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技術哲学ナイトを視聴し思ったメモ

技哲ナイト! 世界観とテクノロジー観 Make! テクノクエスト⑥ - YouTube

 七沢先生、皆様、金曜は有難うございました。Youtubeにアップされた録画で聞き直して、ふと、思ったことをメモします。先生方は、ギリシア―西洋的ロゴス観の主客分離型説明・論理に対して、東洋的空の観方から出てくるとされる関係型レンマ・中論というものを論じていらっしゃいました。
 前に私の恩師が中世哲学の山田晶先生であると申し上げたのですが、山田先生が京大から南山大に来られた頃、同じく京大から愛知学院大に仏教学の武内 義範先生も来られました。当時、山田先生が『トマス・アクィナスのエッセ研究』で示された「存在esse現実態」と仏教思想で「空」とされる(もの・こと)は、おなじ(もの・こと)を示していないだろうか、と質問したことがあります。その解答は、やはり「そう思います」と仰られました。
 トマスでは存在者ensは本質essentiaと存在esseとの合成であり、概念化・論理化されるのは本質の側面であり、存在はハイデッガー的に言えば概念化できない地平概念、つまりカッコ付きでそうした(もの・こと)と表現するのが限界となります。それは本質として概念化される可能態の側にある物を、現実態の状態(エネルゲイア)にする(もの・こと)だとされ、神学的創造論で純粋現実態(神)が与え=創造し=現実態の状態にする(もの・こと)であると説かれます。色即是空という観立ても、世界の色々な物の表裏に空なる事の象を表象するのであり、「存在」も「空」も「無」を示してはいないわけです。

 その前提で、人間の認識で共通に観てきた(もの・こと)に遡源すれば、結局、哲学・仏教学・神学と言った枠を取り除いて現在一番多くの人の共通認識で語れそうなのが「エネルギー」ではないかと思うのです。「真空のエネルギー」=0ポイント・フィールドに満ちて、量子場に発生する「ゆらぎ」の途方もないマルコフ的再帰連鎖から宇宙を一つの(もの・こと)存在・空にしている場。プラトン的神話論ならデーミウルゴスがイデア(情報)を観想してそれを位置付けるコーラ。J.ホイーラーなら「単一電子仮説」で示される宇宙に普遍波動エネルギーを展開し、観測関係性で固有粒子性を示す電子エネルギー。速度無限大、即ち宇宙それ自体という事態で運動量エネルギー=0、静止という事態で、固有・粒子質点的運動エネルギー状態を示す。
 こうした様態が、存在と空、論理とレンマ・中論、波動と粒子、エネルギーと情報、エントロピーとネゲントロピー、それぞれの研究で観えてきたのではないでしょうか?

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