自分の心の在り方で付き合う相手は変わる

(2021年1月29日 11:56に投稿した記事の再掲。)
今の彼氏は、今まで付き合ってきた人の中で一番優しい、というか、存在そのものが愛。
誰に対しても自然と優しく振舞えて、自分を良く見せよう、格好つけようという欲が全くないし(たとえば鼻毛出てても、口臭いって言われても気にしない)、変なコンプレックスもなければ、自虐的なところもないし、めっちゃ素直で、自己利益のために動こうとすることがほぼ完全にない。
あーこの人って、エゴが本当に少なくて、愛に近い存在なんだなと隣にいて感じる。
そして、私が一番尊敬し、他の男性とは一線を画しているなと思う彼の良いところは、一切モラハラちっくな発言をしないところ。
私のありのままを受け入れてくれる。
「もっと○○しろよ」とか「こういうとこ直した方がいいよ」とかいっっっさい言わない。

こんな彼に出会えたのは、私自身が私自身を大切にしようと心掛け始めた結果だと思う。
彼は自分から「好き」って言ってくれないけど、彼なりにちゃんと好きでいてくれていて、「私ばっかり好き好き言ってるから、私のほうが好きが大きいのかなあ?笑」って半分冗談で言ったら、「なんでそんなこと言うの!俺だってちゃんと好きなんに…(しょぼんとしたスタンプ」という超可愛い反応が返ってくるし、いつも私の希望を叶えてくれるし、めちゃくちゃ大事にされているなって思う。

一昨日から生理の私に対しても、何も言わずにバファリンを用意してくれたり、食欲無いと言ったらインスタント味噌汁出してくれたり、彼がオフィス行って私がテレワークしてる最中も、LINEで逐一「大丈夫?」「今日は家で寝てな」(本当はいけないんだけど)って気遣ってくれる。
こういう対応を彼から得られるということは、私が私自身にそうしてあげたいと思って心掛けていることを彼も一緒になってしてくれているのではなかろうか。(彼はそんな私の思いは知らないし、無意識だけど)

今、海外駐在中で、東京で働いていたときに比べれば1万分の1の忙しさなので、ここ数年、自分の働き方、生活、心の在り方を見直して、一番自分を大切にできるのは自分しかいないって、当たり前だけど、大事なことに改めて気づいた。
特に、卵巣に嚢腫が見つかって、生理痛が酷くなったり、肌も荒れに荒れていたので、このままじゃ身体に悪いなと思ったことがきっかけだったかな。それで、睡眠や食事を見直したり(今でも完ぺきではないけど)、何より「頑張らなくていいよ」って自分に声をかけるようになった。

これまでの私は、なんだかずーっと頑張ってきた。
親の期待と自分がありたい方向性がたまたま一緒だったから、押し付けられている感じはあまりしなかったけど、3年前くらいに気づいたんですよ、あ、すっごい疲れたな、もう頑張れないって。
小学校から習い事週4回、成績はオール5。
中学に入ったら1年生のときから塾通い、何でも一番が当たり前、友達もたくさんいて、クラスのメイングループに属していることが当たり前。
高校は全国で上から5本の指に入る偏差値の学校で、やっと自分のレベルと同じ人たちに囲まれある意味ほっとしたのもつかぬ間、行事とテストと部活の嵐嵐嵐。
大学は私大トップクラスの希望の学部に入って、ここでも真面目に授業を受けつつ、「大学生らしく」サークルに入り、バイトし、恋愛し。
就活で悩み、大学院で修士取って、第一希望の会社に総合職で入って、一人暮らし開始。社畜で瀕死寸前の数年間を経て、語学と国際教養を身に着けるために社費で留学。
そして、留学生活では、思っていたように語学が伸びるわけでも、外国人の友達がたくさんうぇーいってできるわけでもなく、自分が想像していたよりもかなり暗くてハードで、後悔は全くないけど、自分の思い通りにいかない度は人生で最も高かったかもしれない時間を送り、先ほどの「疲れたな」の念に至ったわけです。(お蔭で今も英語に対する心理的壁が厚すぎるぜ。)(留学については、また別途書くかも。)

