表現の不自由展は何がだめだったのか冷静に考える
世間が大騒ぎになった「表現の不自由展」について、企画者とかそれにGOを出した行政とかのアイデンティティーというか、人格にはなるべくタッチせずに、ただ展示としてだけ考えたとき、件の展示は何がだめだったのか。可能な限り冷静に考えてみたいと思います。
・「自由」の定義がズレていた
大きいのはこれかなあと思います。
自由って何をしても良いってわけじゃないでしょう?
私も別に自由をバッチリ定義できているわけではありませんが、自由って多分、自分の倫理観と世の中の規範に矛盾していなくて、他者を傷つけなくて、自分で責任が取れて、それで初めて成立するんじゃないかな、と。
倫理観と規範については、それが守れないと露出狂も一種のアーティストになってしまうので最低限だと思います。他者を傷つけないのもそうですけど。でも他者を傷つけるのはヘイトであり名誉毀損になったりして立派な犯罪です。「表現」は「犯罪」の逃げ道ではないのでこれも勘違いしちゃまずいところです。
責任の所在が自分にあるのは当たり前のことなので特に何も書きません。
もし今回の展示がそういう「自由」の定義について問いを投げかける意図だったとしたら、もうちょっとバランスよく展示物を選んで欲しかったと思います。めちゃくちゃ偏ってる。
・時期が最悪だった
ナーバスになってる時って些細なことで傷ついたり腹を立てたりしてしまいますよね。今まさにそんな感じだと思います。
もしかしたらこれがもっと別の時期なら、ここまで大炎上はしなかったかもしれないと思います。まあ先述の理由で燃えてはいたと思いますけども。
でも脅迫のファックスが届いたりするまではならなかったんじゃないかなあ、と。いやわかりませんけど。仮定のお話なので。
・最後に
これは私の感情の話なので書くか迷いましたが、今回の話題を見て最初に思ったのが「オナニーを公開しないでくれ」というような感想でした。
それで自分はスッキリするんでしょうが、他人のオナニーなんて見たくないです。せめて同じ性癖の人たちだけの、身内でやってくれよ。
でもそれってなんかすごく幼稚な嫌悪だなって思ったので、嫌悪の年齢をあげてみる試みとしてこれを書きました。
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