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自分ではない誰か、のために生きる「世話(焼き)人」

イントロダクション

「対話」「挑戦」「成長」の生態系をつくっています、シリーズの7回目です。

前々回(5回目)から、対話コミュニティ、ソシャり場!の大学生の運営メンバー、「世話(焼き)人」についてお伝えしています。
「世話(焼き)人」が書いているnoteも是非!)

前回は、"「オーケストラ」から「ジャズ」へ。「分業」から「全体性」へ。"という話をお伝えしました.
では、なぜその様な組織になるのでしょう?

その答えは、「世話(焼き)人」との1 on 1の中から見つかりました。

それは以下2つの振る舞い、もしくは文化でした。

1.伝えるべきことを伝える(「自分を守るため」に言葉を飲み込まない)

2.自らフィードバックを取りに行く


以下、それぞれお伝えしていきましょう。


1.伝えるべきことを伝える(「自分を守るため」に言葉を飲み込まない)

我々の日常もそうですが、

空気を読んで言いたいことを言わない

ってことってよくありますよね。例えば、


「場の空気を壊したくない」

「(目の前の誰かが)傷つくかも知れない・・」

「ここでこれを言ったらプロジェクトがちゃぶ台返しになる」

みたいに。


でも、これって本当に壊したくないもの、傷つけたくないもの、って

「場」「誰か」「プロジェクト」なんでしょうかね?

そう、実は「私」じゃないんですかね?


今、この瞬間「伝えるべき」と思っても、上のようなフレーズが頭をよぎって、言葉を飲み込んでしまう。

しかし、この瞬間自分の身を守れたとしても、その「ツケ」は何倍にもなって返ってきますよね。
私も何度もそのツケを払ってきたのでよくわかります(笑)

でも、これまで何度かお伝えしている、「海外ビジネスインターンシップ」で学生たちと相対したときに、それではいけない、と思い知らされました。
自分が傷つくことを恐れて耳障りの良いことしか言わなければ、目の前の学生たちを本気で揺さぶることが出来ない。

言い換えれば、自分が傷つくことを恐れず、目の前の相手の成長を願って(祈って)伝えれば、相手も鎧を脱いで受け取ってくれる


「世話(焼き)人」の彼らは、私が40代で気づいたことを、軽やかに実践していたんです。

2.フィードバックを自ら取りに行く

これは1つ目の振る舞いの「裏返し」ですね。
自分が傷つくことを恐れず、相手の成長を願って(祈って)伝え ることが出来るのは、自らも(愛のある)厳しいフィードバックを受ける覚悟が在るからです。

というよりも寧ろ、彼らは「厳しい」とすら思っておらず、受け取ったフィードバックに、はにかみながら「ありがとう」と言うのです。

"伝えるべきことを伝える"時、私もいつも背中がヒヤっとします。
それは、「あなたはどうなんですか?」と無言で問いかけられるからです。
この問いかけに自分一人で答えを出すことは残念ながら難しい。
だから、他者の力を借りるんです。
そのことを理解している彼らは自らフィードバックを取りに行くんですね。

そして、この2つの振る舞いは循環します。

伝えるべきことを伝える”こと

フィードバックを自ら取りに行く”こと

が、呼吸をするかのように当たり前の景色として繰り返されることが「ジャズ」的であり、利己主義や合理主義では生まれ得ない「全体性」をもち、もはやそれが文化になっているのでしょう。

なぜ、このように振る舞う「世話(焼き)人」が集まったのか?

では、こういう振る舞いをするメンバーは「たまたま集まった」んでしょうか?
それとも、なにかに「引き寄せられた」のでしょうか?

私はその理由を、ソシャり場!が

「対話の場」であり、そのテーマが「ソーシャルイシュー」であること

ではないか考えています。


「対話の場」で「世話(焼き)人」をやってみようと考えるということは、やはり対話的なコミュニケーション、つまり「相互理解」を目指すコミュニケーションの資質を持っているか、必要性を感じているということなのでしょう。

そして、ソシャり場!では対話のテーマに「ソーシャル・イシュー(社会課題)」を扱います。


ソーシャル・イシューは、多くのステークホルダーとその利害が複雑に絡み合っていて、その「打ち手」がなかなか導き出せないことを、彼ら「Z世代」は、私達オトナの失敗を通して自覚的に(もしくは無自覚的に)学んでいます。

特に「世話(焼き)人」である彼らは、自分たちの世代にその課題を達成しないと「次の世代」ではなく「自分たちの世代」が生きる場所がなくなることも本能的に理解しています。

だからこそ、このソシャり場!、そしてそこでの「世話(焼き)人」として活動することが、利己主義や、経済合理主義を乗り越え、社会課題達成のために

自分ではない誰かのために生きるという Life in Purpose(=人生の目的)
(*「働くことのパーパス」【日本語版に寄せて】より)

の実践と実験の機会であると感じ、参画し続けてくれているのではないでしょうか。そして、この「生態系」つまり、ソシャり場!と「世話(焼き)人」が現代社会の要請であることを改めて実感させられます。

まとめ

今回は「世話(焼き)人」の振る舞いについてお伝えしました。

 "自分ではない誰かのために生きるという Life in Purpose( =人生の目的)” を行動指針の最上位に置く彼らは、

「場の空気を壊したくない」、から
「場の空気を守ることより大切なことがある!」と信じ、

「(目の前の誰かが)傷つくかも知れない・・」から、
「相手を思って本気でぶつからないと相互理解へは至らない!」と信じ、

「ここでこれを言ったらちゃぶ台返しになる」から、
「ちゃぶ台を返さないとブレイクスルーできない!」と信じ、


伝えるべきことを伝え

その言葉を発するに足る存在であるか、パーパスの実践者であるかを自らに問い続ける為に、

自らフィードバックを取りに行くこと

を無意識ながらも必然的に行っているのでしょう。


実験はつづく

(2021/02/25時点のソシャり場!の実施回数 14回)

*文中で紹介した書籍はこちらです。


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