私の人生のハードな面をつらつらと概略書いてみたわけだけど、この生きてきた間、誰に言われたわけではないけれど、「世間」からの「こうあらねば」に凄く囚われていた気がする。
高校が日本有数のエリート校なので、そこくらいから、ノブレスオブリージュ的な、私みたいな「優秀な」「高学歴キャリア女子」は良い職について、社会に自分の能力を還元しなければ的な考えがあったから、常に「上へ上へ」みたいな、「こうあらねば」みたいな気持ちがあって、それにどんどん拍車がかかっていた気がする。(そもそも「上」って何だよって話なんだけど。)
(まあだから、そもそも仕事へのモチベーションがある意味義務感・社会的責任感・理想像の追求、みたいなもんだから、「仕事が生きがいです!バリバリ☆きゃりあうーまん」って感じでもないんだよね。だから、仕事に徹しきれず、悩むわけでもある。)
今もまだ、「少しでも人が生きやすい世の中にしたいな」という気持ちはあるけど、でも、何より自分が第一だろ、と思うようになりました。
死んだら意味ないし、病気になったら自分も周りも辛い。
そこまで誰も求めてないし、私が仕事に命かけて死んだところで、大事な人を死ぬまで悲しませるだけで、世間は私のことなんかすぐに忘れていくし、世の中に「悪いこと」が起き続けることを止めることはできない。
それだったら、仕事はほどほどに全力で頑張って、それ以外の楽しみを充実させるほうが死ぬ前に「充実した人生だったな」と振り返ることができるのではないかと思い始めた次第。

なんだか恋愛の話から逸れてきたので戻すけど、つまり、自分の状態が良くないときは、恋愛の状態も良くないという話。
自信がないときの大学生時代の彼氏は、見た目もプロフィールも完璧、男らしくて、とっても頭が良くて、かっこいい人だったけど、最後の方はモラハラが凄かった。
私に自分の中にある理想のパートナー像を押し付けてきて、他にもいろいろ強要して、最後の方は恐怖心を煽って私を動かしていた気がする。
とてもとても大切な人だったし、私の人生に大きなインパクトを与えた人であったことは間違いないけど、今思い返すと今の彼氏と真逆だった。
それは、私に自信がなくて、私自身が無意識に誰かに支配されたがっていて、そして自信がないが故に、私も無意識に彼に対して自分の理想のカップル像みたいなのを押し付けようとしていたからだと思う。

社会人になってからは、うちの会社は若手を人とも思わず使い倒す感がやばいので、本当に死にそうになり、金銭感覚も狂ってたし、不健康なものばかり食べてたし、全然寝てなかったし、今考えても大変凄惨な生活をしてた。
その間、私の男性経験人数はうなぎのぼりに増え、自分自身のことまじで雑に扱ってたなと思う。

留学中は、私と同じように自分の人生に悩んでいる、子どもっぽくて、プライドばかり高い、めんどくさい男のことが死ぬほど好きだった。
今振り返ると、顔だけだったし、そいつに雑に扱われて、傷つけられまくっていることが自分にとって相応しい状態だと思っていたのだと思う。
なぜなら、私自身が私自身に対して「(英語ができない、留学生活を華やかにこなせない)お前はダメな奴だ」って呪いをかけまくっていたからね。

長くなりましたが、つまり要点は、今の彼が私と付き合ってくれたから結果論的に言えることではあるけど、自分という基盤を整えることは、素敵な恋をする上で何よりも大事だとこれらの経験から学んだところです。
今の素敵な彼に「こいつとはフィーリング合わなくなってきたな」と思わないように、これからも自分のことを何よりも大切にしていきたいし、恋に悩んでいる人は、相手ではなくてまずは自分のことを徹底的に見直してほしいと思う。

bella
・30代前半女性。未婚。基盤は東京都心。それなりの大組織に勤務。現在は3か国目の海外駐在中。 ・趣味は読書、映画、マンガ、アニメの考察、旅行、写真。興味は美容とファッション。ユーモアで笑うことが好き。 ・同じ悩みを抱える人の気持ちを少しでも軽くしてあげられるような言葉をかけたい。

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