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生い立ち②小学校では影が薄く友達少ない

私の小学校時代は、一歩外に出ると内向的でとてもおとなしい子供でした。

近所の友達に誘われて行った、初めての子供会のイベントでも名簿に名前がなく、「あの家にお子さんがいらしたのね!」と、初めて気付かれる始末。

学校でも友達が少なく、先生に「好きな子同士でグループ作って!」と言われると、みんな楽しそうにキャッキャッと声を上げて、気の合う子同士で固まります。

私はというと、ひとりポツンと残されるタイプ。

クラスにひとりいませんでした?
こういう子供。(笑)

それもそのはず。

勉強はできない。
運動神経もない。

今と違って食べる事に興味がなく、容姿もチビでガリガリで色黒、手足は毛深く、髪だけがとても多いのです。

三つ編みにしていたので、ついたあだ名はインディアンの酋長(しゅうちょう)の娘。(笑)

男子は面白がって、そう言ってからかってきます。
しかし、酋長の娘なら下っ端よりいいかと、あっけらかんとしていました。

そんな私にも、やがて親友と呼べる友達が出来ました。
それもなぜか、字も上手く先生にいつも褒められる、勉強、スポーツ万能の学級委員長。

いったい、私のどこがいいのかと聞きたくなります。(笑)

お互いの家に遊びに行ったり本当に気が合って、学校が楽しくなりました。
先生が「2人1組になってください」と言っても、真っ先に私を選んでくれる友達がいるのです。

そんな、楽しい学校生活も長く続かず、その友達はお父さんの転勤で転校してしまいました。

私は心の中にぽっかり穴が開いてしまいました。

月日が経ち、次にクラス替えをきっかけにできた友達は、私と同じタイプの内向的な性格で、とても絵が上手い子でした。

このとき小学4年生。

私も彼女の影響で、この頃たくさん絵を描いていました。

そして、知的障害の女の子、みっちゃん(仮名)も同じクラスになりました。

みっちゃんは、クラスの男子によくからかわれます。

男子も悪気はないのですが、「気持ち悪い」とか「近くによるな」と、残酷な事も言われていました。

女の子の方が精神年齢が高いと言いますが、このときも、クラスの女子全体でみっちゃんの面倒を見るようになりました。

もちろん、男子からのからかいは倍返しです。(笑)

私と友達も、自然とみっちゃんに優しくしようと心がけ、学校が終わった後も遊びに誘いました。
私は弟が知的障害児なので、他人事ではないのです。

みっちゃんと歩いていると、見た目で障害児と分かるためか、学年が違う知らない子にも、すれ違っただけで、心無いことを言われるという事を知りました。

友達は正義感がとても強く普段は大人しいのに、みっちゃんに心無い事を言う子供に立ち向かって行く姿は、とても頼もしかったです。

「みっちゃんは、好きでこんな風に生まれてきたんじゃない!!」という、彼女の言葉に反論できる子は、ひとりもいませんでした。

いたとしても、「バーカバーカ」と言い返す程度です。

私は彼女の強さを真似したいと思い、彼女のマインドを自分に取り込んでいきました。
この頃から、私自身だんだん友達が増えて行きました。

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