note少しだけ続けて思ったこと
はじめまして。ただの大学生です。
最近、noteを文字通りノートとして使っています。忘れないために書いている。
最近、というか今思ったことを書いてみます。
ノート書いてると、みんな面白かったり頭良かったり、色々な人がいるなぁと思います。
私がnoteをこまめに書くようになったのは、
暇があるが、自由な空き時間に、人に合わせず暇を潰したい
人に合わせるのが苦手なおかげで、日々なんとなく過ごしてると思いがち
バイトしてるとおじさまおばさまに「軽く見られてる」気がした
おじさまおばさまにもムッとして、実際なんも考えてない自分にガッカリした
私は本当になんも考えてないのか確かめようと思った
こんな感じだと思います。
まあ、他にも多分要因はありますが、まだ気づいてないです。
とにかく、私はロボットじゃない、と自己証明したかったのかも。
でも、ちょこちょここうして記録するようになって、以前より大人になったというか、少し違う考え方ができるようになりました。
以前
若いからってなんも考えてないと思われるのは心外
人のことを軽くみる人にはなりたくない
でも「私は人のことを尊重する人だ」という気持ちよさに酔いたくない
ネットで人を切り捨てるような言葉をみると、その発言者にイライラするし、発言者をまた同じ言葉で切り捨ててしまう自分にイライラした
頭がいい人の言葉は頭の悪い人を貶しているみたいに見えた(もうどうしようもないですね)
今
まあ、いいじゃないか、全てはタイミングの問題だ
軽んじる人は、明日には若者に「偉いねぇ」と言っている。そしてその次の日には、たむろするヤンキーに「これだから若いのは」と言う。ヤンキーに見えたその人たちは、次の日の為に身支度したり、きちんと歯を磨いたりする。
ということなんだなと。
なにかを軽くみる、軽蔑する、嫌う、切り捨てる。
それをしていく、それが変わっていく、矛盾していると言われる、恥ずかしくなる、怒る、そんなのが私の1回きりの人生かなと。
どんどん変わってどんどん恥かいて、「歳だけとったな」とか言われるのかもしれません。
そういうことなんだなー、と。
私は軽くみたり、切り捨てたりすることを病気のように嫌っていました。
でもnote読んで「なんでこの記事こんなにスキがつくんだい」と思ったり、小説読んで「なんだこの話は」と思ったり、B層という単語に怒ったりしてるので、もうどうしようもなく私はなにかを軽くみたり切り捨てたり、それに後悔したり恥かいたり「治さなきゃ」って思ったりする人なんだなーと。
前は「治さなきゃ」が終点でしたが、そこから少し抜け出た感じがします。
これからも怒ったり軽く見られたり軽くみたり切り捨てたり後悔したりする、ふつーの人でありたいなと、ただそれを願っています。
ネットで攻撃的な意見を書く人のことも、以前より怒らないです。やっぱり怒るし、「こんな奴になりたくない」と思うこともありますが。そして、「こんな奴」なんて思った自分にイライラしますが。
この人、明日には大好きな人に一生懸命言葉を選んでいるのかなとか思うと、なんだかははあと思うわけです。
全てはそこに現れるタイミングの問題。
だから何してもいいわけではないけど、何もしちゃいけないわけでもなく、とにかく、難しいものなのだと思いました。
恥かいたり怒ったりするのは嫌だし、いつもニコニコしていたいですが、まあ無理だ、と思ったのでした。無理なことは嫌がるべきじゃないなと。
今はね。
明日はまた変わるかも。
そういうことなんですね。
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