信号連立政権 [その2]  Ampelkoalition (アンペル・コアリツィオン) [その2]

 なぜAmpelkoalition「信号連立政権」がそう呼ばれるかについては、筆者の2021年3月19日の投稿を読まれたい。本日は、この連立政権が連邦レベルで戦後ドイツ史上初めて現実に成立することがほぼ確実となったことを受けて、このテーマの「その2」を書きたい。

 まずは、反復にはなるが、それぞれの政党カラーを確認すると(同一の政党でも数種類の政党カラーがないことはないが)、赤色が、労働者政党のSPD(エス・ぺー・デー:ドイツ社会民主党)、そして左翼政党die Linkeで、黄色が、都市部中間・富裕者層が主な支持階層となるFDP(エフ・デー・ぺー:自由民主党)、緑色が、都市部中間・インテリ層が主に支持する「緑の党」である。

 さらに、キリスト教倫理を綱領の基本に置く「C付きの政党」CDU(ツェー・デー・ウー:キリスト教民主同盟)は、聖職者の色を採って、黒色である。但し、このCDUと姉妹政党である、バイエルン州の地方政党CSU(キリスト教社会同盟)は、バイエルン州の州のカラーが青と白なので、青色が政党カラーになっている。両党を併せて、die Unionディー ウニオーン:ユニオン、連合)と呼んでおり、CDUとCSUの「U」は、このUnionから来ている。

 また、新自由主義的、右翼ポピュリズム・「ドイツ・ファースト」政党AfD(「ドイツのための選択肢」、一部が極右)も政党カラーを青色としている。braun(ブrラウン)褐色あるいは茶色は、ナチスSA(突撃隊)が着たシャツの色から、これがナチズムの色と決まっているが、保守・右翼政党には、青色を付けるのがドイツの政治文化の慣習になっている。それは、ドイツの慣用的言い回し「貴族の血管には青色の血が流れている」というところから来ているのかもしれない。

 まず、この予備知識を以って、州レベルの連立政権の在りようを見てみよう。共和国全体で16州あるうち、一党だけで州政府を構成している州はなく、8州で二党による連立政権、8州で三党による連立政権が、21年11月末現時点で成立している。

 CDUとSPDの二つの「国民政党」の連立を、「大連立」(黒と赤、あるいは、赤と黒)と呼んでいるが、中西部ドイツのザールラント州では、CDU主導の大連立、北部ドイツのニーダー・ザクセン州では、SPD主導の大連立が成立している。連邦レベルの現時点でのメルケル政権も「大連立」政権である。

 デュッセルドルフを州都とするノルトライン・ヴェストファーレン州は、CDUとFDPの「黒・黄」連立で、今まで黒(青)ずくめだったバイエルン州は、前回の州選挙でCSUが州議会の過半数を割ったので、Freie Wähler(フライエ・ヴェーラー:「自由な選挙人」)という、無党派の、地域住民の利害代表をする会派(イデオロギー的には中道右派)と連立政権を組んでいる。このFreie Wählerの「政党」カラーは、オレンジ色である。オレンジ色は、政治以外の文脈では、南国の太陽がさんさんと降り注ぐ、明るいイメージの色合いで、旅行関連の業者などがよく使う色である。

 フランクフルト アム マインがあるヘッセン州は、CDUと緑の党の連立で、南西ドイツのバーデン・ヴュルテンブルク州は、逆に緑の党が主導の「緑・黒」連立である。この「緑・黒」コンビネーションのことを、俗に、「キウィ」連立と呼んでいる。キウィのあの緑色の果肉の中に点々と黒色の種みたいなものが見えるところから、この名称が来ている。

 伝統的にSPDが強い、ハンザ同盟都市のハンブルクはどうかと言うと、ここは、「赤・緑」の連立で、このコンビネーションは、連邦レベルでも1998年から2005年までの二期、成立したことがあった。北東部ドイツの、バルト海に面するメクレンブルク・フォアポメルン州では、21年9月の連邦議会選挙と同時に州選挙が行われ、その際SPDが圧勝し、この11月中旬にSPDと左翼党の「赤・赤」連立政権が誕生した。これは、日本ではまず考えられないコンビネーションであろう。(メディアでは、両者を色で区別する時には、左翼党には濃い赤紫色が付けられるのが普通である。)

