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敵を愛せ=知れ — ユダヤ:パレスチナ地上の覇権から天の国の平和へ

「パレスチナの論理」を徹底解説~「ハマス憲章」で読み解く”弱者の論理”とイスラム武装闘争【豊島晋作のテレ東ワールドポリティクス】(2023年12月8日) (youtube.com)

 ヘブライ語では「愛する」と「知る」は同語で表現します。『旧約』の「アブラハム物語」で「その夜、アブラハムは妻を知った」と翻訳されますが、意味は「愛した」です。イエスの言葉とされる「汝の敵を愛せよ」は「敵を知りなさい」ということになります。
 『新約』は『旧約』の古代の「聖戦」という侵略戦争の正当化を乗越えよというストラテジーを表現しています。
 『旧約』の「ダビデ物語」はペリシテ=パレスチナを、遊牧部族をユダヤ統一民族とした原理、ヤーウェ(在る者=部族の神の一つにバイアスがかからない名)という神の名のもとに侵略し、鉄の槍や刀、鎧も使わず勝利した聖なる闘いであり、神が与えた土地を奪い返したのだと、正当化します。実際には遊牧民の投石器は、飛び道具であり強力です。これを物語では、ダビデが小石を投げて相手を倒したと表現しています。
 こうした物語の論理は、まさに自分たちの民族の戦争の正当化をストラテジーにしています。『新約』はこれを乗越え「平和」のためには、「赦し」しかないと、強調します。右頬を打たれたら、左を出せ、赦して赦して赦して、あくまで赦すことからしか、平和の始りはない、と主張するのです。そして「汝の敵を愛せよ」、即ち、この地上の覇権争いをする相手を、何を問題にしているのか先ず知りなさいと主張しています。
 『新約』は「受肉した言葉」=「人の身になって、寄り添うコミュニケーション」を教えます。「敵を知る」のもこの「コミュニケーションで相手の身になって相手を知る」ことが「天の国」=「地上の覇権争いをする国から平和の国」に至る道であると、説きます。「道であり、真理である」のは、この「言葉のみ」と主張するのです。
 『旧約』を共に聖典とする宗教文化の両民族を、何とかもう一つの『旧約』を聖典とする宗教文化を持つ者達が、平和へと導けないのでしょうか?バチカンはもっと精力的に動けないのか?‥‥、確かにイエスは、そうして十字架に架けられるという犠牲を払ったわけですが・・・。

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