映画『関心領域』

 『関心領域』はアウシュビッツ収容所に関係のある物語だ。すごく関係があるはずなのに、ほとんど関係がないような顔をして暮らすある家族を主体に話は進む。いや、関係は深くある。なぜなら家庭菜園やプールもある白亜の邸宅は、収容所のレンガの塀を隔てたすぐ隣にあるからだ。庭に出ると煙突も見えれば、収容されている人たちの声も聞こえるし、看守たちの怒号も響く。しかし幾人もの使用人を使いながら、育ち盛りの子どもたち5人と夫婦の暮らしはまるでアメリカのホームドラマのように映る。映画は司令官の誕生日から始まる。そこがまた痛々しい。
 この映画でこれまでしたことがないような体験をした。スクリーンを見るときに着目した位置がいつもとは違っていた。普通は中央や登場人物に目をやると思うが、どうしても塀の後、スクリーンの上部を見てしまう。塀の奥で何があっているのか、その向こうばかりが気になる。上の方に煙突から出る炎や煙、汽車の白煙などが見える。汽車はもう同じ人をのせて戻らないことを私たちは知っている。
 それはおそらく計算された演出であるのかなと思う。登場人物はほとんどアップにならないし、だいたい引いた画になっている。人物のまわりに何が写っているのかをよく見るようになっているのだろう。静かな画面でまだ成犬になっていない黒のラブラドール・レトリバーが登場し、画面をちょろちょろする。
 3日経ったけれど、作品から何を受け取ればいいのか、まだよくわからないままにいる。人間の業とは何か、慣れるとは何か。そもそも人が人を裁くなんてできるのか、では今は?死刑制度は?などということをぐるぐると考えている。人間の業については最近は『オッペンハイマー』にも感じたことだった。無関心をこうして可視化されてなんてことかと震えたが、そもそも無関心とはなかなか目に見えないものだと気づくと、背筋が冷たくなった。

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