州議会 der Landtag(デア ラント・ターク)

 「議会」に当たる言葉は、der Tagという男性名詞から来ているが、der Tagは、基本的には、暦で言うところの「日」、あるいは、「日中」の意味を持っている。それが、どうして「議会」の意味になるかと言うと、この言葉が、ゲルマン語との関連から、tagenという動詞とつながっており、これが、「朝になる、明るくなる」の意味を持つと同時に、「会議をする」の意味もあるからである。それで、「州の会議」、つまり、州議会となる。

 一方、das Landという中性名詞は、色々な意味を持つ。「土地、地方、国、国家」などである。その内の「国」が、英語のstate邦の意味も持つことになり、それで、「邦国」、つまり、「国」より下の行政機関となるが、政治的自立性を歴史的に持っているところから(いわゆる、「領邦高権」)、連邦を構成する「邦」となり、「州」と訳す訳(わけ)である。因みに、日本の衆議院に当たる連邦議会 der Bundestag(デア ブンデス・ターク)については、筆者の、21年1月31日付けの投稿「同盟の会議」を読まれたい。

 それまで州レベルでもあった、いわゆるAmpelkoalitionアンペル・コアリツィオーン「信号連立政権」が、連邦レベルでも2021年12月8日に成立して以来、2022年8月上旬で約八ヶ月が過ぎた。なぜ、現連立政権が、「信号」と呼ばれるかについては、詳しくは、筆者の2021年3月19日の、同名の投稿を読まれたいが、連立政権を構成する、それぞれの政党カラーを、簡単に再確認すると、赤色が、基本的に労働者政党であるSPD(エス・ぺー・デー:ドイツ社会民主党)で、黄色が、都市部中間・富裕者層が主な支持階層となるFDP(エフ・デー・ぺー:自由民主党)、そして、信号の三色は、ドイツでは赤・黄・青ではなく、赤・黄・緑なので、「緑色」が、都市部中間・インテリ層が主に支持する「緑の党」である。

 普通は、新政権が成立すると、最初の100日間は大目に見られて、まずは「お手並み拝見」となるところであるが、その「猶予期間」もしっかり与えられず、現Scholzショルツ・ドイツ政権は、ロシアによるウクライナ侵攻以来、とりわけ、現在、ロシアからの天然ガス供給問題を巡り、その対応に追われている。環境保全の観点からのドイツ経済の再編成を目指して、経済・エネルギー・気候保全担当大臣に就任した、緑の党のR.Habeckハーベックが、石油、石炭、天然ガスを求めて関連各国を「巡礼」しなければならなくなった姿は、彼の内的な「葛藤」を慮れば、痛々しいほどである。

 さて、ロシアによるウクライナ侵攻を以って、社会民主党のショルツ連邦首相は、Zeitenwendeツァイテン・ヴェンデ「時代の転回点」と呼んだ。それが、22年2月末のことであり、それ以来、ドイツの州レベルでは三つの選挙が行なわれた。まずは、22年3月末の、ドイツ西部でフランスと国境を接するザールラント州での州議会選挙である。次が、5月上旬の、北部ドイツにある、デンマークと国境を接するシュレスヴィヒ=ホルシュタイン州での州議会選挙、そして、三つ目が、5月半ばに行なわれた、ドイツで人口数で最大の州である、ノルトライン=ヴェストファーレン州での州議会選挙である。

 これらの州議会選挙が行なわれる前の22年3月中旬までの州レベルでの政治勢力図を見てみると、連邦共和国全体で16州あるうち、一党だけで州政府を構成している州がなく、8州で二党による連立政権、8州で三党による連立政権が成立していた。この状況が、三つの州議会選挙を通じて、若干変わったのであるが、三つの選挙に共通している点が、二点ある。

 第一点は、左翼党が、「5%条項」の壁を突破できずに、何れの州議会選挙で敗退したことである。第二点は、何れの州も旧西ドイツの州での選挙であり、東部の州では事情が異なっていたであろうが、2017年までの選挙で得票率を増やしていた、新自由主義的、右翼ポピュリズム・「ドイツ・ファースト」政党AfD(「ドイツのための選択肢」、一部が極右)が、何れも得票率を減らし、シュレスヴィヒ=ホルシュタイン州では「5%条項」の壁さえも突破できなかった点である。

 それでは、各州議会選挙を見ていこう。まずは、ザールラント州である。ここは、それまでは、「C付きの政党」CDU(ツェー・デー・ウー:キリスト教民主同盟)が、もう一つの「国民政党」たるSPDとの連立を組んで、「大連立」(黒と赤)が成立していた。CDU出身の州首相の、コロナ対策のぶれとCDUの選挙キャンペーンのミス、また、SPD女性候補が大連立政権下で、経済大臣を勤めていたこと、さらに、この時点では未だに連邦議会選挙でのSPDの上昇トレンドが効いていたことから、この州では、前回2017年の選挙より、約14ポイント増の、43,5%の得票率でSPDの大勝利となった。しかも、左翼党と緑の党が、党支部内部の抗争で選挙民の支持が得られずに、議会入りを果たせず、FDPも「5%条項」の壁を越えられなかったことから、SPDのみで議会の過半数を取って、連邦内唯一の一党単独政権が誕生した。という訳で、SPDの女性州首相がここに新たに生まれ、ベルリン都市州などのSPD女性州首相が、これを以って、四人となった。つまりは、16人の州首相の内、四人に一人は、SPD女性州首相と言う比率である。

