誕生日の度に思うこと
先日、誕生日を迎えた。
安定しない天候が続くここ最近は少し気分も落ち気味だけど、降りしきる雨が地面を強く叩きつけるようなそんな日でも「誕生日」というのはなぜか少しだけ浮ついた気持ちにさせてくれる。
わたしは7月生まれで、俗にゆう「夏女」に該当する部類なのだろうが、7月の上旬というのは毎年梅雨の時期のど真ん中でもある。
まだまだ夏本番というには早い段階だが、この鬱屈とした時期は「誕生日」という非現実的な1日があるおかげで乗り切れるのも事実だ。
いい加減に"オトナ"な年齢なのだが、やはり親しい方々から『おめでとう』と言われるのはいくつになっても嬉しい。
世間様の「独身アラサー女性」への哀れみを含んだ冷ややかな視線になれたわけではないが、それでもわたしは年を重ねることに喜びを感じられるようになってきた。
小学生の頃、20歳といえばものすごくオトナに思えていたし、23歳くらいでシャーマンキングの主人公・麻倉 葉くんみたいな男性と結婚して、子供を授かっていると勝手に思っていた。
その一方 仕事もバリバリして、港区あたりでヒールをカツカツ鳴らしながら歩くようなバリキャリ女子への憧れもあった。
どちらも大人になれば勝手に得られる未来だとなぜか思えていたんだなあ。
現実はそう甘くないと歳を重ねる度に知っていくのだけど、今振り返るとあの小学生の頃の「大人になれば何にでもなれるんだ!」感は実に純真無垢で愛おしい。
かつて、そういう自分がいたことをいつまでも忘れたくはない。
誕生日を迎える度に、わたしはいつもそんなことを思い返す。
その一方で、一緒に歳を重ねられなかった人たちのことも想う。
学生時代に塾が一緒だった、ちょっぴりやんちゃな女の先輩
バイト先で一番仲良くて大好きだった純粋な彼
いつもわたしにだけ厳しかった頑固者な祖父
可愛くていつも笑顔で友達も多かったあの子
どんな理由があろうと、もう二度とこの時代を一緒に過ごせないのだと思うとやるせない気持ちと共に、今ここで生かされていることへの感謝の気持ちが溢れ出す。
誰かを亡くしたときの悲しみや喪失感なんてものは、無情にも時とともに薄れていってしまう。もちろん故人との親しさにもよるけど...
だけどこうして自分が一つ歳を重ねることで思い出される人がいるというのも事実で。
そうすることでほんの少しだけ、背筋がシャンとするような気がしている。
大切に生きなきゃって。
大袈裟に聞こえるかもしれないけど、わたしは司会者の仕事をしていた経験から年間何百件もの葬儀に立ち会ってきた。
そんな中で、自分よりも年下の方の葬儀を何度も担当したし、その多くが突然のことだったと知っている。
明日がある保証なんてどこにもないのだ。
わたしにも、あなたにも。
"人生一度きり"だなんてセリフ、もう一体何度聞いてきたんだろう。
今では新鮮味もありがたさもなくなってきたワードだけど、でもやっぱり本当にそうなんだなとやはり誕生日の度に思う。
この1年間、本当に自分は成長できたのだろうか?
なりたい自分になれているだろうか?
そんな風に自分と会話するいいきっかけにもなるから、やっぱり好きな日だ。
もしかしたらそうやってセンチに考えてしまうのも、梅雨のせいなのかもしれない。
さて、今年もそんな誕生日にだいすきな「ひまわり」をいただいた。
人生で『わたしひまわりが大好きなんです!』なんて公言したことないのだけど、どういうわけか誕生日によくいただくのだ。
夏の花だからだとは思うのだけど、よく"あなたのイメージにぴったりだから"と言っていただけるのがものすごく嬉しい。
見る人を元気づけることのできるパワフルかつ華やかな存在。
そんなの綺麗事かもしれないけど、でもできるだけ周りの人にそう思ってもらえるように今年も一生懸命に咲き誇ろうと思う。
もうすぐ梅雨が明ける。
ようやくここからわたしの新しい一年がまた始まろうとしている。
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