、たまにある。

町長は、20年だ。どんなに嬉しかったろう。

そして、その町長の想いが
自分の中にも流れ込んできたと感じられるくらいには、

私にとっても“あの子達"は、大切な存在になっていたみたいだ。



顔が分かるわけでもないのに

町長の最期の表情が浮かんでくるような、

全てのシーンが目の前にあるわけではないのに、

見えてしまうような。

この小説にはずっと、
“見えない映像が分かってしまう”感じがあって

小説を読んでいるのだけど、体感的には普段、私が映像作品を見ている感覚ととても近かったように思う。

読んだ後の喪失感は辛かったが、後日ハム氏のnoteにあとがきがアップされ、そこにピキモンはずっと続けていきたい、物語の中で幸せに生き続けるんだ的な内容が書いてあり、救われた気持ちになった。


今回、普段だったら絶対やらなかったであろう「思いを言葉にすること」は、やってみると案外良いものだなと思った。味を占めてやみつきに…はならなかったが、この小説が自分にとって大切な作品になったことは間違いない。


せっかく書いたことだし、このnoteがどなたかの目に留まって、この小説を読むきっかけになってくれたらいいな、とこっそり願っておくことにしよう。


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