黒・赤・金 Schwarz-Rot-Gold (シュヴァrルツ・rロート・ゴルト)

 黒は、schwarzで、品詞としては形容詞である。schは、「シュ」と発音し、w音は例の如く、ドイツ語では、ヴ音となり、z音も、「ツ」となる。rotもgoldも同様に形容詞で、goldのd音は、音節の〆となるので、無声音のt音となる。

 以上、この三つの形容詞の頭文字を大文字にし、しかも三色連続でつなげると、ドイツの国旗の三色となる。ドイツ人以外の人が見ると、三色目の「金」が、実は「黄」に見えるのであるが、正式には「金色」となっているので、気を付けたい。

 と言うのは、ドイツの民主主義の象徴となる、この三色のコンビネーションを、とりわけ、金色が黄色に見えることから、「黒・赤・黄」、場合によっては、「黒・赤・マスタード色」と呼んで、これを貶めようとする、反民主主義的勢力がドイツにいるからである。

 このような勢力は、これに対抗して、「黒・白・赤」の三色を横長に配列した旗を持ち出してくる。この旗は、帝政ドイツ時代(1871年から1919年まで)を象徴し、また、この三色はディザインを変えたり、鉤十字を入れたりして、ナチス時代にも使われたからである。このような配色の旗の中央にドイツ騎士団十字を入れると、一時期だが、ドイツ第三帝国陸軍軍旗となる。

 しかし、「黒・赤・金」の配色や色の順序は、最初から今のものとは決まっておらず、歴史的に、とりわけ、19世紀のドイツ史と深く関わって、出来上がってきた。(紋章学では、金・銀の色は、黄色・白に代替えされ、しかも、普通の色は、直接二色続けるのではなく、必ず、金か銀色を中に入れるという約束事がある。ゆえに、紋章学的には、黒・金・赤の順序が正しく、実際この順序で配色されたケースがあった。)

 フランス革命の「申し子」ナポレオン(因みに今年2021年は彼の没後200年)は、王政・帝政のヨーロッパに革命の理念を「輸出」し、同時に彼は、支配者としても当時のヨーロッパに君臨した。ゆえに、ナポレオンの支配からの解放戦争は、実は、アンビバレントな意義を持っていた。「自由」の理念を知った市民には、ナポレオン支配の前の単なる「王政復古」には同調できなかったのである。

 この国民国家を目指す、ドイツでの脆弱な自由主義運動を担ったのが、学生組合(ブルシェンシャフト)の学生たちであり、彼らこそが、暗「黒」の時代に、「赤く」曙光が射し出した新時代を切り開き、こうして、「黄金」の未来が我々を待っていると、三色の配合に象徴的な意味を持たせたのであった。

 それが、ウィーン体制を崩壊させる、1848年のヨーロッパ規模でも革命運動につながり、ドイツでも1848年3月にフランクフルト国民議会が招集され、ドイツの民主主義化への第一歩が刻まれた。ここにおいて、「黒・赤・金」の三色旗も、ドイツ民主主義の象徴としての意味を改めて持たされた。こうして、「黒・赤・金」の三色旗は、北ドイツ連邦時代、第二帝政時代の長い「間奏曲」を受けて、ヴァイマール共和国の成立と共に復活する。

 ここ数年来特に強くなってきている傾向として、ドイツでは、現在の国境画定を認めない「大ドイツ主義」を唱えて、上述の「黒・白・赤」の三色の旗をデモに持ち出す右翼グループが出てきている。ナチ時代の鉤十字の旗は、罰則規定が付いて、禁止されているが、この旧第二帝政時代の旗も、以上の状況を踏まえて、最近は、禁止すべきではないかという議論が高まっている。

 ましてや、6月11日から、サッカーのヨーロッパ・カップが開催されており、各国のサッカー・チームを応援するのに、それぞれの国旗が大きな役割を演ずる。2006年のサッカー大会まで、遠慮気味にドイツの国旗を振っていたドイツ国民は、「夏のメルヘン」と言われるこの大会では、「黒・赤・金」の三色で比較的大っぴらにドイツチームを応援した。その意味で、今回は、「黒・白・赤」の三色にドイツ騎士団十字が付いた旗が持ち出されることがないように願うばかりである。

 因みに、日本のいわゆる自称「サッカー・ファン」の中にも、旭日旗を持ち出す人がいるが、これは、軍旗であり、歴史認識の欠如した、スポーツという場には相応しくないエチケット違反であることも申し添えておこう。

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