 次に、北ドイツのユトランド半島にあるシュレスヴィヒ・ホルシュタイン州である。この州は、元々、緑の党R.ハーベックが、その現実主義路線から、CDU、FDPとの「ジャマイカ連立政権」(黒、緑、黄)を2017年に成立させていた州である。本来は、緑の党とFDPとは、都市部での中間層をその支持層として取り合っている政党同士であるので、イデオロギー的には「犬猿の仲」である。それを乗り切った立役者が、ハーベックであり、連立交渉を行ない、それを受けたのが、CDU内左派を代表するDaniel Güntherダニエル・ギュンターであった。州内で人気の高いギュンターは、今度の選挙では、2017年の選挙と比較して、約11ポイント支持を増やし、得票率の約43%を獲得して圧勝する。緑の党も、5ポイント増しの、18%を取ったのに対し、FDPは、5ポイント減の6%のみに留まった。この結果を受け、最初は、州首相ギュンターの意向で、「ジャマイカ連立政権」を連投するかに見えたのであるが、議席数から言うと、「黒・緑」連立だけで議会の過半数が取れることから、緑の党の要請を入れて、この州では「黒・緑」連立が成立した。

 デュッセルドルフを州都とするノルトライン・ヴェストファーレン州は、これまでは、CDUとFDPの「黒・黄」連立、つまり、中道右派の路線の州であった。人口数が最大のこの州を制する者は、連邦も制すると言われる、この州での選挙結果が、SPDの支持率との関連で注目された。しかも、前年の連邦議会選挙でのCDUの首相候補は、この州の州首相であった政治家であり、ベルリンに出るためには、デュッセルドルフの席を後任に明け渡さなければならない。こうして、その後釜に座ったのが、CDUの若手政治家のホープ、Hendrik Wüstヘンドリック・ヴューストである。その意味で、彼は、今回の選挙で自らの正当性を証明しなければならない立場にあったのである。

 結果は、ヴュースト率いるCDUが、2017年の前回に較べ、約3ポイント増の、34%の得票率で第一党の地位を確保したが、何と言っても、今回の選挙の勝利者は、約12ポイント増で、得票率の18%をもぎ取った緑の党で、与党であったFDPは、約7ポイント減で、政権党の座から転げ落ちたのであった。こうして、ここでも、「黒・緑」連立が誕生し、このような連立が、フランクルトがあるヘッセン州も入れると、三つの州で成立している。因みに、CDUと緑の党の連立と言えば、南西ドイツのバーデン=ヴュルテンブルク州では、逆に緑の党が主導の「緑・黒」連立であり、この「緑・黒」コンビネーションのことを、キウィのあの緑色の果肉の中に点々と黒色の種みたいなものが見えるところから、「キウィ」連立と呼んでいる。

 という訳で、「キウイ」連立も入れると、CDUと緑の党による二党連立政権が、16州中、4州となる。また、緑の党が連立政権の中に入っている州を数え挙げると、その数は11州にも上る。CDUか、その姉妹政党である、バイエルン州のCSUが政権に入っている州は、9州であり、SPDが政権に入っている州が、10州であることを鑑みると、緑の党は、CDU、SPDに並ぶ「国民政党」になっていると言えなくもない状況である。何れにしても、日本の参議院にあたるBundesratブンデス・rラート「連邦参議院」は、16の州の代表で構成されており、その州政府の11州で緑の党が参入している事実は、緑の党が政治勢力として決して侮れない存在であることを物語っている。

 Die Grünenディー グrリューネンとは、形容詞grün「緑色の」を名詞化し、それを、さらに複数形にしたものである。緑の党は、環境保護運動を党是とし、これに、反原発運動、平和運動の市民団体が加わって、現在緑の党が第一党となっている、南西ドイツにあるバーデン=ヴュルテンブルク州にある都市Karlsruheカールスrルーエ市で、1980年に創立された。その3年後には、「5%条項」をクリアして、連邦議会入りを果たす。現在「黒・緑」が成立しているヘッセン州においては、1985年から2年間、SPD政権下、州レベルで初の州政府入りをする。

 1989年にベルリンの「壁」が落ち、東西ドイツが再統一される過程で、旧DDRドイツ民主共和国内ですでに存在していた自然保護運動や人権擁護運動が糾合されてBündnis 90ビュントニス90「同盟90」が結成されると、これが、1989年末に結党されていた「DDRの緑の党」と共闘して、1990年に連邦議会内で共同会派を結成する。3年後には、Bündnis 90が西ドイツの「緑の党」と合流することとなり、現在の名称「Bündnis 90/Die Grünen」となる。こうして、緑の党は、1998年から2005年までの約7年間、SPD政権下に連邦レベルで連邦政府入りを果たし、その後は、下野した後、21年に「信号連立」政権下で再び与党となった次第である。

 経済発展を第一義的にしてきた経済自由主義は、環境問題、自然保護問題が表面化した1960年代以降、その正当性が問われている。その問題性の認識の上に立ち、資本主義社会を自然保護の観点からいかに再構築していくかが、たとえ再構築の方向性に様々な立場があるとしても、緑の党の、その基本的な結党の要であった。それゆえ、緑の党は、ドイツの政治地図においては、最初は「革新派」として登場することになる。これが、また、連邦レベルにおいて、当初はSPDと連立を組んだ理由でもあったが、ヘッセン州における「黒・緑」連立の成立が、2014年であることを鑑みると、ドイツ社会において自然保護の意識が一般的なものとなり、「保守層」においても、緑の党の政治綱領に共通点を見出してきたとも言える。とりわけ、FDP自由民主党と異なり、C付きの政党CDUは、キリスト教倫理を基盤にする政党であり、「保守主義」という点で、自然保護運動とは親和性がありえると言える。この「親和性」が、上述の「黒・緑」連立の成立の背景にあることは間違いがないであろう。翻って、日本において、この政治的選択の可能性が存在しないことを誠に残念に思う。

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