どん底より


ふわり、と体が軽くなる
一緒に心も解き放たれる
きっとその瞬間に、私は思うんだろうな
「ありがとう。ごめんなさい。」って


たくさんの恋をした

図書室にいた彼、転校生だった彼、はちきれそうに明るく笑う彼、不思議な価値観を持った彼、野菜が食べれない彼

そのどれもが今さらきらきら光るのは
私もきらきら笑えてたから


たくさんの挫折もした

三輪車を貸してもらえなかった、内緒話が届かなかった、大きな舞台で違う動きをした、部活中に過呼吸を起こした、理由もなく嫌われた、足並み揃えて頑張れなかった、自分に自信を持てなくなった

鮮明に思い出されるこれらはいつだって
私の原動力であり足枷だった



たくさんの愛も知った

生まれる前の日の景色を由来に名前をもらった、無償に注がれるそれの受け取り方を知らなかった、自分がそこにいるだけで人を笑顔にできることもあると知った、一緒に泣いてくれる友達や職場の先輩がいた、遠く離れていても同じ経験を積んでは話に花を咲かせてくれる友達がいた、辛い時真っ先に抱きしめてくれる友達がいた、何よりいつも味方でいてくれる家族がいた

受け取った分だけ、私は何か返せたんだろうか





と、ここまで書いたのが1ヶ月前の私。

どん底もどん底。お察しの通り、最低なことを考えていた。単純に、消えたかった。

そんなことを、誰に吐き出せるわけもなかった

辛いとき、自然と視野が狭くなるのが私の悪い癖
塞ぎ込んで誰の話も届かなくなる


そんなどん底から少しだけ這い上がってきたときに
ふと思い立って連絡をした友達がいた

同じくどん底を経験したことのある彼女は
その経験すらも糧にして、発信する力を身につけていた

すごいなあ
きちんと前を向いて生きてるんだなあ

そう感じたと同時に、彼女が私にくれたのは
自分自身を認めて、許して、肯定できる力だった

「ハイテンションな自分も自分、沈んだ自分も自分
どんな自分も自分の一部なんだから、許すの。
許せたらね、楽になれるよ。そのままでいいんだよ。生きてくれてるだけでいいんだよ。」


あぁそうか、私はどんな状況にある自分も許せなかったんだ、と思った

うまくいかずに挫折してる私も、全てがうまくいってる私すらも、許せなかった。ずっと自分が嫌だった。


でも、それも自分だと受け入れて
そんな自分を必要としてくれる人の思いを数えたら
簡単には消えられなかった

そして
嫌だと思ってるのは自分だけかもしれないとも思った


嫌だ嫌だと言いながら、結局はこの自分から離れられないこともわかってる。
小さい子のイヤイヤ期みたい。
人は、そう簡単に変われないもんだね。




今の私はというと
1ヶ月前の自分よりはなんとなく
自分の人生を楽しめる気がしてる
なんとなく、だけどね



明日は何をしようか
何を思って過ごそうか

誰かが生きたいと願った明日を
どう、大事に生きられるだろうね



少しずつ掬って、糧にしていけますように