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あなたの権利を守るために、外国人の政治参加に反対する。

 先日、武蔵野市において、外国籍の人も住民投票に参加できるようにする条例案が否決されました。これに対し「否決されて安心」と述べた国民民主党の玉木さんに賛否の声が集まっています。

 皆さんはこのことに対してどのように考えますでしょうか。
今回の条例案は民主主義を根本から考えるいい機会になったのではないかと思います。

「できるだけ多くの権利を外国の方にも認めていくというのは一つの考えだと思うが、一方で制約があることも事実なので、その境目をどうしていくのかということは、国会や地方議会や、あるいは憲法や法律や条例や様々なそういった規律を決めていく際に、深く議論していくべき課題だと思っている」

玉木雄一郎 2021年12月23日の定例会見にて

民主主義と国民主権は「不可分」。

 民主主義を採用する国では、国民主権といって、国民が政治的な意思決定をすることになっています。しかし、国そのものは人々が民主的に創設することはできません。なぜでしょうか。
 民主主義国家を作るためには、まず「誰が主権者の国民なのか」が決まっていなければいけません。誰が国民なのか、誰が国の意思決定に参加できるのか、という範囲というのは得てして非民主的な手続きにより決まってきました。「主権者の範囲」というのは民主主義国家を作る前にまず決めなければならない前提であり、これを安易にいじくり倒すことは現代の民主主義社会自体を揺るがすことにほかなりません。

「個人」の前に「国家」がある。

 民主主義国家というものを考えるのであれば、近代国家の成り立ちを振り返る必要があるでしょう。なぜならば、民主主義国家というものが無からある日突然、自然に現れたような例は存在しないからです。
 では、現代に通じる近代的な国家というのは、どのように成立してきたのでしょうか。素朴かつ根強く広がっている国家観は「人々が合意(契約)を通じ、民主的に国家を作った」というものです。しかし、これは歴史的には誤っています
  近代以前の社会というのは、欧州においても日本においても、封建社会といって、人々は伝統的な共同体や各領主の支配下におかれ、自由が厳しく制限されていました。民主主義国家において大前提となる「自律した個人」という概念自体が存在しなかったわけです。ここに対して、国家権力により封建的な制度を排除し、個人に直接、大事な「権利」と「義務」を付与することで共同体的束縛から個人たちを開放したものが近代国家です。
どちらかというと「国家が個人を作り出した」と言えるでしょう。
 国家が法整備を通じて国内の人々に、権利と、他の主体の権利を守る義務を課すことで初めて人は個人として振る舞えるのです。

あなたの権利が守られているのは、皆が「あなたの権利を尊重している」から。

  皆さんが普段、危険を感じることなく暮らせているのは何故でしょう。自分の家や車、貯金を保有できるのは何故でしょう。人権があるからでしょうか。権利というのは何故守られるのでしょうか。
 それは、あなた以外の全員にあなたの権利を尊重する義務が課せられているためです。勝手に人のものを盗むのは悪いことだし、公共の場所を独占するのもダメ、と日本人はみんな、知っています。何故でしょう。学校で勉強したり、お父さんお母さんに教えられたり、周囲の大人と触れ合っていくうちに自然と学んでいくからですね。
 しかし、外国から来た人はどうでしょうか。人によっては高い教育を受けて、「人権は大事」と当然のように知っている人もいるでしょう。でも、基本的人権?なにそれ?という人だって世界にはたくさんいます。
 そういった人に、たったの3ヶ月住んだだけで政治的な意思決定の場に参加する機会を与えてよいのでしょうか?…

人権は、天から降ってこない。

 私はかつて友達とドライブに行った時、愛知県内のとあるコンビニの駐車場で外国人男性に「日本人はここにクルマを停めるな」と言われたことがあります。彼はそのコンビニのオーナーでもなければ店員でもなく、私たちが自動車を停めてお店を利用することを阻む正当性はどこにもありません。私達はどうすれば良いかわからず、結局その場所を離れることになりました。

 その時に私は「私達が豊かに暮らせる権利というのは、お互いがお互いを尊重し合えて初めて成立するのだ」ということを学びました。我々の権利というのは天から自然に降ってくるわけではなく、私たち自身でお互いに守り合う必要がある、ということです。
 そして、私達の権利を守り合うことが必要、ということを学んだことのない人に参政権を与えることがいかに危険なことなのかをそこから直感的に理解しました。力と数に訴えて威圧し、他者のものを独占することは許されません。


 憲法にも、基本的人権について「国民は不断の努力によつて,これを保持しなければならない。」とあります。私達の権利というのはこの国に住む人々によって守り合う必要があることを戦後の人たちは知っていたわけです。
 外国人の政治参加に積極的な人の多くは現行の憲法に対して肯定的に見ていると思いますが、一方で「国民主権の原則」に対してあまりにも軽視が過ぎると思います。日本で教育を受け、暮らしてきた国民が守ることで初めて、基本的人権というものは機能するのです。天賦人権説をそのまま鵜呑みにするのは危険です。

あなたは素朴な感情で外国人の政治参加を肯定しているかもしれませんが、一方でその対象の人はあなたの権利をどうとも思わないかもしれない。
これは民主主義の前提を揺るがす行為であり、あなたがこの国で平穏に暮らす権利だって失うきっかけにもなりかねない。

だから私は、あなたの権利を守るために、安易な外国人の政治参加にはすべて反対するつもりです。


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