 メクレンブルク・フォアポメルン州と同様に連邦議会選挙と同時に州選挙が行われたベルリンは(ベルリン、ハンブルク、ブレーメンは都市州)、三党連立の「赤・緑・赤」連立政権成立に向けて、現在(11月下旬)交渉中である。(ちょうど昨日の29日のニュースでこの連立政権の成立が報道された。)同様の連立は、伝統的にSPDが強いブレーメンでも成立している。旧東ドイツでは、左翼党が一定の支持を受けており、テューリンゲン州では、「赤・赤・緑」連立政権が成立しているが、最初の「赤」はSPDではなく、左翼党である。

 一方、保守政党のCDUが連立政権に入ると、連立政権の可能性としては、「黒・赤・緑」、「黒・赤・黄」、そして「黒・緑・黄」が考えられる。それぞれを、国旗の旗の色のコンビネーションに従って、「ケニア連立政権」、「ドイツ連立政権」、「ジャマイカ連立政権」と呼んでいる。

 「ケニア連立政権」は、「赤」と「緑」の順序が違うが、東ドイツのザクセン州で、また、SPD主導の「赤・黒・緑」政権が、ザクセン州の北、ベルリンを囲むブランデンブルク州で成立している。(CDUは、基本的に左翼党との連立はありえないとする原則論を取り、AfDとは、どこの政党もこの政党とは連立しないとしている。しかし、ザクセン州などではAfDが第二党となっており、連立交渉は、とりわけAfDが強い、旧東ドイツの州で難航する。)

 「ドイツ連立政権」は、ドイツ国旗の色が「黒・赤・金」なので(これについては筆者の21年6月18日の投稿を読まれたい)、本来なら100%は正しくないのであるが、便宜上、「金」を「黄」に読み替えたものである。この連立政権は、東部ドイツのザクセン・アンハルト州で成立している。

 「ジャマイカ連立政権」は、北ドイツのユトランド半島にあるシュレスヴィヒ・ホルシュタイン州で2017年に成立している。緑の党とFDPは、都市部での中間層をその支持層として取り合っている政党なので、本来はイデオロギー的に「犬猿の仲」であったが、現在の緑の党の党首の一人(緑の党、SPDは、男女一人ずつが党首、左翼党は現在女性二人が党首)であるRobert Habeck(ロベアト・ハーベック)が、この州の緑の党の代表として、連立交渉を行ない、FDPとの難しい関係を切り開いて、「ジャマイカ連立政権」を成立させた。

 そして、この説明で最後に残った州、ドイツ中西部、ライン川沿いにある州ラインラント・プファルツ州が「信号連立政権」で、SPDの人気のある女性州首相が、すでに2016年以来「赤・緑・黄」のコンビネーションの政権を率い、この21年3月の州選挙でも勝利して、この連立が継続されている。それまで連邦レベルで「落ち目」であったSPDがこの州での地位を維持したことは、その約六ヶ月後の連邦議会選挙でのSPDの勝利への「よい前兆」であると解釈されたのである。

 以上、州レベルでは多様な連立政権の在りようが見られる訳であるが(因みに、16人中3人が何れもSPDの女性の州首相)、この多様性が次第に連邦レベルにも波及していくのがドイツの政治のシステムである。それは、上院にあたる連邦参議院が、州政府を基礎にして構成されていること、また、例外があるにしても、おおよそは、州首相になれた者こそが閣僚などを担当できる有力な政治家として連邦レベルに進出できるという、州レベルの政治的経歴がその政治家の試金石ともなっているからである。

 さて、今回の連邦議会選挙が9月下旬に終わり、Unionが議席を失い、SPDが第一党になるという結果が出た訳であるが、これを受けて、早速連立政権を成立させるための話し合いが始まった。この最初の話し合いのことを、ドイツ語では、Sondierungsgespräche(ゾンディーrルングス・ゲシュプレーヒェ)という。

 das Gesprächという名詞が、「話し合い」の意味を持つが、Gesprächeがその複数形となる。sp音は、「シュプ」と発音し、ch音は、摩擦音の「ヒ」音となる。ゆえに、che音は、「ヒェ」と表記した。

