「樽栓一撃」 Der Zapfenstreich(デア ツァpフェン・シュトrライヒ)

 男性名詞der Zapfenは、基本的に「円錐形をした、穴を詰められるようなもの」の意味があり、それで、「樽栓」などに訳せるが、他にも、その形から、「まつかさ」と訳される。が、これは、日本の「まつかさ」のイメージとは若干異なり、とりわけ、ドイツ・トウヒの球果を指す。よくドイツの森の散歩道などに落ちているのであるが、約10cmほどの長さがあり、細長い形状をしている。ゆえに、先の尖った長いものの意味も持つことから、Zapfenは、「つらら」の意味もあるのである。この単語の発音であるが、z音は、「ツ」、pf音は、f音を発音するようにして、前歯で下唇を噛むが、その際、p音を発音する時のように、上唇も下唇に付けて、一気にf音を発音すると、原語のpf音に近くなる。カタカナで「プフ」と表記してしまうと、「限りなく」原語から遠くなるので、あえて、「pフェン」と書き記した。

 der Streichも男性名詞で、上述のような意味「一撃」などがあるが、この単語は、もともとは、streichenという動詞から来ており、「(刷毛などで)塗る、こする、なでる」などの意味もあり、そこから、弦楽器をドイツ語で「Streichinstrumente」と呼ぶのである。発音は、とりわけドイツ語的発音で、この言葉をきちんと発音できたら、自分で鼻を高くしてもいい単語である。まず、st音のs音は、「シュ」で、これに「ト」を付けるのであるが、ここがstrとなっているところから、本当は、「シュトゥ」と表記すると、より原語に近くなる。r音は、喉の軟口蓋を震わせて発音する音で、これができない場合は、舌先を転がして発音する。さらに、ch音が、しっかりと摩擦させて発音する「ヒ」音である。

 それでは、Zapfenstreichとは何であるかと言うと、兵隊に帰営を促すことである。これは、16世紀末ごろから文書に見られるようになった言葉で、兵隊が夜に酒を飲みに出た際に、消灯時間が決まっていて、兵隊は決まった時間までに帰営していなければならず、それを兵隊に知らせるために、士官が、鼓笛隊を連れて、各々の居酒屋を回って歩き、中に入って、ビール樽の栓を棒で一突きしたところから来ている言葉である。いわば、「帰営ラッパ」の意味である。つまり、酒の座がお開きになる、何かの事柄がこれで以って終わる、という、更なる意味がこの言葉の文脈に付与される訳である。

 こうして、このZapfenstreich に儀式的意義が付加されるようになり、ロシア、オーストリア、スウェーデン軍の儀礼を見倣いつつ、19世紀前半に、キリスト教のコラール音楽を軍楽隊に演奏させる、現在の形での「栄誉礼」に発展する。このような形でほぼ完成した様式が初めて記録されたケースが、1838年5月12日にベルリンで執り行われた栄誉礼で、受礼者は、ロシア皇帝ニコライ一世であった。受礼者が高位になる場合、Zapfenstreichの言葉に「groß」(グrロース:ßの文字は、「エス・ツェット」と読み、発音は、かならず「さ」行音の清音となる)が付く。意味は「大きい」の意なので、これを付けて訳せば、「栄誉大礼」となろうか。これは、ドイツ連邦軍が、ある文民に対して捧げる最高の栄誉礼である。

 それでは、このようなGroßer Zapfenstreichは、どのように挙行されるか。これは、松明行進となるので、挙行時間は、松明の効果が映える夕方になる。まず、会場には事前に32名の海軍兵士が松明を掲げて、受礼者が座るべき場所を円の中心点にするようにして、受礼者に対するようにして、いびつな半円を描くように立っている。このいびつな半円を、俗に「真珠の首飾り」と呼んでいる。

