「べき」思考に首を絞められる

私は、自分自身に対して常に「べき」を課している。


この時間には起きるべき。
午前中には全ての家事を終わらせるべき。
個人成績は常にトップであるべき。
この組織の人間としてこうあるべき。
周囲の人には優しくするべき。
困ってる人は助けるべき。
ゴミ箱はココにあるべき。
仕事の連絡は休日でも返答するべき。
締切は守るべき。






「べき」がゲシュタルト崩壊を迎えてきた。

もはやここまで来たら強迫的なものまで感じるが、以前までは自分自身を奮い立たせるストイックな気持ちの現れだと思っていた節もある。


私はこの「べき」思考を持って、自分自身を鼓舞したことで生きづらい世の中を生き抜いてこれたと自認しているが、その一方で「べき」思考こそが生きづらさの産出源になっていて、自分で自分の首を絞めてしまっていることもまた事実だ。


誰かの役に立ちたい、自分の所属している組織や団体に貢献をしたい、誰かを傷つけなくない、誰かにとってプラスになるような存在になりたい、、、

当初は他人軸を持って考え、そのために自分自身ができることとして課したはずの「べき」が、気づいたら、「べき」に当てはまる自分であるにはどうしたらいいか。と無意識の間に自分自身にベクトルを向けて考えるようになってしまっていた。

そうすると、本来の思いとは裏腹に、周囲からは自分勝手で傍若無人な人物だと思われる。

そうではないんだよ、本意ではないんだよ。と声に出したいが、そうすると自分自身が直近でとってきた行動との辻褄が合わなくなる。そうなると口を噤まざるをえない。

こうなると、自分の中で生じたねじれが、まるで1本のロープのように変化し、自分の首を絞められるような錯覚に陥る。


単に協調性のない人間だと言われたらそこまでなのだが、つまるところ私は、誰かと共存するための自分よりも、自分という個体を成立させるための自分にばかり目を向けていたのだろう。

未熟で愚かな私に「べき」思考は早すぎたようだ。



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