映画『ザ・トゥルー・コスト』を観て

『ザ・トゥルー・コスト』(2015)は、ファストファッションの罪について切り込んだ、ドキュメンタリー映画。ファストファッションは発展途上国の人々の安価な労働力なくては存在しない。それを知る人は多いと思うが、実はまだその先がある。人権までをも無視した労働環境、工業化された綿栽培による人体への薬品被害、先進国の人が捨てる服や余った生地のゴミの山など、ファストファッションが世界を席捲しているように、負の影響も黒く世界を覆いつくそうとしている。これは未来へのリスクだ。

近年、一年間で800億枚の新しい服が買われているそうだ。これは20年前の400%にも相当する。一方で、服の価格は年々デフレ化。ただ、製造コストが下がったわけではないため、その歪みは生産現場に押し寄せる。コスト削減策として工場主は手抜きをするか、安全対策を緩めて対応しているようだ。おかげで工場ビルの倒壊事故など死者の出る悲惨な事故が多発しているのが現状だ。

バングラディッシュの縫製工場で働くシーマは23歳。労働組合をつくり、要求を通そうとした結果、工場主らに暴行を振るわれた経験もあるという。幼子を伴っては働けないため、また教育のためにも遠く離れた実家へしばらく娘を預けている。長い期間、会えない。彼女はいう。「(将来)娘を自分のように働かせたくない」。そこで私は「未来を花束にして」を思い出した。女性参政権をもぎ取るためにまで闘った女性たちの実話を基にした映画。家族や子供を奪われ、自身が傷つけられても、未来の子供達を自分たちと同じ目に合わせたくないと活動した物語だ。二つはとても似ている。でも恐ろしいのは「未来を〜」が100年前の話に対して、シーマの話は今起きていることだということだ。

映画ではあらゆる角度から警鐘を鳴らす。例えば広告のやり方。本当は服は使うものなのに、広告の手法によって消耗品と思わされている。その結果、大事に使っていないのだということ。捨てる、安いからまた買うという情けないループがあることは、認めざるを得ないところがあるのではないか。

ファストファッションの歴史は1950年代から始まったというから、たった50年ちょっとで世界は変わってしまった。このまま受け入れて、次の世代へと引き継ぐのか、ここで賢い判断をするのか、考えるべき時が来ている。




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