 Sondierungsの最後のs文字は、複合名詞を作るためのつなぎのsであり、Sondierungの最初のSond(e)(ゾンデ;語頭音のs音は「ザ」行音)は、日本語にもなっている言葉である。気象観測機器、宇宙探査機、あるいは、医療用の消息子などに使われる言葉である。この名詞から、それに、-ierenの動詞化の接尾語を付けると、sondieren、すなわち、「ゾンデを使って何かを調査する」の意味となり、この動詞を名詞化すると、Sondierungとなる訳である。つまり、ゾンデを上げてみて、ある政党と連立政権が組めるかを「感じ取ろう」とする、党同士の話し合いをSondierungsgesprächeというのである。

 この連立政権成立に向けての予備会談は、普通は、選挙で第一党になった政党が他の政党を呼んで行うのが政治的慣習になっているが、今回は、珍しいことが起こった。まず、第三党となった「緑の党」と第四党になったFDPが、SPDを差し置いて、Sondierungsgesprächeを始めたのである。

 それは、緑の党の現党首R.ハーベックとFDP党首Christian Lindner(クリティアン・リントナー)が、2017年の前回の連邦議会選挙後の連立政権交渉において、「苦い」経験をしていたからであった。この時は、メルケル首相のCDUと、緑の党、そしてFDPの「ジャマイカ連立政権」成立の交渉に入ったのであったが、長い交渉の末、結局は、FDPのリントナー党首が、「間違った政治を行なうよりは、政権に入らない方がいい!」という有名な言葉を残して、連立政権交渉から降りたため、連邦レベルでのドイツ史上初の「ジャマイカ連立政権」構想は流れたのであった。それで、メルケル首相の下、いやいやながらの「大連立」が成立したのであった。

 こうした経緯から、若者層からも最も高い25%程度の支持を集めた両党、緑の党とFDPがまずは自分達でSondierungsgesprächeを始め、その後に、両党が個別にSPD側と、それから第二党のUnion側との協議を行なったのであった。Union側は、選挙戦の敗北から連邦首相候補が党首の座からも降りてしまったことから、もはや連立交渉の対象とならなくなり、選挙から約3週間後の10月中旬、SPD、緑の党、FDPの三党による、Sondierungspapier(ゾンディーrルングス・パピーア:連立予備交渉覚書き)をまとめ上げ、本格的に連立政権協約書の作成に入る。この段階で、約20のテーマ毎の作業部会が開かれ、各党から10名ずつが参加し、つまり合計約600人の政治家が参加して、各専門分野での共通政策の調整が行なわれた。約6週間後の11月24日に、その成果となる、約170ページに及ぶ連立政権協約書が公けにされた。

 11月末現在、三党各党がこの協約書を党レベルに降ろして、議論している。SPDとFDPは党大会を開いて協約書についての採決を取り、緑の党は、党員投票によって協約書についての採決を行なう予定である。この、各党での協約書承認の手続きを受けて、すべてが順調に行けば、12月8日ないし9日には連邦議会の本会議で、SPDの連邦首相候補Olaf Scholz(オーラフ・ショルツ;SPD右派で、元ハンブルク州州首相、メルケル政権下では副首相で、連邦財務大臣)が、次期連邦首相として選出されることになる。

 連邦議会選挙があったのが、9月26日であり、この日から約10週間後、つまり、70日を経て、新政権が正式に誕生することになる。こうして、ドイツでは、メルケル首相の中道右派の政権からショルツ新首相の中道左派の政権へと政治の方向性が変わるのであるが、さすがは、これが、契約社会のヨーロッパ文化に根差した政権交代の、ドイツ的プロセスであり、そのために約二ヶ月半も掛けるドイツ人の、Gründlichkeit(グrリュントリヒカイト:徹底性)には敬意を表するものである。「敬意」(Respekt:rレスペクト)は、今回の選挙戦でのSPDの選挙スローガンの一つであった。現代社会のすさんだ傾向を見るかぎり、「敬意」という、ただの一言ではあるが、そこに含まれる意味合いには少なからないものがある。

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