現地時間 ドイツ [1] Die Ortszeit Deutschland (ディー オrルツ・ツァイト ドイチュラント)[1]

 まず、「ドイツ」に当たるDeutschlandという言葉では、複母音euは、「オイ」と、特殊な綴り字のtschは、「チャ、チュ、チェ、チョ」と、語の最後に来るd字は無声音「ト」と、なることが覚えられる、発音上も有益な語句である。

 「現地時間」に当たるdie Ortszeitは、der Ortとdie Zeitの複合名詞で、後ろの名詞Zeitが女性名詞なので、複合名詞も女性名詞となり、二つの名詞の間にあるs字が連結の役割を果たす。これは、日本語で言えば、「AのB」の、「の」に相当するものである。

 die Zeitは、「時間、時、時代」などの意味があるが、この言葉をタイトルとしている、知識人が読む、有名な高級週刊紙(毎週木曜日発行の新聞で、大振りの版に一回50面以上なので、毎週小冊の本を買うような感じ)があるので、見たことがある言葉であろう。

 der Ortは、「場所、所、位置、村落」の意味があり、die Ortszeitを「現地時間」と訳した。「日本での現地時間では」などと言う時にはこの言葉が使われる。因みに、ドイツと日本の時間差は、普通は8時間、夏時間になると、7時間である。日本時間から、ドイツの現地時間を出す時には、日本の現地時間からマイナス8か7時間という計算になる。

 さて、「現地時間 ドイツ」とは、ドイツの現地時間を意味するのかと言うと、実は、そうではなく、先週の2022年3月18日からその第二期目が始まった、ドイツ連邦共和国大統領Frank-Walter Steinmeier(フランク=ヴァルター・シュタインマイヤー、22年3月現在66歳)の、第二期目に打ち出した新しいキャンペーンの名称である。

 その第二期目が始まった当日、シュタインマイヤー大統領は、このキャンペーンのためにドイツ南東部のテューリンゲン州のある町に向かった。この町では、ドイツ政府のコロナ施策に反対するデモが過激化しているからである。「声高な少数派」との対話を通じて、コロナ禍で分断されているドイツ社会の「架け橋」になろうと言うのである。つまり、「現地時間 ドイツ」とは、ドイツ各地の現地に行って、そこここでの国民との対話の時間を持とうというキャンペーンなのである。

 旧東ドイツ、とりわけ東南部と言えば、AfD(「ドイツのための選択肢」)党が強い地域である。この政党は右翼ポピュリズム政党であり、その一部は、憲法擁護局の監視下に置かれている極右も含んでいる。このようなAfDは、去年21年の連邦議会選挙では、比例代表のための第二票の得票率を全国では2,3%下げてはいるが、東部ドイツのザクセン州、ザクセン・アンハルト州、テューリンゲン州で、合計16小選挙区で勝ち(前回の選挙では3選挙区)、とりわけザクセン州では、16小選挙区で10勝するという圧勝ぶりを示しているのである。(つまり、この時のザクセン州は、日本の前回の衆議院選挙における「大阪府」であった。)

 テューリンゲン州では、州政府としては、「赤・赤・緑」連立政権が成立しており、しかも、最初の「赤」はSPDではなく、左翼党という連邦州ではあるが、AfDが州議会で第二勢力のCDUとほぼ同等の第三勢力を形成し、その党派代表が、Björn Höcke(ビヨェrルン・ホェケ)という、ドイツで公けに「ネオ・ナチ」と呼んでも構わない極右の「顔」である州である。前回の連邦議会選挙の小選挙区では、このAfDが8つある内の4つの小選挙区を押さえており、こういう政治的背景の下での「反コロナ施策デモ」が横行しているのが、ザクセン州と並ぶテューリンゲン州なのである。ここに、連邦元首は対話をしに行くという訳で、この「行脚」は簡単な使命ではないであろう。

 大統領任期の第二期目に選ばれた時(それは、2月13日であった)、シュタインマイヤー大統領(SPD所属)は、その演説で以下のように説いている:

 連邦大統領という職位は、「超党派的である。その通り!しかし、私は「中立」ではない。もし、それが、民主主義のことについてあるならば。もし誰かが民主主義のために闘っているのであれば、私はその人の側に立つ。もし誰かが民主主義を攻撃するのであれば、その人物は、私と敵として対面することであろう。」

 連邦首相を辞めた後の、今でも国民に人気のあるA.Merkelメルケル女史は、連邦首相の第四期目の2018年以降は、出身政党のCDU内での批判が強まったことから、CDU党首の座は降りたが、首相の地位には留まった。そのことから、彼女が、国民からの人気も高いところから、いわば、超党派的な位置に着き、当時第一期を務めていたシュタインマイヤー大統領の影が事実上薄くなっていたことに加えて、国民との接触に重点を置く彼の活動が、コロナ禍で大幅に制約されて、大統領としてやりたいことができなかったことが、今回、大統領第二期目に立候補する強い動機であったという。

 「民主主義のために闘う大統領」、国家元首がそう明言できるドイツの民主主義は、まだまだ健全であると言えようが、振り返って、日本の憲法機関にこれに対応するものがあるであろうか。天皇は、象徴である。「国権の最高機関」たる国会は、「第五の車輪」に堕している。司法には、ドイツと異なり、憲法裁判所がない。(日本の「維新の会」が提案している同名のものは、政治の司法への介入を許すものであり、ドイツのものとその機能・権能が異なる。)

 そして、「第四の権力」たるジャーナリズムは、権力を監視する機能を果たしていない。「中立」である、「中立」でなければならないという要請は、権力批判をしてはいけないということではないであろう。シュタインマイヤー大統領の、上述の演説で意図した「中立性」の言葉をもう一度嚙み直してみたい。

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