 受礼者が臨席すると、受礼者から見て左側から、「儀仗隊」が入場行進して来る。全員が戦闘用ヘルメットを着用した儀仗隊の構成は、小銃を携行した陸軍二個小隊、鼓笛隊、そして軍楽隊で、これらを囲むようにして、空軍一個中隊が松明を掲げ、松明を持っていない手を白い弾帯のベルトに掛けて、随行する。この儀仗隊入場の際の行進曲は、ベートーヴェン(ドイツ通であれば、「ベートホーフェン」と発音したいところ)が作曲した有名な行進曲で、「Yorckヨルク軍団のマーチ」と呼ばれ、1813年にプロイセン軍の将軍Ludwig Yorck von Wartenburgを讃えて、彼の名前の一部Yorckを取って名付けられた。1813年と言えば、「フランス大革命の子」ナポレオンからドイツを「解放」する戦争が起こった年である。そして、この戦争は、政治的には「反動的」であり、2年後には王政復古のウィーン体制がヨーロッパに敷かれることになる。

 さて、儀仗隊が入場して、「真珠の首飾り」を背景に、受礼者の前に整列すると、いわゆる、「セレナード」が軍楽隊によって演奏される。このセレナードとは、受礼者が事前に希望した好みの曲を最高3曲まで奏でる場面である。

 このセレナードの演奏が終わると、「鼓笛隊少佐」の指揮の下、鼓笛隊の活躍の場面となる。ピッコロが、小太鼓との絡みで、いわゆる、Lockenといって、次の曲を「おびき寄せる」ための、少々ユーモラスなメロディーを奏でる。そうすると、歩兵用のプロイセン栄誉礼マーチが奏でられる。

 これに続けて、今度は4本のファンファーレが、Retraite(rルトrレート:フランス語が元で、騎兵隊用の帰営合図)の部分を請け負う。合図は3回行なわれるが、一回目は、攻撃が終わって帰ってくる騎兵のために、二回目は、攻撃の際に、はぐれた騎兵や負傷した騎兵のために、三回目は戦場で斃れた騎兵のために鳴らされる。ゆえに、三回目のファンファーレは、よりゆっくりとメランコリックに奏でられる。

 ピッコロが今度は次の「祈り」場面へとつなげる。まずは、儀仗隊長の号令がかかって、歩兵小隊はヘルメットを脱ぐ。脱ぐのは、左手で、脱いだヘルメットは胸の位置に置く。こうして、「祈り」のための曲が始まる。曲は、コラール曲「Ich bete an die Macht der Liebe(我は、愛の力へ祈る)」で、18世紀半ばにプロテスタント系説教者が、もともとの宗教歌曲のメロディーに歌詞を付けたものである。神の偉大な愛の力によって、自己中心的なこの世の存在から救われることを謳った内容である。

 号令によって歩兵小隊は再びヘルメットを被り、「捧げ銃」をする。今度は「国歌」演奏となり、招待客も含めて全員が起立する。受礼者も起立するが、二本の腕は体側に付けたままで、右手を胸に当てるなどという大げさなことはしない。

 国歌演奏が終わると、儀仗隊隊長は受礼者に対して儀式も終わったことを告げ、儀仗隊は受礼者の前を「観閲式」のように通って、退場する。受礼者が車で送られて退場すると、一番最後に「真珠の首飾り」を作っていた海軍兵士たちが士官に連れられて、会場を後にして、儀典の全行程が終わったことになる。

 以上が、Großer Zapfenstreichの大体のあらましであるが、先日の21年12月2日に、今回で退任することになったメルケル首相のための「栄誉大礼」が挙行されたので、次回の投稿では、その時の状況をもう少し具体的に述べようと思う。

 最後に一言:

 ドイツではこのように伝統を大事にしているのではあるが、とりわけ軍事面における伝統継承には、ナチス時代の戦争犯罪のこともあり、極めて慎重であり、連邦軍創設の際には、何を伝統として継承すべきかを議論して決めている。聞くところによると、極東の某国では、防衛予算を今後2倍にするとかしないとか。であれば、なおさらなこと、旧帝国軍時代の伝統をどう批判的に継承するかが問われる。この点において、某国は、その民主主義政治の質が問われることとなるであろう。

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