「同盟の会議」 Der Bundestag(デア ブンデス・ターク)

 「同盟」と訳した部分は、der Bund に当たり、これは男性名詞である。この名詞は、もともとは、動詞 binden(「結ぶ」の意)という不規則動詞から派生したものである。binden の過去分詞が、gebunden(「結ばれた」の意)となり、ge- と -enの間にある部分が、“bund” である。音節の〆になるd音は、「た行」となるので、「ブント」とカタカナ書きした。

 「ブント」と聞いて、どこかで聞いたことがあると思う方がいるかもしれないが、1950年代末から70年代にかけて新左翼の学生運動の分派が「同盟」という言葉をドイツ語から採って、こう呼んだことがある。

 あるいは、ここ30年ぐらいからであろうか、ドイツのプロサッカー・リーグの名前で、「ブンデスリーガ」という名称も、今では日本では広まっているようである。正にここに「ブンデス」が出ており、複合名詞を作るためにBundがBundesになっているのである。ゆえに、この -es を「同盟の」の「の」と訳した訳(わけ)である。そして、この言葉「ブンデスリーガ」は、全ドイツのリーグという意味であり、「連邦リーグ」のことである。すなわち、ブンデス・タークの「ブンデス」は、実は、「連邦」という意味である。ドイツは16の州が「同盟」してできた国家なので、連邦国家をドイツ語でder Bundという。

 なお、「連邦」の「邦」に当たる言葉が、本来はder Staat(デア シュタート)であり、英語のstateと同類である。USAの「S」が、その頭文字で、ゆえに、正しくは、USAは、アメリカ合「州」(あるいは、「邦」)国と訳すべきであるが、民主主義の意を汲めば、蓋し、「合衆国」は名訳である。

 男性名詞der Tagは、基本的には、暦で言うところの「日」、あるいは、「日中」の意味である。ゲルマン語の「明るい時間」という単語から来ていると言うが、tagenという動詞があり、これが、「朝になる、明るくなる」の意味を持つ。同時に、この動詞は、「会議をする」の意味もあり、これが、表題の言葉「Tag」につながるのである。連邦の会議、すなわち、日本の衆議院に当たる、ドイツ国の国権の最高機関「連邦議会」が、これである。

 このドイツ連邦議会が、この2021年10月26日に、選挙後の初めての会議を開いた。それは、ドイツ憲法、すなわち、「基本法」に定めらた通り、連邦議会選挙が行われた同年9月26日から30日以内のことであった。

 ドイツでは、連邦議会選挙は、選挙が行われた年をこれに付記して、他の年の連邦議会選挙と区別する。日本では、これと異なり、明治時代から帝国議会の第一回選挙から戦後も通じて、その回数を数えているので、本日(10月31日)の衆議院総選挙は、第49回目の総選挙となる。

 一方、今回初招集された、第20回次連邦議会は、日本の衆議院同様に4年の任期であるが、任期内で何回招集されても、その招集毎に会期名を、特別会、臨時会、常会などとは区別しない。日本では、戦後に招集された会期に1947年5月以来現在まで通算で「回次」を付記するので、今日の総選挙で結果が出て、衆議院の臨時会が開催されると、この会期の「回次」が、第206回の本会議開会となる。ここから、ドイツでの「第20回次」と日本での「第206回次」の数の違いが出てくるのである。

 また、日本では、衆議院が任期未了で解散されることが大方のケースであるのに対して、これまで、ドイツでは、1949年8月以来現在までの20回中3回しか任期未了で連邦議会が解散されたケースしかない。すなわち、1972年、1983年、そして2005年の3回で、いずれも、約3年の、任期途中での解散であった。

 それでは、なぜ、こんなに連邦議会の、任期途中での解散が少ないかと言うと、それは、ドイツの内閣には国会の解散権がないからである。と言うのは、世界でも指折りの民主主義的な憲法と言われた、ヴァイマール共和国憲法下、ナチスが意図的に民主主義の枠組みを骨抜きにし、民意が反映されるべき、国権の最高機関たる国会を無力化した、苦い経験を戦後ドイツは鑑みたからであった。(極東のある民主主義国家の政権与党の一員で、首相経験もある、某政治家Aが、このナチスの手から学べることがないかと発言したとか、しないとか、ドイツならば、このような政治家は一度に政治生命が断たれるであろうスキャンダルである。それぞれの国の政治風土の違いがあるにせよ、民主主義の精神を無視することは、民主主義国家の政治家たる資質がないと言わざるを得ない。)

 まず、連邦議会の解散権は、内閣ではなく、連邦大統領の手にある。連邦議会は自らを解散することもできないのである。新しく選挙され、招集された連邦議会で、連邦首相(Bundeskanzler:ブンデス・カンツラー)の指名選挙が未遂の場合、14日間以内に、他の連邦議会議員に、あるいは、大統領によって推薦された者で指名選挙を試みる。それでも絶対多数が得られない場合、即日に、比較的多数を獲得できる者を選び出して選挙し、これでも絶対多数が得られなかった時は、大統領は、この、選ばれなった候補者をなおも首班に指名するか、連邦議会を解散するかの二者択一に迫られるという次第である。ことほど左様に、議会解散までには幾重もの歯止めが掛けられているのである。戦後史上、このケースで連邦議会が解散に追い込まれたことは未だない。

 もう一つの解散のケースは、時の連邦首相が提案した信任決議を議会が否決した場合である。この場合には、当の連邦首相との協議の上、大統領が21日以内に議会を解散できることになる。そして、こうして解散された場合には、60日以内に新選挙が行われなければならない規定である。

 上にも書いた通り、このケースで、連邦議会は、3回、任期途中で解散されている。なお、野党側からの内閣不信任案は、後継の連邦首相の指名選挙とセットとなっているので(これを、いわゆる、「建設的不信任制度」と呼ぶ)、このケースではドイツでは連邦議会は解散できないことになっている。(以上、極東の某国の元首相Aが「国難突破解散」などと煽情的なスローガンを上げて国会が解散されるような事態は、ドイツでは中々難しい訳である。)

 さて、この間の連邦選挙で、社会民主党(SPD:エス・ペー・デー)が第一党となり、現在、連立政権成立のために、SPDと緑の党と自由民主党(FDP:エフ・デー・ペー)が交渉中である。(この点については、筆者の、2021年3月19日付けの投稿「信号連立政権」をご覧あれ。)

 そのような中、10月26日に、選挙後初めての連邦議会会議が開催され、新しい連邦議会議長が選出された。第一党のSPDの出身の女性議員で、戦後史上3人目の女性議長が選挙指名された。大統領が男性であり、SPD首相候補もSPD議会内会派代表も男性なので、連邦議会議長は、女性であるべきであるというコンセンサスの中での選出であった。

 国権の最高機関である連邦議会の議長は、元首である大統領の下、しかし、首相よりは上位に置かれるという、ドイツ連邦共和国内で第二の権力者である。日本の衆議院議長がこのような権威を日本の民主主義体制の中で認められているか、内閣の権力が異常に膨張している日本で、三権分立の原則に照らしてみる限り、それは、甚だしく疑問であると思われるのは、さて、筆者だけであろうか。 

 

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